第23話 トキ!

 だが大音量のカラオケが遠ざかると今度ははっきり聞こえた。

 男の子の声、


「トキ」


 髪の長い少女がヨシの前にいた。ストレートなマテアム特有の華やかさを秘めた子だ。特徴の有る黒い瞳にかわいい口元。詰め寄る男の子がまた乱暴に言った、


「トキ」

「いやよ」


 そっぽを向いた幼い女の子はヨシと眼が合う。目鼻立ちのはっきりした賢そうな顔で、にっこり笑いヨシの傍にやって来ると、片手を差しだした。おもちゃまがいのレーザーペンを持っている。


「買って」

「いや、いらない」


 ヨシはそっと首を振った。

 大きめなサイズのビーチサンダルを履いて、かわいらしい白い花柄のワンピースを着たその女の子が言った。


「ねえ買って」


 ヨシはまた首を振る。


「いらないよ」

「買ってくれない」


 再び女の子が小さな声で言った。その大きな瞳が、じっとヨシの目の奥を見ている。


「幾らなんだ?」

「二百ビート。このペンはとっても綺麗なのよ、だから……」


 トキと呼ばれた少女は、そのふっくらとしたかわいい顔でまっすぐヨシを見ている。


「分かった、二百ビートだな」


 ポケットから取り出した百ビート紙幣の二枚を女の子に渡す。代わりにペンを差し出したその子の指がヨシの手にわずかに触れ、


「ありがとう」


 そう言って柔らかな笑みを浮かべた。

 男の子の側に戻り、振り返ってヨシを見る彼女の顔に浮かぶやはりトキの面影。

 テーブルの上には銀色に光るレーザーペンが残された。

 けだるく、

 時間の止まった、

 路上に、

 物売りの者たちが歩いている。

 ドリンクの支払いを済ませ、ヨシはアンと一緒にゆっくり歩きだした。

 露店に色とりどりのシャツがきれいに並べられている。

 立ち止まったアンがヨシの方を向く。

 一枚のTシャツを片手に取り、後一枚を胸に当てた。


「これどうかしら?」

「うん、いいんじゃないか」

「じゃあ、こっちは?」


 アンは真剣な顔でシャツを取り換え始めた。


「うん、いいと思うよ」

「似合ってる?」

「うん、いいよ」

「ほんと?」

「うん」


 アンが露店の女に代金を渡す。また狭く暗い歩道を歩きだすと、両手にぬいぐるみの商品を抱えた子供がやって来た。


「あ!」

「え、どうしたの?」


 立ち止まったヨシにアンが声を掛けてきた。


「忘れた」

「何を?」

「あのペンを持って来なかった」


 ヨシは今来た道を見ていた。


「引き返しましょ」

「いや、もういいんだ」


 戻ろうとするアンの手を握って止めた。


「行こう」


 どこまでも続く雑踏、二人が再び歩き出したその時だった。


「トキ!」


 後ろから男の子のさけぶ声、


「ウッ!」


 振り返るとぶつかるように飛び込んできた女の子。

 抱きとめた、

 ヨシを、

 じっと、

 見上げている。

 もうヨシにははっきり分かった。まちがいない、この子の身体にはあのトキと同じ血が流れている。


「トキ」


 呟いたヨシを見つめる、少女のかわいい唇が動いて、何か言おうとした。

 その時、


「トキ!」


 再びさけぶ男の子に身体をねじり振り返った女の子は、ヨシの腕の下をすり抜け走り去って行った。女の子の消えていった歩道を見つめるヨシを、アンが強く抱いてきた。



(なんで今言わなかったの?)

(…………)

(愛してたんでしょう)

(…………)

(打ち明ければよかったのに)

(だって、子供だったのよ)

(それはそうだけど)


 片方のトキはやっと胸の内を話した。


(やっぱり言えなかった。あのひとにトキは一人だけ、子供のトキじゃないわ)

(それもそうね、気分を変えましょ。次はどこ行こうか?)


 妙に明るい声だ。


(どこでもいいわ。あなたに任せる)

(そう、じゃあ、その前に一つ言うわよ)

(なに?)

(もう、おもいっきり泣いちゃいなさい)

(わーーーーーーーーーーーーーーーん!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トキは転生の旅を続けていた @erawan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る