第3話 人の前で脱いではいけないの?
古ぼけたビルの四階にトキは連れてこられていた。一階と二階はステージやボックス席のあるショーを見せる酒場で、三階は倉庫同然になっている。
雑然とした狭い事務所で、椅子にドカッと座った男の背後には、浅黒い顔をした眼光するどいボディーガード。
「上玉なんだからもっとはずんで下さいよ」
タイムはトキを気にして声をひそめ言った。
「今時稼ぎたい若い子はわんさか居るんだ。この値段で嫌なら他に行きな」
椅子の男が無表情で答える。
「ちぇ」
どうせ向こうから飛び込んできた、ただで手に入れたカモ。いくらだっていいってのが本音だ。
金を握ったタイムが振り返った。
「悪く思わんでくれよ。これがおれの仕事なんでね」
トキに声を掛けさっさと部屋を出て行ってしまう。
(何なのここは?)
(さあ)
タイムが出ていくと、ずんぐりした男は小さな衣装をトキに渡して言った。
「これを着てみろ」
トキは興味深くその布を開くと、両端を持ってビンビンと二度ほど引っ張ってみた。結構伸びる。
「とっとと着るんだよ。俺は忙しいんだ。イライラさせるな」
(これに着替えればいいのね)
(そうみたい)
トキはスカートをストンと落とした――
「ちょっ、おまえ、バカか。なんで男の前でいきなり裸になるんだ!」
「え、だって」
「そこにトイレが有るだろう」
(人の前で脱いではいけないの?)
(そのようね)
服を拾い、急いでトイレに入った。同じような若い女の子が数人メイクをしている。トキを見たブルーの瞳を持った女の子が声を掛けてきた。
「聞こえたわ、あなた新人ね」
「…………」
「今ここ女の子ばかりだから、遠慮しないで着替えなさい」
女性専用というわけでもなさそうな狭い所だ。
「私はアンよ、あなたの名前は?」
「トキ」
「そう、よろしくね」
皆どうやら同じように連れてこられた子たちのようだった。
*
一方こちらはトキの現れた時間と場所とがほぼ同じ、アユタヤの首都バルンテープ。酷く暑い日差しも消え、街の中央を流れる河の対岸に明かりが灯り始めたころ。火星に向かう最先端のスペースシップとは比べようもないが、解体寸前のポンコツ外航船が岸壁に係留されている。赤茶けた船首には龍城丸という船名がかすかに読み取れる貨物船、カーゴシップだ。
「ちくしょう、なんだこのくそゲー」
ベッドサイドに立つバーチャルガールが、ゆうれいのように揺らいでいる。ボインに伸ばした指先がめり込んでもガールは反応を示さない。
「なんだってこんなくそゲーなんだよ、まったく!」
情け容赦なく出てくる驚きのバグ。超格安のあやしい海賊版ソフトをダウンロードした。【貴方の指先が織りなす未体験なハーモニー。繊細な反応で答えるバーチャル・ガール】なんてうたい文句に釣られて買ったものだった。
男は二十歳、ここでヨシと呼ばれている。
ベッドと簡単なテーブルだけの狭い船室で気晴らしはゲームしかない。
だが最新式のホログラムとはいっても、女の子を外に連れ出すなんてことはさすがに不可能だ。部屋の中だけでするバーチャルな恋愛ごっこしかない。
「もう、頭にきた」
コントローラーを腕から外して、「くそ」っと投げる。結局また拾う。もう何度同じ事を繰り返しているか。
バックパックを担いで日本を飛び出したのは一年前だった。バルンテープの港でひょんなことからこの日本船に乗るようになったが、暇な時間はまだゲームが手放せないでいた。
しかし、どんな世界にも必ずいやなやつが一人くらいはいるものだ。
一日の仕事が終わった夕暮れ時、ヨシはそいつの前で神妙に立っている。葉が全て落ちた小枝みたいに、痩せて貧相な男だ。心服しているわけではもちろんない。
「やんなっちゃうよな」
「なんですか?」
「今月の仕入れ計算だよ」
鉄の壁が四方から迫る独房のような船室。狭いのはヨシの部屋と同じようなものだが、それでも息苦しく感じるのは目の前にいるこの男のせいだ。メモ書きらしいものを前に、背中を丸めた厨房長が椅子に座っている。人の僅かなミスを待って怒り出すいけすかないやつだ。
いつものように愚痴が始まった。
「オレは船長みたいな学が無い、だからやっと書いた報告書を持って行ったんだ」
船を渡り歩いてきたというボスだ。以前はここでたった一人の厨房員だったらしい。はっきり言えば雑用係で、コックを兼務するただの何でも屋だ。細い腕を上げ頭を掻き毟っては、いつまでも一枚の紙切れを見ている。
「あの人はオレの目の前であっという間に計算しちまった」
「あの」
その声に厨房長は顔を上げ言った。
「おまえと違ってオレのような立場になるとな、計算なんだ」
ボスはしたり顔で話してくる。
「報告書を書いたり、事務作業がな。計算したり、いろいろ有るんだ」
こうなるといつまで続くか分からない。これ以上聞いている気はなかった。
「おまえに言っとくが人間はな――」
「今からシャワーを浴びて行こうかと、もういいですか?」
「ナナに行くのか?」
「そうです」
ボスの顔はゆっくり下に向くと止まった。
そのまま動く気配がない。
「じゃあ、もう行きます」
後は無言で部屋の外に出る。
「遅くなっちまった。なにが計算だ、一年でも二年でもずっとやってろ!」
狭く急な階段を一気に駆け下りた。
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