第2話 このひらひらはスカートっていうのね
恒星も消えた漆黒の宇宙に、ユニットから分離し、左右の脳が合体したトキは居た。博士に作られた時から、外側の身体は借り物のような気がしてはいた。でも今は自分自身しか居ない。
右脳と左脳はもともと四億の神経線維回路を通して通信し合っていた。今は左右の脳を取り巻くすべての情報はエネルギー映像となって感知認識され、トキの意識世界に導かれる。
右脳が感覚的・直情的に判断行動するのとは違い、左脳は物事を系統別に考えることを得意としていた。経験に基づいて総合的な情報を分類整理して行動へと移行する。
しかし今二人の脳内を駆け巡る認識波は、内面の世界と外の世界とを繋ぐ完璧な美しい宇宙の生命体として存在していた。エネルギーに満ちた、二つの心を備えた新しい超生命体として生まれ変わったのだった。
――博士には私の身に何が起こったのか、全てをお話ししたいのに――
姿形はなくとも、この時空の先を見つめるようにしている意識以上の存在が、確かにそこにあった。トキは自身に起こった出来事の全てを博士に報告したかったが、それは叶わなかった。
宇宙の無限かとも思われる時間も、もはやトキにとっては意味をなさないものとなっていた。膨張していた宇宙が収縮に向かうと、ビッグバンへのカウントダウンが始まる。
新しい宇宙が生まれては消えまた始まる。限りなく続く新たな生命の誕生に、トキは時間を飛ばすこともしないで見入っていく。そのうぶ声を聞きわが身を浸すことに、なぜか強い興味を持ち始めた。
何度目の宇宙だっただろうか。
青く澄んだ美しい惑星が現れると、トキはその魅力的な色合いに魅せられた。そこで土地の生き物になるため降りてみることにした。
トキは時空を超えて自由に何時でも何処にでも移動出来るようになっていた。
とりあえず目に入ってきたものに、
「ブヒ」
「なんでこんなのに入ったのよ!」
「だって」
「ブヒ」
乗り込んだそいつはずんぐり胴体に足も短い。気のせいか、出る声もなんだか感じわるい。だけど左右が合体した今は一緒に行動するしかない。
「なんかぴんとこないわね」
「こないわねどころじゃないわよ!」
と、
「バサ」
茂みから飛び立った鳥がいる。
ピンポーン、これだ。
さっそくブヒから乗り移ったトキは、さらに満足するまでアップグレイドを始めた。
「ちょっと、こんなの自然じゃないわよ」
「いいの」
「光ってる鳥なんて聞いたことがないわ」
至宝のダイヤモンドでさえ、くすんで見えるのではないかと思われるような輝き。
「トレンドは私たちが創りだすの」
「…………」
既にヒトが暮らし始めた集落から少し離れた岩の上。羽根を伸ばしてくつろいでいると、いきなり脇腹に衝撃が走った。
振り返ると、弓を手に近づいてくる者がいる。
トキは男の顔をキッとにらんだ。
目の前で弓を放り出し、興奮して声を出す背の高い若者。
「やった、捕まえたぞ」
長く黒い髪を後ろに束ね、日焼けした顔や肩まで出した腕がみょうに眩しい。トキは戸惑いを隠せなかった。これまで一度も味わったことのない、生まれて初めて知る不思議な感情が込み上げてきたからだ。
「あなたは猟師なの?」
突然話しかけてきた鳥に男が固まる。
「今喋ったのはおまえか?」
鳥はゆっくり向きを変えた。
「逃がさんぞ」
「無駄なことはお止しなさい。あなたに私は捕まえられない」
「なんで人の言葉を話せるんだ」
「言葉を使って話しているのではないわ、あなたの心に直接伝えているのです」
トキはどんな言語も直ちに理解し使う事も出来るが、意思を直接伝えることにした。
「なにを言ってる。珍しいやつだな、逃がすもんか。ぜったい捕まえてやる」
だが逃げようともしないでトキは話をつづけた。
「待って、もっとお話しをしましょう。きっとあなたも」
「ええい、うるさい!」
若者は火のように輝いている鳥に向かって飛び掛かっていく。
トキの目に軽い失望の色が浮かぶと辺りの景色は一変し、時空がゆがんだ。
珍しい獲物を取り逃がしてしまった男は村に帰る道すがら、
「くそ、どこに行っちまったんだ」
突然消えた鳥に当惑していた。
「確かに居たんだ。燃えてるみたいなやつだった」
若者がどんなに詳しく話しても、
「火みてえに燃えてる鳥だとよ」
村人は笑って相手にしなかった。
トキが時空移動した先のスピードウエイで、助手席に女性を乗せた車が走っている。
「この乗り物は素敵ね。こんなに早く走れるなんて。足が何本付いているの?」
運転席の男は何かが身体の内側に訴えてくるような不思議な感覚に、隣に座る女性の顔を見た。手を挙げるこの子を見掛け、急停止して乗せたすぐ後だった。
「きっと今長い脚が出ているんでしょう」
「――ははは、面白い子だ。気に入ったよ、そのジョーク」
一度声を聞いてしまえば、後のコミニュケーションは言葉を使えばいい。トキはゆっくり車内を見回した。
「この車はランボーナギ~ニ。数世紀も前の車をモデルに造られたものだ」
ガソリンは既に乏しいから、模造された燃料で動いている。
「なんなら運転してみるかい?」
タイムはいたずらっぽく言った。
「だめ、運転したことないの」
「君の名前を教えてくれるかな?」
「トキよ」
「トキだって、おれはタイムだ。こりゃ相性がいいや!」
(イケメンだし、いい感じじゃない)
(調子いいだけよ)
「何か言ったか?」
「いえ、何にも」
「それにしてもびっくりしたなあ。首都高速のど真ん中でヒッチハイクだなんて」
(こりゃ上玉が飛び込んできたもんだ。高く売れるぞ)
「何か言った?」
「いや、なんにも」
トキは直前に通り過ぎた車の若い女性が気にいっていた。
――このひらひらはスカートっていうのね、ブヒや鳥よりずっといいわ――
「だけどもうやらないほうがいいぜ。危ないからな」
タイムは上機嫌で外を見た。
「おっとこれは事故か、運転手が居ないようだが」
たった今中央分離帯に激突したばかりらしい車の横を、真っ赤なランボーナギ~ニが走りぬけていった。
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