4日目

女王が不在の内閣は困窮していた。

どれだけ法を整備してもこの国では王の御璽かサインがなければ施行は出来ないからである。

 主の居ない執務室に暫定首相グレンは入室した。

「失礼します」

「おお、グレン」

「おはようございます。マレイ機密院議長」

空席の机の前に長く白い髭を生やした老人、マレイが書類に眼を通していた。

グレンはマレイの隣に立つ背の小さいか銀色の髪をした少女に会釈した。

「これは、スキレン殿下。非常事態に対する要請に際しご協力頂き、誠に感謝申し上げる」

「よいのです。この私に出来る事など姉上に比べたら鳥の羽よりも軽いでしょう」

「ですが我々はその羽よりも軽いものに頼るしかないのです」

「然り。ではスキレン殿下。首相も参りましたのでこれより女王代理の任を殿下が行う閣議決定をこの場で行います」

「議会には提出されないのですか?」

「その為に私がおるのですよ。一応として議会の長である私と、内閣の長である首相が承認すれば閣議決定の最低限の条件はクリア出来ます故」

「通常ならば強権の行使としてかなりのリスクを負うものですがこの事態です。キルマーノック内務卿とフィディック国務卿の抑えが機能して反を唱える者は居りません」

「ではこの書類を」

マレイは半用紙にサインを書くとグレンに渡した。グレンはマレイのサインの隣にサインをしていく。

「出来ました。これで殿下は法的には暫定の女王になります。限定的ではありますが、今はその方が良いでしょう」

「あれほど兄上たちが取り合っていたものがこんなにも簡単に私の前にあるとは複雑な気分ですね」

「私も暫定の首相です。こういう椅子は居心地は余り良くありませんな」

少し皮肉に笑ってグレンは執務の椅子の背を引いた。

「いまリベット国防卿が全力をもって陛下を捜索しております。若い彼です、信じましょう。それまでは女王の椅子をよく堪能なさるのがよろしいですよ」

ゴホンとマレイの咳払いにグレンは冗談だと笑ってみせた。

スキレンはグレンの冗談に少し肩の力を抜いて椅子に腰かけた。思ったよりも固いクッションになっていた。机を手でさする、この席を頂くために6人いた兄たちは皇太子を含めて全員その命を散らした。そのショックから皇后は病に斃れ、父も戦火の中で消えた。そして敗戦後、残された二人の姫の内、姉であるアイラの命も…

 スキレンは首を振って思考を振り払った。そう、今はそんな事を考えている暇は無いのだ。この国を戦勝国に渡した瞬間から生き残った国民は悉く搾取される運命にあるのだから。その前にやれる事は山のようにある。

「では始めましょう」

スキレンの真っすぐな瞳にグレンとマレイは「かしこまりまして」と会釈した。

外は猛吹雪であった。


 薄暗い部屋の暖炉は大きいけれど、燃やす薪は少なく、寒さが支配していた。

アイラは毛布に包まり、暖炉の前の椅子で朝からじっとしていた。

「首相たちは大丈夫かしら…」

「キルマーノック内務卿がおられますし大丈夫でしょう」

ニルスはアイラとは逆にてきぱきと紅茶を淹れていた。

「そうね。今頃リベット国防卿あたりが私を探していて、スキレンが私の代理を務めている頃かしら」

「私にはわかりかねますが、必ず助けは来ます。信じてお待ちになりましょう」

紅茶を深めのカップに淹れてアイラに渡した。アイラは冷えた手を紅茶で温め、ある程度まで冷めてから少しずつ口に運んだ。

「少し薄めにしました。濃いと刺激が強すぎますから」

「ありがとう。でも、おいしいわ」

アイラは半分まで減ったカップの中を見た、波立っていた茶の水面が収まり、自分の顔が映る。

「どうかなさいましたか?」

「いえ…何でも無いわ」


それから沈黙があった。


「たとえ戻っても、この身に斧が振り下ろされることには変わらない」

ぼそっとアイラは小さく呟いた。

「私はこの命を捧げればそれでいい存在なのよ…」

暖炉の薪が少し弾けた。

「私は皆が生きるための糧、夕食に出される為に屠られる羊と同じ…」

独り言をぶつぶつと口にしていた。

「そんな弱気になられてはいけませんよ」

「えっ?」

ニルスは自分のカップに注ぐと暖炉の傍まできてアイラの前の床にペタンと座った。

「実は今日は本来ならばお休みを頂いていたのですよ」

カップの中に嘴を器用に入れて啜った。

「貴方は人間だったの?」

「えぇ。呪われて今の姿に」

「その前、人間だった頃は何をしていたの?」

「今と変わらない事を。とある屋敷で執事をしておりました」

「お屋敷?」

「貴方様と同じ歳くらいのお嬢様のお世話を…貴方様に比べれば遥かに平凡な事です」

「何故、呪われてしまったの?」

「その平凡を大切に出来なかったからですよ」

ニルスは少しだけ笑った。アイラには少し悲しそうだと感じた。

「ごめんなさい。変な事を聞いたわね忘れて。私も覚悟なんてとっくの昔にしたのに情けないわ」

「その様な事はありませんよ」

アイラは少しだけ笑った。

「そうね、信じて待ちましょう。貴方の美味しい紅茶を堪能するわ」


その時だった。固く閉じられた部屋の扉から激しい音がした。

「何かしら?!」

「お下がりください!」

扉に近づいていこうとしたアイラをニルスが制止した時、白煙と共に扉が吹き飛ばされた。



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