第14話
「涼真くん、伏せて! 私の背後に!」
「あ、ああ!」
俺は冬美から目を離さないようにしつつ、夏奈のそばに駆け寄った。
「そこから動かないで」
すると、今度はアメジストの魔弾が、夏奈の頭上で回転を始めた。冬美への攻撃か。しかし、その魔弾はおかしな軌道を描いた。俺の頭上に展開したのだ。
「え?」
直後にザンザンザンザン、と音を立てて、魔弾は地面にめり込み、薄い長方形を描くように展開した。
「な、何をしたんだ、夏奈!」
「あなたには、あの子の相手は荷が勝ちすぎる。私に任せて」
どうやらこの長方形の板状にものは、俺の身を守る障壁らしい。夏奈はこちらに背を向け、やはり白いワンピース姿で冬美に近づいていく。
「止めなよ、姉ちゃん!」
「何を?」
「何を、って……。人的被害を一切出さずに、人類を守るのは不可能だよ!」
人類? 何の話だ? 彼女らが何を目的としているのか、はっきり聞かせてもらいたい。
しかし、夏奈は俺の叫びを無視し、諭すように冬美に語りかける。
「それは諦めよ、冬美。あなたの心の弱さなの。人間を信じれば、そして互いに信じあえれば、人類は全員が救われる。それが、あなたと私の目標ではなかったの?」
すると、冬美は魔弾をふっと消し去り、腕を腰に当ててやれやれと首を振った。霧雨のせいか、その表情までは窺えない。
「この前も言ったけど、姉ちゃんの方こそ弱いよ! 人を殺めたり、傷つけたりしたくないって優等生ぶっていながら、自分の失敗を恐れてるんだ!」
じゃり、と音を立てて、夏奈は立ち止まった。
「人類の最大幸福の達成……。それこそ、あたしとお姉ちゃんの目標だったはず! 人類『全員』の救済とは違う! それなのに、わざわざ他人の生死にまで気を配るなんて、どうかしてる!」
「そう。夢みたいな目標だってことは、百も承知。それでも私は――」
次の瞬間だった。冬美の黒い影が、さっと消え去った。同時に掲げられたのは、夏奈の左腕。そこに現れたのは、まさに黒剣を振り下ろさんとする冬美だった。
夏奈はどうやら、肘先で冬美の手先を弾いたらしい。
しかし、冬美は怯まない。バク転することで再度距離を取り、油断なく黒剣を翳す。そしてこう言った。
「姉ちゃんは、お母さんのことを何とも思わないの⁉」
初めから姿勢を維持したままだった夏奈の身体。それが一瞬で凍り付いたように思われた。
ざんざん降りの雨の下での白いワンピース姿は、恐ろしいほどの緊張感を帯びている。
「あたしたち魔女は、ずっと迫害を受けてきたんだ! そんな人たちをもう生まなくて済むようにって、姉ちゃんは言ったよね? だからあたしも、協力したかったんだけど、姉ちゃんがこんな分からず屋だとは思わなかった!」
「言いたいことは分かるよ、冬美」
微かに首を傾げる夏奈。
「でも私が望むのは、誰も辛い思いをしなくてもいい世界。大義のためとはいえ、死傷者を平気で出すような人物を、見過ごしてはおけない」
「またそんな戯言を……ッ!」
唇を噛みしめる冬美。
無茶を言っているのは夏奈の方だが、姉としての資質があるのだろうか、言葉に込められた説得力は、冬美のそれと比較にならない。
夏奈は、本気なのだ。
しかし、今彼女が口にした『大儀』とは何だ?
これ以上の話し合いは無益。そう考えたのか、冬美は黒剣を逆手に握り、次の攻撃体勢に入った。それを前に、全く動じる気配のない夏奈。
魔弾を生成していては、発射するまでに黒剣の餌食になる。夏奈もまた、近接戦闘を余儀なくされたわけだ。その背中から戦いの熱がぶわり、と滲み出るのを感じた。
遠くでゴロン、と雷鳴が轟く。それを合図に、冬美は夏奈の懐に飛び込んだ。常人には見えない速度で。夏奈はそれを、身を捻って回避。空を斬る黒剣、つんのめる冬美の身体。
そこに、すかさず夏奈は肘打ちを叩き込む。が、冬美はつんのめった勢いを殺さずに前転、頭上からの肘鉄を避けた。ばしゃり、と泥水が飛ぶ。
それから立ち上がる、と見せかけて、冬美は両手を地面に着き、そこを軸に身体を一回転させた。足払いだ。警戒して距離を取っていた夏奈には当たらなかった。夏奈は夏奈で、微妙な距離感に、連続攻撃に出るのは控えたようだ。
俺は援護射撃すらできなかった。周囲を夏奈の障壁に囲まれている、ということもある。だが、何よりも二人の戦闘スピードについていけなかったのだ。
再び、雨音以外の一切の音が消え去る。俺は目元を拭いながら、二人の少女の様子を見守った。
それにしても、姉妹でこんな戦いをしなくてはならないなんて。家族のいない俺には、二人の心情を計る手はない。
だが、少なくとも夏奈に同情することはできた。妹を殺める覚悟というのは、壮絶な悲しみを伴うものであろうと。まあ、そんな同情ほど、今の夏奈にとって不要極まりないものもないだろうが。
しかし、そんな殺し合いレベルの姉妹喧嘩は、唐突に幕を下ろした。破壊された校門の方角から、重低音が高速で近づいてきたのだ。先ほど俺が要請した、増援の地上部隊か。
人払いの魔法を解かなければ、地上部隊の装甲車や戦闘員は入って来られない。
どうしたらいい? だが、悩むまでもなかった。装甲車は障壁に突進し、軽々とこれを破ってしまったのだ。
どうやら冬美は、校門を吹っ飛ばした魔弾を生成するのに、魔力を使いすぎたらしい。
《総員、戦闘隊形に展開! 目標、十二時方向、魔女二体! 配置完了次第、射撃開始!》
「待て!」
俺は思わず叫んでいた。しかし、冬美のものと違って、俺を包囲する夏奈の障壁はそう簡単に破れそうもない。
「待つんだ! 姉の方は敵じゃない! 妹もだ!」
何馬鹿を言っているんだ、と思う。二人共が敵ではないなんて。部隊の皆から見て、二人が両方共危険な犯罪者に映ってしまうのは、どうしようもないことだろうに。
それでも、俺は障壁の隙間に手をかけ、声を上げ続けた。連続した銃声に掻き消されても。そしてこの喉が嗄れようとも。
「止めろ! 撃ち方止め! 発砲を中止しろ!」
短時間とはいえ、二人は凄まじい戦闘を行ったのである。新たな障壁を展開するだけの魔力が残っているか、怪しいものだ。
夏奈と冬美は視線を交わし、一気に距離を取った。空中で障壁を展開する二人。弾丸と障壁の間で、甲高い衝突音が連続する。
それでも二人が反撃に転じないところを見るに、やはりそれほど魔力が残っていないのだ。
巧みに校舎の壁を蹴り、そのまま後退する夏奈。同様に、冬美もまた部隊から距離を取ろうとする。しかし、こちらからはっきり見えた。冬美が泥に足を突っ込み、転倒するのが。
この機を逃すまいと、自動小銃の照準が冬美に殺到する。俺がはっと息を飲んだ次の瞬間、
「冬美っ!」
夏奈が、物理的にあり得ない軌道を描いて跳躍した。障壁を展開し、それを蹴ったのだ。その方向は斜め下向きであり、その先には冬美がいる。そして、冬美は呆気なく突き飛ばされた。
駄目だ、夏奈。それではお前が、冬美の代わりに蜂の巣にされてしまう。
容赦なく鳴り響く、自動小銃の唸り。それに対し、夏奈は頭部を守るように腕を交差させた。障壁を展開する間はないと判断したのか。
「夏奈あぁあ!」
しかし、そこには信じ難い光景が展開された。自動小銃の一斉射撃を受けながら、夏奈は以前と同様に跳躍したのだ。
馬鹿な。あれだけの弾雨に晒されながら、あんな動きができるものか。
しかし、確かに出血は見られないし、骨や筋肉に異常はないようだ。
まさか自身の身体は、障壁などなくとも損壊しないと分かっていたのか?
そんな事態が生じていたのは一瞬のこと。夏奈はわざと、冬美とは逆方向に身を引いた。そのまま、勢いよく跳躍して校舎を跳び越え、姿を消した。
《目標、ロスト!》
《二手に分かれろ! 絶対に逃がすな!》
《民間人がいるエリアは発砲禁止だ、目視で追尾しろ!》
俺の周囲の障壁が消え去ったのは、一連の無線通信が終わった後だった。
低い空からは、雷鳴が轟いていた。
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