第3話 右大臣

 一行は、屋敷の中に入り建物の中を警護の物に案内され先に進んでいく。廊下からは、常に庭園が見えるようになっている。廊下を進んでいくと奥には、一段と大きな部屋があった。部屋に進み中に入ると、中央には一本の大きな木から作った巨大なテーブルが存在感を十分に置いてあり、その周りに椅子が置いてあった。西洋からの品が入ってくるようになり、椅子で食事をするのを一部の大名や貴族では行われるようになっていた。


 それでも、この部屋のような巨大なテーブルがあるのは、日本でもここくらいしかないだろう。テーブルには、多くの料理が並べられてあった。そのスケールに一行は、唖然としていた。

「お館様の御成です」

 その声が、聞こえたと同時くらいに、一人の人物が大股で入ってきた。

「やっと来たか。待っておったぞ」

 その声に反応するかのように、一行の中の人物も応える。一瞬で、少し緊張した雰囲気に変化する。

「右大臣様、本日はこのような場所に招待いただきまして…」

 言葉を途中で制するように、右大臣と呼ばれた男が、手を前に出しながら言った。

「堅苦しい挨拶はよい。いまだに右大臣と呼ぶのは、お前くらいだな日向守光秀」

「日向守と呼ぶのも、お館様くらいです」

 右大臣と呼ばれたのは、織田信長であり、日向守と呼ばれたのは、明智光秀だった。信長の顔が少し微笑んだように見えたが、次の瞬間には、普通の顔に戻っていた。信長は、数年前に朝廷より従二位右大臣・右近衛大将に任じられた。足利幕府は、既に幕府としての体をなしていなかったが、足利義昭が左近衛中将だったため、義昭より上の官位を受けて、形式的にも天下人になるためだった。織田家は、尾張守護でもなく、守護代の家であり、まだ官位や役職が重視される時代では、名目的にも必要だった。


 しかし、近衞という名前がつくように普段は京に滞在し天皇の側で護衛する必要があり、すぐに職を辞している。名目を得てしまえば、全く実利のない官位に未練もなく辞してしまうのも合理的な信長らしい。職を辞していても、その後も右大臣と呼ばれる事も多かった。次に、同じ官職に就く人物が現れるまでは、右大臣と言えば信長という事になる。足利将軍とも交流のあった光秀にとっては、官職名で呼ぶのも普通なのだろう。

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