第24話

 夏奈の手の内は、とっくにバレている。だからこそ、『射殺』ではなく『拘束』が命令されたのだ。

 一旦、射撃が止む。銃声の後には、薬莢が階段を転がり落ちる甲高い音が連続した。


「ちょっと待って」


 すいっと身を乗り出す夏奈。負傷はとっくに治ったようだが、衣服はボロボロだ。


「私を連行するのは自由よ。でも、彼は――鬼原涼真の身柄は渡さない!」


 今度は、隊長が口を開いた。


「ああ。君の能力は承知している。君が来てくれるのなら、我々は鬼原涼真に危害を加えるつもりはない」

「……よかった」


 馬鹿な。何がいいものか。自分の自由が奪われてしまうのに。いつまでもテレポートで逃げ続けるわけにもいかないだろうに。


『おい、待てよお前ら!』――俺はそう叫びたかった。しかし、声が出なかった。呻き声すらも。

『よかった』と呟いた時、夏奈はこちらを見ようともしなかった。恐らくは、俺に対して未練を残さないために。彼女が俺を好いていてくれたのなら、の話だが。


「では、行こうか」

「はい」


 毅然とした口調と共に、頷く夏奈。彼女は背後から拳銃を突きつけられ(まあ、無意味なのだけれど)、俺は俺で、最後尾の隊員に自動小銃を向けられながら、その場に突っ立っていた。


         ※


「な……!」

「よう」

「なっ、ななな何て格好で現れるんだね君は! この前びしょ濡れだったのは仕方ないが、どっ、どどどどうして上半身裸なんだ⁉ 少しは羞恥心を持ちたまえ!」


 俺はいつの間にか、夕子の居城に足を運んでいた。完全に無意識だ。

 心が蜂の巣にされたかのような虚無感だけがある。『人は、それを失った時にこそそのものの大切さを知る』と言うが、今の俺がまさにそれだ。

 よって、服装などに関心はない。関心を寄せる余裕がない。


 夕子なら、この部屋に入る前の監視カメラの映像で、俺がこんな姿であることを目視できたはずだが。ああ、そう言えば以前、『画素が粗いから買い換えたい』なんてぼやいていたっけ。それなら、俺の顔は視認できても、服装までは見えなかったのかもしれない。


「あー、悪い。何か羽織るもの、ないか?」

「適当に探したまえ、そんなもの! それより、ボクは今多忙なんだ」

「多忙って?」


 すると夕子は盛大なため息をつき、こちらに振り返ったのも束の間、すぐに顔を赤くして再び半回転、それから凄まじい勢いで喋り出した。これこそまさに機銃掃射である。


「あれだけの特殊急襲部隊が学校に潜入したんだぞ! 生徒たちには、ここが先進テクノロジーの開発拠点にもなっているから、対テロの特殊訓練の一環だと説明せねばならなかった! マスコミ対策も一苦労だ! 運送会社のトラックで来てくれたのはいいものの、出てきたのは完全武装をしたSATが十二名! 十二名だよ、君! カメラに映らない方がどうかしている! 今ボクはその映像の改竄を――」

「あー、分かった分かった!」

「分かるもんか、この朴念仁! 君ほど鈍感な男子がいるとは思わなかった!」

「鈍感って、何が?」

「ボクが君を――」


 再び振り返り、夕子は『う』の発音をする形で口を止めた。


「ど、どした?」


 適当にタオルを拝借し、ほぼ完治した上半身を拭いながら、俺は尋ねる。すると、夕子は顔を一際真っ赤に染めた。キラウェア火山のマグマもかくやといった具合である。

 それから、再び大きなため息。今日一番、といったところか。


 その時、俺は既視感を覚えた。この潔い、しかし寂し気な顔つき。ついさっき見かけたような……? 

 直後、俺の頭蓋を、先ほど貰ったストレート以上の衝撃が貫いた。


「そうだ!」

「うわっ! お、驚かせるな、涼真くん!」

「頼む夕子、夏奈と冬美を救ってくれ! この街から、いや、この国から脱出させたいんだ!」


 突然俺の胸中で、轟々と炎が燃えだしたかのようだった。超高温の、真っ青に見える炎が。


「今、屋上から夏奈が連行されたことは知っているだろう?」

「ああ、何故か作戦目的が『射殺』から『拘束』に切り替わったことは承知しているが」

「実は、夏奈は――」


 俺は夏奈の身に施された奇跡、あるいは呪いについて説明した。俺が眉間を撃ち抜いた際、すぐに治癒してしまったことも。


「ふむ、そんなことが……」


 夕子の顔から、赤みは引いていた。


「まあ、生物学的な考え方をするのは、この際無粋だろうね。彼女は魔女なんだから。それで? 涼真くん、君はそんな彼女を国外に脱出させたいと?」

「そうだ。冬美もだ。あいつら姉妹には、ちゃんとお互いの考えをぶつけ合ってもらわねえと。いや、夏奈に冬美を説得してもらった方がいいのか」


 今朝だって、冬美は防衛省技術研究本部の片隅を消し飛ばしたのだ。これ以上の殺傷行為は、容認できない。


「そうは言っても、そう都合よく国外脱出なんてできるはずが――ん?」

「何だ?」

「これは、どういうことだ?」

「いや、だから何なんだよ」


 俺は苛立ち紛れに、夕子とディスプレイの間に身体を滑り込ませた。そこには英語のウェブサイトが表示されており、


「人権保護団体の船舶、日本に寄港……。ここに来るのか? って、今日じゃねえか!」

「馬鹿な! さっき調べた時はこんな記事は……」

「馬鹿でも利口でも構いやしねえ! 夏奈を救出して、冬美を連れてこの船に乗っけるぞ! これなら世界を巡りながら、夏奈が活動できる!」

「でも、どうやって彼女を救出するつもりだ?」

「そんなもん、あいつがテレポートを――って、あ」


 そうだ。夏奈はもう自分が助からないと思い込み、拘留されている。テレポートは使おうと思えば使えるだろうが、本人にその気はない。

 ならば、やることは一つ。


「俺は夏奈を救出する」

「何を言いだすんだ、君は!」


 夕子は堪らず、といった様子で立ち上がった。


「彼女は第一級のテロリストだぞ! 死傷者はほとんど出していないとはいえ、妹の冬美と一緒だ! 大体、どこに拘留されているかも分からないのに!」

「今ならまだ追える」

「たっ、確かに、監視カメラでSATの輸送車両を追ってはいるが……。でもどうやって?」

(あたしがテレポートで、涼真を連れて行く)

「ッ!」


 唐突に脳内で響いた声に、俺たちは周囲を見渡した。


「安心しろ、夕子。テレパシーみたいなもんだ」

「そ、そう、なのか……?」


 そう彼女が言い終えるや否や、眩い真っ白な閃光が走り、見慣れた黒い少女がその場に立っていた。少なくとも俺にとっては、だが。


「冬美! 聞いてたのか?」

「もちろん。あたしにも協力させて。今回の研究本部襲撃で思い知ったよ、もう力押しじゃどうにもならないって」

「じゃ、じゃあ……?」


 冬美は我が物顔で部屋を闊歩し、ディスプレイを覗き込んだ。


「ああ、今このトラックにいるのか、姉ちゃんは。人殺しをしなけりゃいいんだな、涼真?」

「そ、そうだが……」

「二人でこのトラックを止めよう。そして姉ちゃんを救出するんだ」

「ま、待ちたまえ、二人共!」


 ようやく気を取り直したのか、部屋の主が割って入った。


「市街地で戦闘を行う気なのか?」

「SATだって警察機構の一部だ。下手に騒ぎを大きくしやしない。銃撃は避けるだろうさ」

「しかしな、涼真くん……」

「心配すんなって、夕日の姉ちゃん! あたしがバックアップするから! それに、ほら」


 すっとマウスを掠め取り、冬美は画面をスクロール。


「今回日本停泊時に収容できるのは二人まで、ってことになってる。港もすぐそこだし、行けるんじゃね?」

「むぅ」


 冬美のアクティブな言動に、夕子は押し黙る。


「決まりだ。特殊事案対策本部……だっけ? そこにこのトラックが行きつく前にケリをつけよう」

「それは分かったけどよ、冬美。お前、怖くはないのか?」

「え?」

「だって、障壁が無効化されるんだぞ? 現にお前だって、それで足を大怪我したんじゃねえか」

「大丈夫だよ。一度学んでるからな。それにさっき、あんた自分で言ったじゃんか、向こうは下手な発砲は避けるだろう、って」


 俺は思わず、腹の底から笑いがこみ上げてきた。随分と肝の据わった妹を持ったもんだな、夏奈。


「まあ、どうしてこう都合よく情報が出たのかは分からないけど……。二人共、誰かを殺傷する気はない、と見ていいのかね?」


 俺は冬美と顔を見合わせ、頷いた。


「分かった。トラックの現在地はここだ。ご武運を」

「ああ」

「サンキュ」


 夕子が微かに笑みを浮かべたように見えたが、その時には既に、俺と冬美は白光に取り巻かれていた。


         ※


 俺と冬美が降り立ったのは、幹線道路の交差点の端だった。雨はやや小降りになり、市街地のさらに向こう、山地の方を見遣れば、既に日が差し始めている。


「で、どうやって戦うんだ、涼真? あたしと違って、魔法は使えないだろ?」

「そうだな。何か武器が必要だが、こいつがある」


 俺はズボンのポケットから、ペーパーナイフを取り出した。拷問される前、身体チェックが甘かったのが幸いした。

 それを見て、顔を顰める冬美。


「んなもん、役に立つのか?」

「取り敢えず、自動小銃は一丁必要だ。掻っ攫うのに、ベルトを一回斬れればいい。小銃を奪ってからだが、もちろん頭は狙わない。皆防弾チョッキを着込んではいるが、牽制にはなる」

「あたしはどのくらい暴れていいんだ?」

「そうだな、死傷者、いや、死者と重傷者を出さなければ構わない。腕や足の骨折くらいまでは許そう」

「何で上から目線なんだよ。ま、いいか!」


 俺は自分の頬を叩き、冬美は手の指をパキポキと鳴らした。

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