3日目

 朝、アイラは外の騒ぎに目を覚ました。

「何事?」

「暴動でございます陛下」

ニルスは淡々とした口調でベッドの側にいた。

「おはよう御座います陛下」

「はい、昨日の発表に反を示した国民が宮廷前広場に詰めかけております」

「なんですって!」

アイラはボサボサに乱れた翡翠色の髪をかき、慌てて窓の方へ駆け寄ろうとした。

「いけません陛下!」

ニルスがアイラを阻むと、窓に石が投げられガラスが飛び散った。外の音が良く聴こえ、民衆の叫びに似た声がアイラに届いた。

「お怪我はございませんか?」

「えっええ…」

「ならば、お召し物を。ロセス、モーレンジィ」

ニルスの声と共に二人のメイドが入って来てアイラを連れて行った。

ガラスが散らかる寝室にニルスは一人立っていた。

「誰が窓士を。すぐに片付けるぞ」

 アイラは着替え終わるとそのまま執務室へ向かわされた。執務室には大蔵大臣のボウモアだけがいた。

「おはよう御座います陛下」

「おはよう、ミセスボウモア」

「外が少し騒がしゅうごさいますね」

「ええ、他の方は?」

「騒ぎに阻まれて馬車が入れないそうでございます」

「貴方は?」

「私はすぐそこに邸宅がありますので徒歩で参りました故」

なるほど。と感心しながらアイラは執務の椅子に腰掛けた。

「では、今日は貴方との勝負という事ですね」

「ありがたき時間でございます」

「では、ニルス」

はっ、とニルスが影から現れた。

「紅茶をお願い。ミセスボウモアにはコーヒーを」

「かしこまりまして」

「では、腰掛けて」

「はい。陛下」

ボウモアは机の前の椅子に座った。

「では、何処から始めようかしら?」

「ではまず、現在の王室の出資状況から申し上げましょうか…」

そうしてアイラにとって長い1日が始まった。

ボウモアとの勝負は大方決着が付いたものの、まだまだ問題が山積みだった。とても、あと数日で片付けれるものでは無かった。

 夜になり、ボウモアが退出した後も暴動は止む事は無く、石が窓を破る音は絶えなかった。

唯一、ニルスの淹れる紅茶は絶品で、その温かさだけがアイラを支えていた。


「陛下、おやすみになられますか?」

「いえ、まだ、これだけ」

机に灯されたランプの灯りだけを頼りに毛布を何枚もはおって、アイラは書類に目を通していた。

「陛下、紅茶を」

「ありがとうニルス。その手で淹れるのは大変でしょうに」

「ご心配感謝申し上げます。わたくしにはまだ指があります故、大丈夫でございます。それに、コックのスペイバーンが手伝ってくれるので高い位置の場所も安心です」

ニルスは片羽を出した。その先は5つに枝分かれしていた。

「おどろいたわ」

「お見苦しい所を失礼しました」

「いいのよ」

紅茶を飲むとその雪のような白い肌が温まり紅くなった。暖炉は薪の節約の為に熾火にされていた。外からの月光が毛布で身を包んだアイラと室内をを温めた。

飲み干すと、アイラは急に眠たくなってしまい、そのままソファーに座ったまま眠りに落ちた。



 気が付けば、朝になっていた。

「…ここは?」

アイラが異変を感じたのは部屋の匂いからだった。

「ニルス…?」

眼を開けるとニルスは居らず、入ったことのないベットに寝かされていた。

いつもなら起きようとすればニルスやメイドたちが待機している気配がある。

「お目覚めになられましたか、我が君」

聞きなれない男の声がして瞬時にアイラの背筋に悪寒が走った。慌てて起き上がると薄暗い見慣れない部屋にいた。ベットの足元の傍に老人が背筋を伸ばしてたっていた。

「おはようございます」

老人はアイラと眼が合うと同時に跪いた。アイラは目を見開いて老人を観察したあと、一呼吸を置いてから静かに口を開いた。

「首を上げなさい…貴方は?」

老人は再び立ち上がると少し笑った。

「大変な無礼をお許し頂きたい。私はベンリアック=バーニ。先王君に男爵に叙された者にございます」

「男爵、これは一体なんの催しか」

アイラは心の悲鳴を押し殺して(君臨者)としての態度で声を発した。

「未だ初夜を迎えぬ御方を我が屋敷の寝室に追いやった無礼、後で幾らでも罰をお受けいたします。ですが、今はどうか此処におとどまり下さい」

「貴方、一体これがどういう意味をもたらすのか分かっているの?」

「私には貴方様のお命以外に」

「もし、私がこの首を差し出し、この血を持ってけじめをつけぬ限り、我がザネトリカの多くの臣民の血が流れるのよ」

「流すのは爵位も持たぬ者だけでございます。真なる忠誠心を持つ者は失われませぬ」

「貴様…!」

寝起きだというのにアイラは渾身の力でベンリアックに殴り掛かろうとしたが、ひらりとかわされ、床に倒れた。

「大丈夫でございますか?」

ベンリアックは心配の声をかけはするが、決してアイラとの間合いは詰めなかった。

「失礼、私は軍部の人間でしてな」

「…」

アイラは伏したまま黙り込んでしまった。

「一通りお時間を過ごせる物は揃ってございます。お世話をするものはおりませんが何卒おとどまりくだされ」

ベンリアックはそれだけ告げて部屋を去っていった。

「…ぐぅっつ!」

アイラはやりきれない怒りに床を殴った。拳から血が滲むと痛みが走った。

「あのケダモノが守りたいものは、己の地位と体裁だけではないのか!」

悔しさで痛みの走る拳を更に握る。爪が刺さり、血が絨毯に広がっていった。


「よいしょ…ふう」

「!」


乱雑に毛布が散らかるベットから声がした。

「陛下、それ以上ご自分を傷つけるのはお止めなさい」


「ニルス!?」


毛布からニルスが出てきた。

「な、何故?ここに?」

「いや大変でした。昨夜の暴徒の宮廷侵入で皆が対処する中、貴方様をあのご老体が連れ去ろうとした所を必死に追いかけて気配を消しながら共にこの部屋に入るのは。人間の姿で無くて助かりましたな」

ペタっとベットから降りると近くのカーテンを破、高級酒をとって大きめの容器に注ぎ、アイラの下に来た。

「手当を。応急処置ですが」

アイラは起き上がると力が抜けたようにぺたんと腰から落ちた。

「立てますか?」

ニルスにアイラは放心しながら首を横に振った。

「ではここで手当を。お手をお出しくださ


声を遮るようにアイラはニルスの小さな体を抱きしめた。

「……あいがとう…!」

倒れた容器から酒が散乱し手の血が垂れようともアイラは目一杯ニルスを抱きしめ続けた。

「苦しゅうございます……」

ハッとしてアイラはニルスを離す。

「ごめんなさい」

「いえ……」

ニルスは何も無かったように容器を傍付きのトイレに流して洗い、酒を入れなおすとアイラの手当を始めた。

「傷に響きますがお耐えください」

カーテンの切れ端を酒をつけて傷口を拭っていく。酒がしみ、アイラは悶えた。

次第に慣れるとニルスが先ほどの零れた酒で汚れている事に気が付いた。

(いや、他に怪我もしている?)

紫の酒以外にその黒く艶やかな毛並みが少し赤みがかっていた。

「終わりました」

ぎゅっとカーテンを包帯代わりに手に巻き終わると、痛がる様子も無くニルスは容器を後始末を始めた。

「待って!」

アイラは立ち上がるとカーテンを破って、ニルスに駆け寄った。

ニルスの真似しカーテンに酒を染み込ませ、ニルスを拭いていく。白い布はアイラの血よりも遥かに赤黒く染まっていた。

「やっぱり。貴方も怪我をしていたのね」

「大したものではございません」

「いいから」


アイラは暖炉の傍でニルスを手当てした。

「お手を…ありがとうございます」


薄暗い部屋で、破れたカーテンの隙間から白い光が二人を照らしていた。








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