第5話 私を選ぶ?
爆音だけが響く深夜の路面をむきになったように走り続けていたトクチャーも、やっとスピードを緩める。
やって来たビル街の一角。交差点を曲がるといきなり目の前に異様な女たちの群れが出現した。その脇をゆっくり進んで行き、トクチャーを停めた男が振り向く。アユタヤ政府公認の特殊区域、通称ナナと呼ばれるナイトワールドの前に来ていた。
握りしめて硬くなり、震動でじんじんしてきた指を手すりから離す。
まだ耳にトクチャーの騒音が残りこだましている。
腰のポケットから百ビート紙幣を出して一枚渡した。金を丁寧に折りたたみ、腹に巻いた財布にしまった男がまた声をかけてきた。
「キャプテン、レディー」
「――」
「ナ~ナ~、ナイスレディー」
男を無視してトクチャーを降りると、目の前に小さなバッグを肩から提げて所在なげに立つ女がいる。こちらが目線を合わせて笑いかけ、後は交渉をすればいいだけの女だ。
次に現れた女は突然立ち止まり、やって来た方角をにらみ何か叫んだ。重く生ぬるい空気で満たされた歩道を、また険しい顔のまま歩き出す。剥き出しになった両肩、柔らかそうで豊かな胸元。首筋から乳房にかけて呪文のように彫られた青黒いタトゥーが、揺れながら移動していく。ぴっちりとしたワンピースのなだらかなボディライン、いや身体のラインどころか下着のラインまで斜めに浮き出ている。徐行する車のヘッドライトに照らされ、車道を自分の庭のように歩いていく。
辺り一面の女、
女、
女、
「あなた」
ここの女たちにとって知らない男に呼びかける便利な言葉だ。すれ違う度に次々と声を掛けてくる。
「ねえ」
中にはいきなり腕をつかむやつもいる。
タトゥーの女が向かう先には、三階建ての前近代的な建物が派手な電飾に埋もれて建っている。後を追って道を横切り、わいざつな歩道で肉を焼く露店の脇を通る。
シースルーのドレスでそこに立つ女、人目も気にせず真っ赤な口紅をかばって白い歯をむき出し、串に刺さった肉を喰らう。隣には薄青いアイラインを際立たせ、見つめてくる女。
なまめかしい下半身を揺らして何度も行き来する女たちが、車のクラクションとバーから流れる、ビートの利いたサウンドが交差する空間に群れていた。
正確に言えばバイオロイド・マテアムの若い女たちが。
ヨシの所持するIDカードの血液数値は二十五パーセント。ハーフの母親からマテアムの血を受け継いでいる日本人だ。
新しい種の人間を意味しているマテアムの出現は、今世紀最大のニュースだとささやかれた。
バルンテープの街中では人間のように歩き動く機械人間も、日本と変わりなく見掛ける。産業プラントや荷物の集配等で地道に利用されるアンドロイドだが、バイオロイドと比べれば連中も影が薄い。
「キャプテン、レディー!」
トクチャーの男がまだ叫んでいる。人の気持ちを考慮する気はさらさら無ようだ。
「ナ~ナ~、レディー!」
「ばか、早く行け」
歩行者まで勝手に行き交う車道を巧みに切り返すと、日に焼けたカマキリのような顔で笑いながら、手を高く上げて見せた。
やっと走り去っていくトクチャーから目を離し、ゆっくり周囲を見渡す。
一段高い位置に立つオープンバーからは女たちの遠慮のない嬌声が響いてくる。
そばにファーンと呼ばれる欧米系の男たちが、根を張ったように座っている。タトゥーを彫った巨体をもてあまし、昼間から酒浸りの連中で西洋人なんて上品な言い方は似合わない。本国でもあぶれたか、バルンテープの夜にどっぷりと嵌まったような連中だ。
頭上には古めかしい電飾が輝き、黒地にピンクでホットガールズのネオンサイン。雨上がりの路上だが、辺りに行き場のない熱がどんよりと溜まっている。
暑っ苦しく肥った野良犬が、
人前をけだるそうに横切り、
さて何をしようかと思案顔だ。
極端に短いスカートの女が声をかけてきた、
「あなた、どこに行くの?」
「うん、ちょっと。そこまでだ」
「日本人?」
この国で日本人は人気がある。
「そうだよ、君はアユタヤ人だ」
「ふふっ」
「歳は幾つ?」
「二十二よ」
どう見ても三十は超えてる。マテアムは早く歳をとるから、中にはこんな手合いも混じっている。成長が早く、年をとるとその差が出てくる。極端に短いマテアムもいるらしいが、なぜ改善しようとしないのか分からない。バイオロイドやマテアムの歴史につきまとっている闇の部分だ。
特に純粋なマテアムは早熟で寿命も比較的短く、五十パーセントの血でもその傾向が現れ始める。
クローンの時代は寿命を決める細胞分裂の残り回数が問題だったが、血が混じることで解決したように見えた。しかし早熟で短命だとの指摘はバイオロド、マテアムと技術革新が進んでもなぜか消えなかった。
細い通路になっているワールド入り口を、タトゥーの女が腰を揺らし、ネオンが反射する水溜まりを避けながら入っていく。
短い路地を抜けると中庭が有る。スタンドバーを兼ねたその空間を囲むように、各階がテラスのような通路になっている建物が現れる。一階でいくつも並ぶ店の前を通って行くとまた何度も声をかけられる。
「あなた、かわいい子いるよ」
「うん」
「マテアム、ナンバーワンの子だよ」
「またな。後で」
何軒か通り過ぎたある店の前。
入り口にいたセキュリティの男が目隠し用のカーテンをつかんで広げ、無言で招き入れた。
冷房の効いた暗い店内で心臓を揺さぶるようなサウンドに包まれる。正面と左右には腰ほどの高さにステージが設置され、店の半分近くを占める。細長い踊り場はカウンターも兼ねた作りで、背後の壁に面した所はボックス席になっている。
客をかき分け進むウエイトレスの後に付いていき、ステージ前でカウンターチェアーを手前にずらして座った。
「…………」
席まで案内してきた女が黙って注文を待っている。
炭酸系のソフトドリンクを頼む。
このようなシーンで、肘をついてニヒルに「ビール」とでも言えれば良いのだが、酒は苦手なヨシだ。
だが女が去ると、関心はすぐ目の前で展開されている悩ましい肢体に向かう。ステージ上でポールを握って踊り続ける女たちの数には、何度来ても圧倒される。皆極小のビキニを身に着け、膝まで有る黒いブーツを履いて、手を伸ばせば届くほどの位置に立っている。
店内を揺るがす騒音のようなサウンドが、半裸で林立する女の子たちを包んでいる。細いヒールのブーツが、ヨシの指先で優雅に滑りビートを刻む。ポールを両手で掴んでじっと見下ろしていた女が、膝をじょじょに曲げて目の前に降りてくる。
その薄い唇がほぼサイレントに動いた。
「私を選ぶ?」
言い終わるとにっと笑い、流し目をくれながら再び長い髪を揺らして踊り出す。見上げているからか抜群のスタイルだ。さらに隣に立つ、濃い肌の色をした女は、弓矢を持たせたらアマゾネス。野生味を帯びたボディをピンク色のライトにさらして、セクシーな動きを見せている。
「おまえらどれにする?」
「――」
「――」
「――」
「どれでもいいぞ、みんな好きなのを選べ!」
突然の大声だった。背後で数人の男たちがステージを見上げている。
店内のサウンドにも負けない男の声が響く。
「あれなんかどうだ?」
ポールを掴んでいる少女の一人を指さした。
口を開けたまま声が出ない男たちからステージに目線を戻す。すると端の方から、遠慮がちにヨシを見ている女の子に気がついた。長い黒髪を斜めに流して微笑んでいる。
瞬間、
ヨシの目はその子に釘付け、
他の女性たちが視野から消えた!
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