第7話 「図書館の少女」 その5

「ふぅ~~、終わった~~」


「……」


 今日の分の整理整頓が終わり、時計を見るといつの間にか1時間ほど経っていた。すぐさまスマホを取り出してみると四葉からのLINEの通知がすでに30件。背筋が凍るぞっとした感触が肌をなぞり、僕の手は震えていた。


「やばい」


 今頃、玄関で不貞腐れながら待っている。


 頭に浮かぶ四葉に睨まれるのすら容易な状況。むぅーっと頬を膨らませている彼女が透視でもしているかの如く伝わってくる。彼女が放つ覇気が僕の心を蝕みつつあった。


「あ、えっと!」


「っ⁉」


 帰りたいという焦りからさらに、大きな声を出してしまい、反響する。

 さすがに彼女も聞かぬことなどできないようで、肩をビクンと震わせる。


「——っな、なんですか?」


「あ、その」


「びっくりです……急に叫ばないでくださいよ」


 本に栞を挟み、耳を赤くしながら彼女はこちらを向く。


 ふわりと靡いた黒髪と家庭教師のような赤い丸い眼鏡、男として感じるものが何かある気がした——じゃなくて、早く帰らないと。


「ごめんごめん! その、僕もう行かなきゃだから、先あがるね」


「え、」


「じゃ、またね!」


「——まっt」


 なんとか方向を元に戻して、バックを手に取り、急いで扉を開ける。


 スマホを取り出し、廊下を走りつつ、恐怖のスタンプ連打の返しとして、「今行く」という言葉を送信し、途中で先生に廊下は走るなと注意をされても無視して、僕は四葉の元へと急いだ。


——☆


「あ……」


 彼の勢いは音速だった。


 まるで、妻に脅されて早く帰ろうとするサラリーマンのような足取りでバタバタと教室を後にする。



 ―――――☆



「聞けなかった……な」


 私は後悔した。

 彼の名前を聞くとができなかった。


 他人に向けた後悔など何年ぶりだろうか? 小学生の時の告白以来かも知れない。


 正直、委員会の時に言ってたような気がするが記憶が薄い。なんせ、あの時はずっとミステリーのなぞ解きをしていた気がする。


 ——ん、やばい。

 ——結局何なんだっけ、あれ。やばい、分からない、気持ち悪い。


 最難関と謳われたミステリ小説の壁は私にはまだ高く、それなりに自信のある私が完敗してしまった惨めなナルシストが脳裏に映る。


 溜息を洩らし、閑散とした図書室を一瞥し、席を立つ。


「私も、帰るかな」


 廊下からは自習をしていた男女が幸せそうに話す声がする。リア充、世ではそう呼ぶらしい。手を組む女子生徒の顔は太陽のように明るくて、私では到底及ばない。

 

 あの顔、泥沼に付け込んでやりたいくらい。煮えたぎる腸をどうにか抑えつけようと私は言葉に変える。


「リア充、爆発しろ」


 でも、よく考えてみれば。私にとってのリア充は何も付き合っている男女を指すものではない。そこには、クラスの中で君臨する一軍の非リア陽キャも入っている。


 なぜ、私があんなウザい奴らに頭を下げなくてはいけないのだろうか。意味が分からない、そして——嫌いだ。友達はいつも本で、本だけあればいいはずなのに、ふと現実に戻れば心は空っぽになっていた。


「同感だな」


 すると、声がする。


「うん」


 な、ぜ?


 私は図書室、そしてさっきまでいた彼もいなくなったというのに、声がする。

 それを理解した瞬間、寒気が体中を走った。


「っえ⁉」


「?」


 ばっと振り向くと、後ろ。つまり、図書室のカウンターのところに一人。見知らぬ生徒が立っていた。


 髪は長く、ちょうど右から差し込む夕焼けに染められて綺麗に輝き、豆腐型の眼鏡を掛けて、見た目だけで言えば私のような雰囲気の女子がカウンターに手をついて立っていた。


「だ、だれですかっ‼‼」


「な、なんだよ」


「え、いや、その、急に現れたのでびっくりして……」


「ああ、それはすまん」


「というか、いつからいたんですか?」


「うーん、いつっていうか、ほぼ今だけど」


「え?」


 どうやら、彼女は私が席を立った瞬間に入ってきたらしい。


「枢木ゆり、三年だ」


「——あ、えと、私は二年の烏目椎奈からすめしいな、です」


「ふ~~ん、よろしく」


「は、はい」


「それで、私はこの本返しに来たんだけど、できる?」


「今は——その、終わっているので」


「いいから、できるんでしょ? やって」


「——はい」


 先輩にはどうしようもできなかった。


 ……いや、悪い癖だった。自分よりも強いだろうと思ってしまった者には逆らえない、あの時に付いた悪い癖だった。私と似たような恰好をしているのに、先輩はどうやら我が強いらしい。もしかしたら、私の意味でリア充なのかもしれない。


 そんな下らない考えが及ぶほどに、世界は、その脇役の私は終わっているらしい。


 

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