第25話
目的のトラックは、すぐに視界に飛び込んできた。海産物の卸売業者のロゴの入った、派手な大型トラックだ。
「冬美、周囲を巻き込まずにトラックを横転させられるか?」
「やるしかないんでしょ」
そう言って、冬美はタイル張りの地面を蹴った。タイルが弾け飛び、小さなクレーターがそこにできる。
冬美の接敵速度は驚異的だった。まさに一瞬、いや、瞬きしなくとも目視できない速さ。その跳び蹴りを助手席に受けて、トラックは呆気なく横転した。
助手席に隊長が乗っていたようだが、まあ死んではいないだろう。
それより重要なのは、十二名の隊員から一人、それも司令塔を脱落させたことにある。SATとて警察組織だ。命令系統がやられれば、統率は取れまい。
後部ハッチが開き、切羽詰まった表情の隊員が出てくる。その先頭にいた男に、俺は思いっきりハイキックを見舞った。
一瞬で倒れ伏す隊員。奇襲すれば、このくらいは俺にだってできる。俺はしばし、気絶させた隊員を盾にし、彼の手にした自動小銃で銃撃。足元を狙う。牽制だ。
すると、
「おんどりゃあああああああ!」
斜め上方から冬美が後続の隊員に蹴りかかった。彼女こそ、今この場で動ける最速の存在だ。
俺はわざと、自動小銃を真上に向けて乱射した。弾倉一個を使い切る。これで周囲の野次馬は散ったはずだ。
俺はペーパーナイフの一薙ぎで、隊員と自動小銃を結んでいたベルトを切断。小銃を取り上げ、隊員の腰元から弾倉を頂戴する。
「待て、撃つな! 民間人を巻き込む恐れがある!」
「隊長! 隊長は?」
「気を失ってる!」
そうこうしているうちに、SATはその人数を急激に減じていった。俺の牽制射撃と、冬美の弾丸空中蹴りによって。
全員の気絶を確認した俺は、冬美に向かって頷いてみせた。開きっぱなしになった後部ハッチから荷台に身を捻じ込む冬美。
「姉ちゃん!」
冬美の声が木霊する。
「姉ちゃん! 大丈夫か?」
すると、暗い荷台から夏奈が姿を現した。負傷はしなかったらしい。
「冬美、一体どうして……?」
「姉ちゃんを助けに来たに決まってんでしょうが!」
ばちゃり、と水溜まりに降り立つ夏奈。
「あ、涼真……」
「夏奈、時間がない。落ち着いて聞いてくれ」
俺は、夏奈に語って聞かせた。人権保護団体の船が、近所の港に間もなく寄港するということを。
冬美は、決意表明をして見せた。死者を出すような戦い方は二度としないと。
しかし、夏奈の表情は曇ったままだ。
「冬美、あなたはどうして、突然死者は出さない、なんて言い出したの?」
怒りと困惑の混ざった顔つきで、キッと冬美を睨む夏奈。
冬美は正直だった。障壁破りのABC装備の登場で、戦いが困難になったのだと、淡々と述べたのだ。
「だから、しばらく姉ちゃんとは休戦。障壁破りを防ぐ方法ができるまで、あたしも無茶はしないよ」
だが、その諦めきった、しかしどこか清々しい顔を見れば分かる。冬美はきっと、二度と死者を出すことはしないだろう。たとえ障壁破りの対策ができたとしても。
「よし、後の話は走りながらだ。岬は近い、行くぞ!」
「さて、そう上手くいくかな、鬼原涼真くん?」
「ッ!」
唐突に響いた、朴訥とした声。その声音は耳に優しく、しかし不気味な自信に満ち満ちていた。
「坂畑雄平、先生?」
そこに立っていたのは、誰あろう古典の坂畑教諭だった。
「ど、どうしてあんたがここに? いや、ここをどうやって……?」
「これを見てくれ」
二十メートルほど前方から、坂畑が携帯端末を放り投げる。結界が張られ、雨宮姉妹は臨戦態勢に入っている。攻撃される恐れがないと判断した俺は、坂畑から目を逸らした。受け取った端末の画面に見入る。
そして、驚愕した。
そこに映っていたのは、夕子だった。椅子に縛りつけられ、猿轡を噛まされている。そばに映っているのは、
「さ、斎藤、あいつッ!」
あのゴリゴリ頭で眼鏡を掛けた、人懐っこい少年だった。拳銃を夕子に突きつけている。
「何をする気なんだ、坂畑! どうして俺たちの邪魔をするんだ!」
「邪魔をする? 失礼な物言いだね、鬼原くん。私は平和主義者だ。しかし、平和を維持するには反対の行為、否、代償が伴う。闘争だ」
「お前、斎藤を使って俺に探りを入れていたんだな?」
「ご明察。お陰で、学校近所にあると睨んでいた情報統率官の居場所も把握できた」
「ッ……」
まさかこんな形で、夕子を人質に取られるとは思ってもみなかった。
俺は短い深呼吸をして、話を戻した。
「どうして夏奈や冬美の脱出を妨害するんだ?」
「我々魔術師は、魔を以て魔を滅することを宿願とする。人間の言うところの、毒を以て毒を制す、というやつだ」
「魔術師、だって?」
それだけでは理由になっていない。俺が目でそう訴えかけると、坂畑は頷いた。
「魔女を二人も、みすみす逃がすわけにはいかん。我らが魔術師――魔滅師の沽券に関わる」
「ま、魔滅師……」
「百二十年前は母親だけだったが、今回ばかりは逃がさんぞ、雨宮夏奈、雨宮冬美。世界平和のために、貴公らの魔法は危険すぎる」
その一言に、夏奈がはっと息を飲んだ。
「まさか……!」
「そうだ」
坂畑は無表情で、しかしどこか満足気に頷いた。
「貴公らの母君を処刑したのは、私だ」
呆然とする雨宮姉妹。まさかここで会ったが百年目、否、百二十年目になるとは、思ってもいなかったに違いない。
「も、目的は何だ?」
俺がどうにか問いを零すと、相変わらず感情を読ませない顔つきで、坂畑は答えた。
「喫緊の目的は、雨宮姉妹と人権保護団体との接触を止めさせることだ」
俺は奥歯を噛みしめた。くそっ、あともう少しで船が来ちまうってのに……!
それに、坂畑は斎藤を使って、夕子を人質にしている。さて、どう出るか。
俺がぐびり、と唾を飲んだ、その時だった。ふっと、冬美が姿を消した。テレポートだ。
一瞬目を細める坂畑。すると、先ほど渡された端末から、格闘戦と思しき打撃音が連続して響いてきた。
冬美は単身で、自分が乗船できなくなる可能性も顧みず、斎藤を止めに行ったのだ。
既に戦端は開かれた。俺たちも、目の前にいる坂畑を倒さなければ。
一人で相手にできる存在でないことは、俺の本能が告げている。さて、どうするか。
「夏奈、こんな奴でも――お前のお袋さんを殺したような奴でも、生かしておきたいと思うか?」
「ええ。ただ、半殺しくらいまでだったら構わないかも」
「了解」
直後、ぶわり、と優しい風が俺の頬を撫でた。夏奈が戦闘モードに入ったのだ。白いワンピースに、身体各所に配された防御プレート。
ただ、今までと違うのは、夏奈の右手に武器が握られていることだった。
レイピアだ。フェンシングで用いられる、細い長剣。
「すぐに決着をつけてやる!」
今までにない闘志を燃やし、夏奈はすっとレイピアを構えた。これ以上、時間稼ぎをさせるわけにはいかない。
だが、坂畑は巧みに俺たちを話題に載せた。
「雨宮夏奈、君は自分の能力を、鬼原くんや他の人に話したかね? 鬼原くんが死ねば、自分も死ぬということを?」
すると、毅然としていた夏奈が半歩引き下がった。
俺は慌てて自分の身体を見下ろし、異常がないか確認する。それから、夏奈と坂畑の間に視線を走らせながら、二人に尋ねた。
「俺が死んだら夏奈が死ぬ? どういう意味だ?」
「なあに、簡単なこと」
坂畑は肩を竦めた。
「雨宮夏奈にかけられた呪い。それは、『両想いの相手が死ねば、自分も死んでしまう』という宿命だ」
俺はがばり、と夏奈の方に振り返った。雨はいつの間にか止んで、雲の隙間から伸びた日光が俺たちを照らしている。
夏奈の姿は、真っ白い服装と相まって、天使や神話の神の姿を連想させた。
「……夏奈?」
「ごめんね、涼真。私が何か変なことをしたせいで……」
「いや、それは……。そ、それより、『両想いの相手』って?」
「あなたに決まってるでしょう、鬼原涼真」
『あなたに死なれたら、私も死ぬ』――そんな夏奈の言葉が、俺の脳みそを揺さぶりながら通過していった。
「そういうわけだ、涼真くん。私は君を殺し、同時に雨宮夏奈に死をもたらす。数千年に及ぶ『魔女狩り』という忌まわしい儀式は、ここで終焉を迎えるのだ」
「させないッ!」
夏奈は、冬美に勝るとも劣らない速度で坂畑に接敵。レイピアを突き出した。
しかし、その先端は綺麗に捻じ曲がってしまう。すぐに手を引いたため、レイピアに異常はなかったが。
「夏奈、手応えは?」
「あいつ、不可視の障壁を前進に展開してる! 簡単にはいかないみたい」
「ならこいつはどうだ!」
俺は、肩から提げた自動小銃を引き上げ、フルオートで全弾叩き込んだ。しかし、弾丸は坂畑の手前で止まってしまう。障壁にぶつかった瞬間、池に投じた小石が成すようなさざ波が展開し、すぐに消える。
「次は私の番だな」
そう言って、坂畑は右腕を掲げた。そこに、見る見る黒い光が凝集していく。白を染めるなら黒、か。
「いざ参る! 目覚めよ、闇の従者よ!」
坂畑の右腕から現れたもの。それは、体長十メートルはあろうかという、真っ黒な龍だった。角や髭、それに鱗のところどころに、紫色の雷電を帯びている。
「恐怖するがいい、人ならざる者よ! 我は魔を滅し、その者に凶事をもたらす暗黒の使者なり!」
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