第17話

「はあ? お前本気で言ってるのか?」


 その通りだと言わんばかりに、再びカップに口をつける夕子。


「だって対戦車ライフルを十発、寸分違わずって……。そんなことできる人間、いるわけがねえだろう?」

「だから仮定の話さ。君がやたらと障壁を壊したがっているように見えたからね」


 確かに、それはそうなのだけれど。

 

「ただ、今回の魔女狩り騒ぎに関しては、防衛省も密かに一枚噛んでいる。どんな化け物じみた兵器が出てくるか、分かったもんじゃない。いかなる兵器がこの作戦に投入され得るのか、調べておこう。もし雨宮姉妹のことが心配だと言うのなら」

「し、心配って……」


 俺は、現在の二人の顔を思い出してみた。冬美は敵だと断じられるが、夏奈は違う。俺を救ってくれた、命の恩人だ。冬美を黙らせた上で、夏奈を説得できればいいのだが。


 いや待て。説得するとして、何を納得させるんだ? これ以上破壊活動を行うなと言い聞かせるのか? まさかな。彼女の目標は『人類の救済』。意志は強固で明確だ。説得するだけ無駄だろう。

 夕子の言う通り、百年単位で生きてきた可能性もある。それを、俺のような若輩者が諭す? それこそ説得力のない話だ。


 それより、考えやすいのは冬美の方だ。前回の工場襲撃の際、あの現場と、十二年前に俺の両親が殺された現場の状況が似ていることには、俺はとっくに気づいている。

 火薬臭のない爆発、床を抉るクレーター状の穴、巻き込まれた人々の四散した遺体。


 あの女は人殺しだ。捜査資料を見る限り、冬美によるものと思われる爆破事件は、ここ数ヶ月で急増している。奴は仕留めなければ。俺の両親の仇だ。たとえ刺し違えてでも……って、それは今の俺には無理だな。


 攻撃の威力、速度、加えて障壁を用いた防御性能。真正面から立ち向かって勝てる相手ではない。

 奇襲を仕掛けて不意を衝くか、防衛省から何某かの武器を拝借して障壁を破壊するか。


「ふむ……」

「随分とご執心だね、涼真くん? そんなにあの二人が気に入ったのかい?」

「はっ、はあ? ちげぇよ、んなわけねえだろ……」


 俺は唇を尖らせて夕子を見返した。そして、軽い驚きを覚えた。彼女の目には、いつものおどけた調子が見受けられなかったのだ。陳腐な言葉だが、切なげだった。


 しかし、それも一瞬のこと。『ならいいんだ』と言って、ふいっと夕子は視線を外した。

 

「ただ、ボクにも別なプランがある。もし雨宮姉妹に逆に説得されるようなことがあったら、またボクに教えてくれ。力になるよ」

「俺があの二人に説得される? んなことあるわけが――」


 俺は夕子の話を一蹴しようと試みる。が、それはそれで、すぐさま言葉に詰まってしまった。

 夏奈にしろ冬美にしろ、戦闘中のあの目は真剣そのものだった。ここで自分が倒れるわけにはいかない、という『熱』を感じた。

 確かに、俺が警察組織から寝返る可能性も皆無ではない。

 少なくとも、夏奈にささやかな助力をするくらいの確率は、零とは言い切れない。


「ボクの方でも準備しておくよ。いざとなったら、頼ってほしい」

「ああ、悪いな、夕子」


 夕子は大きく頷き、回転椅子を回してディスプレイの方に戻ってしまった。今日の秘密会談はここまでだ。


         ※


 その日はずっと、俺の意識は夏奈に向きっぱなしだった。廊下側の俺と、窓側の夏奈。彼女の方を見遣ると、ぴんと背筋を伸ばしたまま、板書に忙しい様子だった。何十回、何百回と、同じ授業を受けてきただろうに。


 そうこうするうちに放課後になった。俺は特殊事案対策本部に戻るべく、ノートや教科書を片付け始める。

 もしかしたら、俺には夏奈の監視命令が下りるかもしれない。必要となれば、殺傷することも。

 まさか魔女が二人いて、そのうち片方と同じクラスになるなんて、とんでもない偶然である。だが、今の俺には不都合だ。


 夏奈は、俺の両親を殺していない。彼女を恨む理由がないのだ。それなのに、彼女に対し敵対的な立場に身を置かざるを得ない。


「ったく、俺にどうしろってんだよ……」

「りょ・う・ま・くん!」

「ッ!」


 俺は思いっきり身を引いた。椅子の背もたれに体重がかかり、危うく倒れそうになる。


「なっ、ななな何だよ夏奈! じゃなくて雨宮!」

「あれ? 私のこと、ファーストネームで呼んでくれたの? きゃー、どうしよう!」


 ど、どうしようって言われても。

 夏奈は気づいていないが、今この教室内には、極めておかしな空気が流れている。『なんでアイツが雨宮と仲がいいんだ?』という、一抹の妬みを孕んだ疑念。それが、教室のあちこちから、空気中に滲み出ているのだ。


「で、何だよ? 何の用だ?」

「うん。今日これからデートしない?」


 今度こそ俺は座ったまま転倒した。辛うじて後頭部強打は避けたものの、後ろの席との間に身体が挟まれ、節々が硬いものに激突。

 俺は息を詰まらせながら、よじ登るように机に手を着き、何とか立ち上がった。満面の笑みを浮かべる夏奈と対面する。


「お、お前、何てこと言うんだよ⁉」


 狼狽しきりの俺を無視して、夏奈は続ける。


「私ね、久々に臨海公園に行きたいな! ほら、晴れてるし」

「ちょ、ちょっと待て!」


『久々に』って……。これじゃあ前にも、俺と夏奈が二人で出かけていたみたいじゃねえか。


「ああもう! ちょっと来い!」


 俺は強引に夏奈の手を取り、教室を出て、廊下を渡り、階段を降りて昇降口に至った。

 って、これじゃあ周囲の目を厳しくするばかりだ。そう気づいた時には、俺は夏奈と連れ立って校門前にいた。

 

「ちょっと涼真くん、いつまで手を握ってるの?」

「へ? ってうわっ!」

「あっ、ひっどーい! 何よ『うわっ!』って! 私を黴菌か何かと思ってる?」


 ジト目で睨まれ、俺は説明することを強いられた。

 俺は言葉少なに理由を述べる。


「つまり涼真くんは、自分と私が恋仲に見えると困る、って言いたいの?」

「ああ、そうだよ」


 顔を上げると、アメジスト色の瞳が俺を捕捉していた。

 少しばかり、寂しげな色を宿している。それを見て、どくん、と心臓が跳ねるのを感じた。

 

 っておいおいおいちょっと待て。何だ、今の胸の高鳴りは?

 振り返ってみよう。先日俺は、夏奈に左肩を治療してもらった。あれは有難いものだったとは思う。夏奈に感謝もしている。

 しかし、それは相手が男性でも感じる恩義のはず。それだけで心臓が跳ねはしない。


 救われたという実感に伴う、プラスアルファの掴みどころのない感情。

 もしかして、俺は夏奈に好意を抱いているのではなかろうか? 


「涼真くん? どうかしたの?」

「ああ、いや……」

「ふぅん、変なの。あっ、私、岬に行きたい! 灯台があったよね! 登ってみたかったんだ」


 ぴょこん、と片手を挙げる夏奈。


「それはいいけど。お前、交通手段は?」

「歩きだけど?」

「俺はチャリ」


 しばし、俺たちの下に沈黙が訪れた。

 二人の人間(片方は魔女だが)に対し、自転車は一台。

 俺が黙り込んでいると、夏奈は、にまーーーっ、と唇の両端を上げた。


「二人乗りだね!」

「断る」

「えーーーっ? 何で何で何でーーー?」

「何でも! 道路交通法違反だ」


 夏奈は俺の素性を知っている。法律を持ち出せば黙るだろう。と、思った俺が甘かった。


「じゃあ私、皆に噂流しちゃうよ? 私と涼真くんは、正式にお付き合いしてますって!」

「ちょっと待てえええええい!」


 こつん、と軽い衝撃音が響く。


「いたっ! か弱い女の子を殴るなんて、何て野蛮なの!」

「だったら俺を見限ればいいじゃねえか!」

「う~、涼真の意地悪……」


 ん? 今呼び捨てにされたか? どういうことだ? まさか、これが夏奈流の距離の詰め方なのか?

 俺は自分の胸中で、不思議と悪感情が霧散していくのを感じた。無言で踵を返し、校内の駐輪場へ。防犯用のワイヤーを開錠してチャリを運んでいく。


 ちょうど昇降口に生徒たちが集まり始めたところで、俺は少しばかり、夏奈を見つけるのに時間がかかった。


「あ、いた」


 呟いて、近づいていく。夏奈はそばの電柱に背を預け、さもつまらなそうに俯いていた。


「おい、夏奈。夏奈ってば」


 つと顔を上げる夏奈に向かい、俺はチャリの荷台を叩いてみせた。


「乗れよ。臨海公園の灯台まで行くんだろ?」


 すると、夏奈の表情がぱあっ、と華やいだ。まるで、梅雨の晴れ間を体現しているかのようだ。


「ほ、本当にいいの⁉」

「だから乗れよ! 人目があるんだから……」

「ありがとう、涼真!」


 俺は怯んだ。こんな大衆の面前で、抱き着かんばかりに距離を詰められては、その、何だ。


「お、お前のわがままに付き合ってる暇はねえんだぞ? 礼はいいから、さ、さっさと乗れって」

「はーい!」


 子供か、こいつは。さっき夕子と一緒に『雨宮姉妹数百歳説』を語らっていたのが馬鹿みたいに思えてくる。

 でも、ま、いいか。自分が夏奈をどう思っているのか、確かめておきたいし。それにはこんなプチデートも悪くはないだろう。


 夏奈は荷台に跨り、両腕を俺の腰に回してきた。


「えへへー」

「何だよその不気味な笑いは! 置いてくぞ」

「あーっ! またそうやって私のこと虐めるんだ!」

「ぎゃあぎゃあ騒ぐな! 俺が悪かったよ」

「うむ! 分かればよろしい! それじゃ、れっつ・ごー!」


 俺はため息を一つついて、ぐっとペダルに足をかけた。

 そういえば、誰かと一緒にいて、こんなに心が温まるのは久しぶりだな……。

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