第13話
※
穏やかなチャイムが鳴り響く。教室全体が活気づき、皆が束縛から解かれてざわめきだす。
「お疲れ様です、兄者!」
「おう」
声をかけてきたのは斎藤だ。いつも通りの坊主頭と眼鏡姿である。あ、そうだ。
「斎藤、わりいんだが、昨日休んじまったからその分のノート、見せてもらえるか?」
「御意でごわす、兄者!」
一旦自分の席に駆け戻っていく斎藤。そのまま彼の背中から視線を逸らしていくと、やがて窓際中央の席に、夏奈の姿が見えた。
彼女が見つめる先。そこには、やや大粒の雨が降っている。低気圧の影響なのか。道理で気が滅入るわけだ。精神疾患持ちの人間には、過ごしづらい季節である。
「はい、兄者! お持ち致しました!」
「ああ、サンキュ。斎藤、俺、教室で勉強させてもらうから、部活終わる頃に昇降口で待ち合わせてもいいか?」
「んむ!」
斎藤はしっかり首肯した。
部活動は、短時間ながら再開されていた。今恐れられているのは、工場や研究所を狙う犯罪者、攻撃的魔女の冬美である。学校なんかを狙うことはないだろう。
学校は人が密集するから、人質を取るには好都合なのではないか? しかし、それで目的が果たせるとは思えない。『子供たちを解放してほしくば、研究所を放棄せよ!』と呼びかける作戦――やはり現実的ではないな。
俺には、何か事を起こすであろう方の魔女、すなわち冬美が、そんなまどろっこしい計画を練るとは想像できない。
確かに先日、冬美は学校敷地内に入り、戦闘を行った。しかしあれは、夏奈の目的あってのことだ。例外的事例だろう。
「待てよ……?」
例外的事例? どんなに理屈の通った話でも、例外は常に存在する。すなわち、俺と夏奈を攻撃目標として冬美が仕掛けてくる、という事態なら在り得るかもしれない。
もしそんな事実が存在するとしたら。
「もしかしたら今も、冬美は虎視眈々と機会を窺っている……?」
ここまで考えると、俺の脳の要領が急に一杯になった。すまん、斎藤。勉強どころではなくなってしまった。不安で。恐怖で。怒りで。
念のため、武装を整えておいた方がいい。俺は鞄の中から、筆箱を二回りほど大きくした黒い金属箱を取り出した。
教室に残っていた帰宅部の連中が出ていく。よし、今この部屋には俺一人だけだ。
俺は指紋認証システムを使い、箱を開放。そこには、二十二口径の小振りな拳銃と弾倉が二つ。一つはもう込められているから、弾数は弾倉三つ分。
誰にも見られるわけにはいかない。拳銃を使う準備をしているところなど。俺は外から見えないよう、廊下側の壁に背をつけた。弾倉を確認して初弾を装填、セーフティを解除。
消音器は不要だ。この拳銃は小振りだし、発砲音も抑えられている。
問題は破壊力だ。しかし、そもそも拳銃くらいなら、大きかれ小さかれ大した役割は果たせまい。持っているだけで冬美を牽制するのが精々だ。
それでも、拳銃を握っていると落ち着きを覚える。俺も随分、物騒な人間になってしまったものである。
俺は、ふっ、と息を吸い、目をつむって上を向く。落ち着け、涼真。まだこのタイミングで冬美が攻め込んでくるとは限らない。だが、確率が零ではない。
わざわざ今現在を、冬美にとっての急襲の機会だと判断した理由。
まず、冬美は夏奈との意見の食い違いから、夏奈の命を狙っている。
そして、その夏奈に最も身近で加担しているのが俺、鬼原涼真だ。
夏奈に比べ、俺の戦闘力などたかが知れている。次に何らかの研究施設を襲う前に、邪魔者を排除するなら、間違いなく最優先抹殺目標は俺だ。
偶然、今俺の近くに一般人はいない。冬美とて、無駄な犠牲は避けたいところだろう。とすれば――。
ここまで思考した瞬間、俺は反射的に横っ飛びし、床を転がっていた。すぐさま拳銃を構え、発砲。しかし放たれた三発は、エメラルド色の障壁に阻まれた。
やはりこの期を狙っていたか、雨宮冬美。
状況を整理する。
冬美はいつもの黒装束を纏い、跳躍して校舎二階に飛び込んできた。そして、ガラス片とコンクリート片を派手にぶちまけた。そのままの勢いで俺を蹴りつけ、仕留めるつもりだったのだろう。
俺がいた場所には、小型のクレーターができていた。
近接戦闘に特化した冬美と、狭い場所で交戦するのは無茶だ。かといって今廊下に出たら、他のクラスの生徒たちに被害が――。
「心配要らない」
唐突に、冬美が口を開いた。
「人払いの魔法は展開してある。死ぬのは、あんただけ」
俺はごくり、と唾を飲みながらも、強がってみせることにした。
「ほう、そいつは随分と名誉なことだ」
「名誉にはならない」
すっと目を細める冬美。
「ここで塵にしてあげるから」
その言葉を合図に、俺は勢いよく駆け出した。教室の後ろを回り、冬美の開いた外壁の穴へと向かう。
その間も、銃撃は欠かさない。短い発砲音と、キン、という高い衝突音が交錯する。障壁によって弾丸が弾かれる音だ。
俺がスライディングしながら机の陰に入ると、机の脚の隙間から、眩いエメラルドの光が見えた。遠距離攻撃か!
俺は意を決し、二階から飛び降りた。開けた校庭なら、まだ戦いようはある。
何故躊躇なく飛び降りることができたのかといえば、ここ数日の降雨のために、窓際の花壇が柔らかくなっているという確信があったからだ。
俺は四肢を地面に着いて、衝撃を吸収。予想通りだ。俺の行動に意表を突かれたのか、冬美はすぐには追ってこない。人払いの魔法を仕掛けられる前に、俺は耳に入れていた小型のイヤホンを起動させ、声を吹き込んだ。
「こちら鬼原、魔女と遭遇! 現在交戦中! 至急増援求む!」
《本部了解。地上部隊が五分で到着予定。持ちこたえられますか?》
「何とかする! 部隊到着までの間に、人払いの魔法は解除させておく!」
《了解》
校庭の中央に駆け出しながら、俺は振り返った。すると、まさに俺の右頬を、エメラルドの魔弾が擦過していくところだった。
ふと周囲を見渡すと、いつの間にか部活中の生徒たちの姿が消えていた。ここまで人払いが為されているとは。
すたん、と校庭に降り立った冬美。俺は拳銃をリロードし、さっと向けて油断なく距離を取る。
「やっぱり機転が利くんだ、あんた。姉ちゃんが入れ込むわけ、か」
「何?」
「何でもない、よ」
それこそ何でもないことのように、冬美はぱっと掌に光を浮かべた。また魔弾を放つつもりか。
じっとその光に注目すると、しかしそれは俺に迫っては来なかった。代わりに、冬美の頭上へと浮かび上がる。ヴン、という音を立てて、光は分裂した。ぐるぐると回転する魔弾の群れ。あれを一気に叩き込むつもりなのか!
何とか冬美の気を逸らすべく、拳銃を連射。二発発砲するごとに、バックステップで距離を取る。
何か遮蔽物を見つけなければ。あの八、九個の分裂した魔弾を回避し切ることは不可能だ。
周囲を見渡すと、運動部の更衣室が建ち並んでいるのが見えた。あの陰に隠れよう。
俺は冬美から目を逸らさずに、プレハブの更衣室へ向かって駆け出した。
俺の狙いを察したのだろう、ついに魔弾は放たれた。足元を掠め、雨粒を蒸発させ、泥を跳ね飛ばす魔弾。そのいずれもが、皮膚を裂き、軽い出血をもたらす。
まさか冬美のエネルギーが無尽蔵だとは思わないが、くたばるのは俺の方が早いだろう。じわりじわりと、こうも確実に攻められては。
「だはっ!」
俺はようやく、プレハブの陰に入り込んだ。再び拳銃をリロード。残りは十五発か。
どうせ効かないと分かっていても、俺にはもうコイツしか得物がない。
直後、ギン、という甲高い音が連続した。プレハブに魔弾が集中しているのだ。俺はプレハブに背中を預け、頭を抱えて耐えるしかない。
ふっと、魔弾の衝撃音が止んだ。顔を出して様子を伺いたいが、冬美だって俺の考えは読んでいる。
その時、水溜まりが目に入った。そうだ、こいつを鏡の代わりに使おう。
俺は立ち上がり、顔の位置はそのままで、じろりと目を動かす。そして、ぎょっとした。
水面に反射して、巨大な光が盛り上がるのが見えたのだ。きっと冬美は、プレハブごと俺を消し飛ばす気だ。
まさか、親子そろって雨宮冬美に殺されることになるとは。だが、怒りや悔しさは湧いてこなかった。代わりに、ごく久々に膝が震えだすのを感じた。これが、死の直前の心境というものか。
「ええい!」
せめて一矢報いてやる。俺が身を翻し、残弾全てを撃ち込もうとした、まさにその時だった。
バリン、と鋭利な音がした。はっとして頭上を見る。そこには、何もないはずの空間から、微かに緑がかった半透明の破片が降ってくるところだった。
人払いの魔法が破られたのだ。そんな芸当ができそうな存在は、俺が知る限り一人しかいない。直後、爆音が轟いた。明後日の方向にあったはずの校門が消し飛ぶところだった。
上方から乱入してきた人物に、魔弾が思いっきり弾かれたのだ。
俺は咄嗟に彼女の名を叫んでいた。
「夏奈っ!」
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