松成敬輔
25-1
あのラブレターは誤解なんだと今すぐ奈々子に伝えたかった。けれど松成敬輔はなかなか奈々子を見つけることができない。
こんな誤解で今までの関係を壊したくなかった。何てことをしてくれたんだ昨晩の自分よ。もっと冷静にラブレターを書くことはできなかったのか。
走り回って探しているとついに一階の廊下で奈々子を見つけた。
奈々子も誰かを探しているようで小走りで進みながら視線を走らせている。
心音が高鳴る。誤解を解かなくては。
いや、ちょっと待てよ。誤解を解くということは、あのラブレターの内容に触れるということになる。
そうなると、そもそもその手紙に何を書きたかったのかという話になる。
ということは、この場で直接告白する必要があるということか? ラブレターに本当に書きたかったことはこうですと伝える必要があるということか。
いやいや、直接言う勇気がなかったから手紙を書いたわけで。
そんなことを考えていたら、奈々子が敬輔に気づいて足を止めた。
敬輔もゆっくりと近づく。
なんて説明しよう。上手い言い訳が思いつかないまま奈々子が手の届く距離に来た。
「ねえ。美姫知らない?」
「えっ?」そういえばさっき怒ってどこかに走ってたなと思う。
「もう。どこ行っちゃったんだろう」
奈々子が辺りをきょろきょろと見ている。とにかく早く誤解を解きたいと思って口を開いたら、それを遮るように奈々子の父親が飛び出してきた。
「ちょっと待った!」奈々子の父親は喘ぎながらこちらに来る。
そのあまりにも自分が知っている姿と変わり果てた形相に敬輔は戸惑った。
「お久しぶりです」とりあえず挨拶する。
「ああ。元気そうだな」
「お父さん帰らなくていいの?」奈々子が心配そうに言った。
「それよりも奈々子に言いたいことがあるんだ」敬輔は奈々子に迫った。
「あとにしてくれ! こっちは世界の命運がかかってるんだ」奈々子の父親は鬼気迫る表情で言った。
あまりの迫力に気圧されて、敬輔は口をつぐんだ。
今日の奈々子のお父さんは変だ。さっきはパンツの臭いを嗅いでたし、ちょっと怪しい。
「奈々子! しっかり聞くんだ」
奈々子の父親は奈々子の肩を強くつかんだ。
「あと45分で地球が滅びるんだ」
空気が急速に冷やされて固まった。いったいなにがどうなったらそんな突拍子もない言葉を吐けるのだろう。
敬輔は呆れたように表情を緩ませるが、奈々子の父親の顔は真剣そのものだった。
「いやいやいやいや」奈々子が顔の前で手を振る。「そんなあほなことがあるわけない。お父さんどうしたの? 今日ちょっとおかしいよ」
「ほんとなんだ。ほんとなんだよ。奈々子!」
奈々子の父親は奈々子をがくがくと揺さぶった。
「ちょっとこっちに来い」
奈々子の父親は奈々子を連れて窓際に行った。敬輔も黙ってついていく。
「どうだ? 空が見えるか?」
「見える、けど」
「ほら、あそこだ」
奈々子の父親が指さした方向を見ると、何かの塊が赤い糸を引きながら流れていくのが見えた。
「あれが、隕石だ」奈々子の父親は重々しく言った。
確かに空に何かがあるのはわかったが、それが隕石だと言われてもピンとこない。そもそも隕石を見たことがないからどう見えるかもわからない。
「それだけじゃないぞ」
奈々子の父親は肩からかけていた鞄を開けてパソコンを開いた。画面が切り替わって、何かの物体を知らせる3D画面が映った。
「これが今地球に向かっている隕石だ。直径1キロメートル以上の隕石だ。すでに対抗策はほとんど残っていない」
奈々子の父親の顔には焦りが滲んでいる。
「それで?」奈々子はじっと父親を見ている。
「この隕石の主要要素はシンパシムという物質だ。シンパシムという化合物はそれぞれが同調し共鳴している。ひとつの化合物が受けた影響は他のすべての化合物へと伝えられる」
「じゃあ、地球上にシンパシムがあったら、それとも同調してるってことだね」
奈々子の父親は力強く頷いた。
おかしい。いつの間にか奈々子が信じ始めている。
いったいどこをどうすれば突然告げられたこんな突拍子もない話を信じられるんだ。
敬輔はいまだに半信半疑だったのに。これが親子の絆というものか。
「そうだ。それで、奈々子。前にお前にプレゼントとしてあげた下着があるだろう」
「あー」奈々子は少し顔を赤らめて敬輔を見る。「うん。今履いてるね」
「その下着にシンパシムが含まれているんだ」
「えええ? そうなの?」
「ああ。つまり奈々子が今履いている下着を消滅させたら、隕石を破壊することができるかもしれない。いや、もうそれしか地球が救われる方法は残されていないんだ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「まずはシンパシムを強く共鳴させる。きっと奈々子もその下着を履いていて違和感を覚えることがあったはずだ。けど、一度分離したものだからその関係性が緩くなっている。それをまずは一致させる」
「どうやって?」
「ちゃんと機械があるさ」
奈々子の父親がパソコンを操作し始めた。パソコンの他にも鞄の中には敬輔がわからない色々な機械が入っていた。
そして奈々子と父親の会話は全然頭の中に入ってこない。
「ここだと誰かに見つかると面倒だな。どこかにいい場所はないか?」奈々子の父親が敬輔に訊いた。
「そこに倉庫がありますけど」
色々な学校の備品が入っていて、男子が着替える時などにも使っている倉庫に三人で入った。敬輔は見ていることしかできなくて、黙っていた。
奈々子の父親のパソコンと何かの装置が接続され、されにその装置から伸びるコードを奈々子はスカートの中に入れた。おそらくパンツと繋ぎ合わせたのだろう。
奈々子の父親が必死にパソコンのキーボードをたたく。
「くそ! やっぱりNASAじゃないと弱いか。隕石まで届かないぞ」
「どういうこと?」
「ここにある簡易装置じゃ完全に隕石のシンパシムと一致させることができない」
「どうすればいいの?」
「なんとかするしかないさ」
奈々子の父親は鞄から銀色のテープを取り出した。それを敬輔に渡す。
「これで奈々子の身体をぐるぐるに巻いてくれ」
「え?」奈々子と顔を見合わせた。
「早く! これはアンテナの力を強めるために必要なんだ」
奈々子が頷きで同意を示したので、敬輔は恐る恐る奈々子をテープで巻いた。奈々子は身動きが取れなくなる。
制服姿の少女がテープで拘束されて自由を奪われている。冷静に考えると自分はいまとんでもないことをしているのではと不安になる。
「お父さん。巻いたよ」
奈々子の父親は頭をがしがしと掻いた。
「だめだ! これでも弱い! いま車からもっと強力な機材を持ってくるから待っててくれ」
それだけ言うと奈々子の父親は急いで倉庫の扉を開けた。
「奈々子のことを頼む! これは世界の危機なんだ」
そう言い残して奈々子の父親は走り去った。
敬輔は誰かに見られたらまずいと思って倉庫の鍵を閉めた。
奈々子と目が合う。こうやって二人でいるのがなんだか久しぶりに感じられた。
「なんか大変そうだな」
「久しぶりの親子再会がこんなことになるなんて予想してなかったよ」
沈黙が流れる。
おかしい。奈々子と二人っきりの空間は本来心地よくて、幸せになれるもののはずなのに、今は居心地が悪い。
奈々子がテープで巻かれているせいだろうか。
いや、そうじゃない。
ラブレターだ。あのラブレターのことがまだ解決されていないから、こんなにぎこちないんだ。
早くラブレターの誤解を解かなきゃ。
「あ、あのさ。奈々子に言いたいことがあるんだ」
「なに?」
「えっと、だから、その」この場で告白することはできない。直接言えないからこそラブレターを書いたんだ。けど、あのラブレターはなかったことにしたかった。「だから、そのラブレターのことだよ」
「ああ、あれ」
「あの内容は嘘だからな?」
「嘘?」
「そう! 全部勘違いなんだ。中身はもう、忘れてくれ」
「あーそっか。いいよ」
がっかりしたような声音で奈々子は言った。
なんだろう。
でもよかった。まずは誤解を解くことができた。これで元の友達関係に戻れた。告白なんてしなくたって奈々子に自然と話せたらそれで十分じゃないか。
と、そこで部屋の外に人の気配がした。奈々子を見る。テープで拘束された女子高生。
体中から嫌な汗が流れる。
やばい。この状況を見られたら説明することができない。
地球を救うためだなんて言っても信じてもらえないだろう。
そして奈々子の父親が自分の娘をテープで拘束したなんてもっと信じてもらえないだろう。
きっとすぐに職員室に連行される。
そして両親が呼び出されて、学校を停学になって、きついお叱りを受けることは間違いない。
クラスメイトからも変質者を見るような目で見られるだろう。
そんな未来は望んでいない。
どうしよう。
どうしよう。
悩んでいたら、廊下から人影が現れて扉の曇りガラスの向こうに見えた。扉を開けようとする音。
「あれ、開かないな」
聞き覚えのある声。それもそのはず担任の声だ。
何度も何度も執拗に扉を開けようとする。
心臓が破裂しそうなほど激しく伸縮している。
「おかしいな。中に誰かいるのか?」
担任は扉を叩いた。その声は不信感を抱いている。
敬輔は奈々子の側に寄って小声で訊く。
「どうする?」
「とりあえず、やりすごしたほうがいいね」
視線を室内に走らせる。何か対策はないだろうか。
倉庫の中にあるもので扉を塞いで担任が入れないようにするのはどうだろう。いや、それだとこっちも外に出られない。いつかはバリケードを崩されて中に入られてしまう。きっと学校には倉庫の鍵もあるだろうし。
じゃあ、奈々子と同じように担任もテープで拘束してしまうか。いや、そんなことしたら問題が解決するどころか悪化する。
どうすればいいんだ。
と、視線の先に掃除用具を入れるロッカーがあった。あれならなんとか奈々子を隠すことができる。
「少しの間、掃除用具入れに隠れてもらえる?」
その提案に奈々子は頷いた。奈々子はすでに一人で歩ける状態じゃなかったので、手を貸して掃除用具入れに押し込んだ。
深呼吸を二つして、扉の鍵を開けた。
「おっ」担任は中に入ってくるや敬輔を認めると訝しむ顔をした。「お前こんなとこでなにやってんだ?」
「いや、それは……」
適当な言い訳が思いつかずに口ごもる。
「いま授業中じゃないのか?」
「えっと自習になりました」
「自習っていうのは何をしてもいいってことか? そういえばプールの授業もちゃんと出なかったらしいな。ここでなにをしていたんだ?」
何も答えられなくて黙って下を向くことしかできない。
「……放課後職員室に来るように」
担任の呼び出しに無言で首肯した。なんてタイミングが悪いんだ。こんな物置みたいな部屋にどうして担任が来たのだろう。
「ああ、そうだ」担任はちょうどいいと言うように頷いた。「あのロッカー今日からうちの教室で使うことになったやつだから、今から運ぶぞ。誰か呼び出そうと思ったんだが、お前がいるなら二人で持てるだろ」
担任はそう言って部屋の奥にあるロッカーを指さした。先ほど敬輔が奈々子を押し込んだロッカーだ。
言葉を失った。
そういえば今朝のホームルームでそんなことを言っていた気がする。
どうすることもできなくて敬輔は促されるままに担任と一緒に掃除用具入れを持った。
「うん? 重いな。大丈夫か?」担任が心配そうに訊いてきた。
「……はい。なんとか」
重い。
それもとてつもなく。
それもそのはず。ただでさえ軽くないロッカーの中に人間がひとり入っているのだ。重たくないほうがおかしい。ロッカーを持ち上げている腕が軋むように震えた。
ふらつく足に懸命に力を入れて一歩ずつゆっくりと進む。
階段を一歩一歩のぼる。
汗がとまらない。
ロッカーを見る。
奈々子は大丈夫だろうか。
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