第9話 いいのが見つかったかって聞いてんだ!

 船長の後ろ姿が見えなくなると、続けてドアの外に出た機関長が手招きをした。


「ヨシ、ちょっと来てみろ」

「へ?」

「へじゃないんだよ、こっちへ来い」


 国民ナンバーはYOSIDDNKJPで始まるのだが、結局通称名ヨシで通ってる。

 ナンバーはマテアムの血が少しでも混じっていれば、バイオロイド登録管理局から機械的に付けられる記号だ。管理局は今では国境を越えているのだが、マテアムの無秩序な繁殖を防ぐという勝手な名目で設置された。

 自分たちの都合で創っておきながら、いい気なもんだ。今度は増えすぎを心配している。

 船では唯一のバイオロイドだが、厨房長は論外として船長も機関長もマテアムに偏見はない。厨房の外に出ると、ハート型になりつつある口が近づいてきた。


「どうだった?」

「え?」

「このやろう。しまりのねえ声を出すんじゃ無いじゃない!」


 見下ろすように立っていた機関長は、いきなりヨシの首をごっついグローブみたいな手でつかみ、グビグビと揺すり始めた。


「うぐっ」

「うぐっじゃないんだよ。なにをすっとぼけてんだ」

「ちょ、っと!」

「夕べはナナから朝帰りだろう、いいのが見つかったかって聞いてんだ!」


 機関長の口はもう完璧ハート形。わずかにのぞかせた白い歯を見せ、首振り人形みたいに揺らしている。


「あ、いい子が、いました、よ」

「そうか、行くぞ」


 やっと手を離すと、今度は頭を上からがっと掴んだ。


「どこに行くんですか?」

「いいから、ついて来い」


 ヨシは髪の毛をなでながら後に続いた。

 幅一メートル強、天井に配管の張り巡らされた通路を行く。重機形アンドロイドのような巨体が先に立って、遠慮のない靴音を立てる。やがてアイボリーホワイトに塗られたドアの前に立つとレバーを引いた。


「やっぱりな、奴はよっぽど急いでたんだ、ロックもしてないぞ」


 頭をかがめて入ろうとする。


「ちょっと、まずいですよ、ここは厨房長の部屋じゃないですか」


 機関長は返事をしない。仕方なく後に続き、狭い室内に入った。

 壁に取り付けられたベッドが有り、床に固定されたテーブルには縁に滑り止めが付いている。厨房長の部屋といってもありふれた船員の個室で、特別目につく物はない。

 機関長は机の上に置かれた印刷物をめくり始めた。


「駄目ですよ、早く出ましょう!」


 大きな身体を小さく丸め、今度は引き出しを開こうとする機関長を、引っ張るようにして通路に戻った。



 その日の夕刻だった。

 突然ハッチを開けて現れた機関長が赤ら顔を崩し、見事なハート形となった口を見せた。


「厨房なんかほっとけ」

「すぐ終わりますから」


 ボスからの連絡はない。結局厨房長は姿を消してしまった。


 ヨシは機関長とナナにやって来た。チャンスさえ有れば何度でも来たいエリアだ。一旦船が港を出てしまえば、もうどうあがいても陸には上がれないからな。ゲームみたいに、リセットしてもう一度なんて都合の良いことは出来ない。

 揺れない地面の上を歩いて好きなところに行けるのは今しか無いのだ。夜だから日陰を選んで歩く必要はない。それでもうだるような空気に包まれた通りを歩いていく。ドアを開けっ放しの低料金バスが露店の脇をぎりぎりに通り過ぎ、路地裏に溜まった熱までもがどろりと歩道に溢れて出てきている。


「レディー!」

「いらんよ」

「レデ――」


 機関長を見上げた男が、いかがわしい写真を持つ手を引っ込めた。

 世の中がどう変わっても、この雑踏やそこにうごめく者たちは己の世界をしたたかに生きている。新天地を求めて地球を飛び出し、火星を目指したりするような先端社会とは別なパラレルワールド。変わりゆく時代の頂点に身を置く者と、幾世代も変わりない生活をおくる者とが共存、文明のタイムラグは世界を多彩に彩っているのだ。

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