第6話
俺は早速目を通した。正直、読む気はなかったのだが、これほど大量の封筒を寄越されては、否応なしに気にかかるというものだ。
もう一度、夏奈の方に視線を飛ばす。にっこり笑顔でこちらを見つめてくるが、さて、どうしたものか。
封を切ってしまった以上、読まずに放り捨てては、きっと機嫌を損なわせるだろう。となれば、今朝の胸部接触事故を大っぴらにされかねない。これ以上恥をかかされるのはご免だ。
俺はこれ見よがしにため息をつき、椅子の背もたれに体重をかけながら、さっと目を通した。と同時に、軽い驚きを覚えた。
「ん?」
手紙の内容は、まさに『さっと目を通す』くらいで十分だったのだ。
「今日の放課後、体育館裏に来てね、か」
ふむ。何らかの密談をする常套手段ではあるな。だが、一体何を話すというのだろう?
最も考えやすいのは、色恋沙汰に伴う告白だ。夏奈は高校入学時から俺につきまとい、遊び相手のように振る舞ってきた。確かに、気持ちが進んで恋愛感情に至っていたとしても不思議ではない。
が、それは俺の望むところではない。
などと言うと、校内の男子の多くを敵に回すだろうが、れっきとした事実だ。
さて、どうしたもんかな。俺がぼんやりしている間に、時間はあっという間に過ぎ去った。
※
「で、あるからして、臨海工業地域は危険と判断されている。ただでさえ、身近でこんな危険な事件が頻発しているのだから、寄り道などせぬように。以上だ」
そう言って、担任教諭は俺たちに睨みを利かせた。学級委員長の『さようなら』の挨拶と共に、俺たちはがやがやと家路につく。部活動も休止されているので、皆帰宅部だ。
そんな生徒たちの流れの中で、俺は夏奈の姿を捉えようとした。体育館裏に向かうのは構わない。だが、一緒に教室を出てしまっては、せっかく密会する意味がない。
となれば、どちらかが遅れて行くべきだ。ご招待の名誉に預かった俺が後に向かった方がいいだろう。
だからこそ夏奈の姿を追ったのだが、
「あれ?」
彼女の姿は、既に教室になかった。どうしたことか。まるで、瞬時に消え去ってしまったかのようではないか。
「あいつこそ魔女だな」
誰にも聞こえないように呟いて、俺は鞄を担ぎ、廊下に出た。ま、冗談半分の呟きだったんだけどな。
階段を下り、一階に行きついてから真っ直ぐ昇降口へ。上履きをスニーカーに履き替えて、生徒たちの流れとは逆方向へ向かう。ぐるりと校舎を回り込み、体育館裏にひょっこり顔を出してみる。
そして、俺は思いがけず、そこにある光景に見惚れた。
一人の少女がいる。言うまでもなく、雨宮夏奈だ。しかしその衣服や雰囲気は、まるで違っていた。
純白のワンピースを着て、穏やかに微笑んでいる。まるで後光が差しているかのように、穏やかな白い光が、彼女を包み込んでいた。
「あっ、お前……」
「ん?」
『ああ、驚かせちゃったか』―—そう言って、夏奈は笑みを深くした。
「ねえ涼真くん。本当はこんな危険なことに、あなたを巻き込みたくはなかったのだけれど……。あんまりにもフェアじゃないと思ったのよ、私。だから、伏せて。耐ショック姿勢を取って。そして目に焼き付けてほしいの。私と冬美……雨宮冬美との戦いを」
戦い? ここで戦いが起こるのか? 確かに周囲に民間人はいない。だが、危険を伴うことではあるようだ。それに、雨宮冬美とは誰のことだ? 名字が一緒ということは家族――。
そこまで考えた次の瞬間、鋭い殺気が、俺の頭蓋を揺さぶった。体育館裏の幹線道路、その向こう側からだ。
学校の敷地と幹線道路を区分けする木々。それを突き破って、巨大な円筒形の物体が吹っ飛んできた。
「うあっ⁉」
俺は慌てて地に伏せる。すると円筒形の物体は、がしゃん、ぐわんと軋む音を立てて体育館の側面に激突した。
「涼真、危ない!」
夏奈の絶叫。同時に、俺の視界は真っ赤に染まった。ドオオオオオオオン、という凄絶な爆発音がする。
吹っ飛んできたのは、長さ六、七メートルはあろうかというタンクローリーだったのだ。そう認識した直後、爆光が俺の網膜を押し広げ、爆風が呆気なく俺を吹き飛ばした。
「ぐわああっ!」
数メートル転がって、俺は停止した。反射的に、自分の身体の状態を確かめる。
四肢は無事で、臓器にも異常はない。やや平衡感覚に狂いがあるが、じっとしていればすぐ治るだろう。思わず、安堵のため息が出た。事故に巻き込まれずには済んだらしい。
しかし、不思議だ。あの近距離で爆発に巻き込まれたというのに、俺は軽傷だ。無論それはいいことなのだが、一体何故だ?
俺は非常事態用の携帯端末を取り出し、警視庁に応援を要請しようとした。が、
「はあ⁉ 圏外だって⁉」
馬鹿な。地球の裏側からでも通じる通信機だぞ。
「ごめんね涼真、私、さっきから人払いの魔法をかけてたんだ。無暗に普通の人を巻き込まないようにね」
こちらに背を向けたまま、淡々と告げる夏奈。
「でも、あなたには私と冬美の戦いを見ておいてもらいたかったし。それでも、まさか冬美がタンクローリーなんてふっ飛ばしてくるとは思わなくてね。危ない目に遭わせてごめん」
俺は無言で口をパクパクさせた。
冬美って、さっきも聞いた名前だ。一体何者なんだ?
夏奈も、人払いの魔法を使ったと言っている。彼女も魔法を使えるのか?
そして、どうしてこの俺を巻き込もうと考えたのか?
俺は一旦、夏奈から距離を取ろうと試みた。振り返るように倒れ込み、匍匐前進でその場を離れる。しかしここで、俺は思いがけない人物と出会った。
タンクローリーの運転手と思しき、髭面の男性だ。仰向けになって、気を失っている。俺は咄嗟に彼の首筋に手を当てた。無事だ。命に別状はない。
しかし、あれだけの爆発に巻き込まれながら、軽傷だと? そんなまさか。あり得ない。それこそ魔法で救助されでもしなければ――ってことは、やはり今の夏奈は魔女、なのか?
すると、木立の向こう、幹線道路の方から、ふわりと黒い影が降ってきた。
はっとした。見覚えがある。こいつは、昨日俺と石油化学工場で、白兵戦を演じた魔女だ。
夏奈からは、太陽光を凝縮して優しくしたような白い光が放たれている。それに対して、黒い影からは、負のオーラが漂っていた。
「もう止めなさい、冬美!」
夏奈が叫ぶ。しかし黒い影はお構いなしに、驚異的な踏み込みで夏奈の懐に跳び込んだ。
その手元に短い黒剣が握られているのを見て、俺は叫んだ。
「逃げろ、夏奈!」
俺は思わず目を逸らす。ザシュッ、と音がして、夏奈は地面に倒れ伏す。――という予想は、呆気なく裏切られた。
肉が裂かれる音の代わりに響いたのは、ガキィン、という硬質な澄んだ音だ。
はっと顔を前方に戻すと、夏奈は中世の剣士のような格好をしていた。身体のいたるところにプロテクターが装備されている。今し方黒剣を弾いたのは、胸当ての艶やかなプレートのようだ。
しかし、夏奈は武器を手にしていない。それを訝しんだのか、黒い影はバックステップで間合いを取った。
「何をしているの、冬美?」
その言葉に、黒い影の上部にエメラルドの光が宿った。瞳が輝いたのだ。
「あんたこそ何してんのさ、姉ちゃん?」
ねえ、ちゃん……? 夏奈と黒い影――冬美は姉妹なのか?
「あなたとは戦いたくないの、冬美。これ以上、破壊活動は止めなさい。世界を救う手段は、まだまだあるはず」
すると、ダン! と冬美が足を踏み鳴らした。その周辺の雑草が、彼女を中心に跳ね上がる。
「またそんな甘ったるいこと言って! だから姉ちゃんのやり方じゃ何も変わりゃしないんだよ!」
「だから今日ここに来たのね? 私を殺すために?」
その率直な物言いに、ぐっと冬美は身を引いた。微かに覗いた顔には、頬に傷があるのが見える。姉と同様、整った顔立ちであるが故に余計に痛々しい。
まだまだあどけない気配がある。小学校高学年くらいに見えた。
「知ってたの、姉ちゃん? 今日あたしがあんたの所在を突き止めて、攻め込んでくるって?」
「ええ。あなたの殺気は察知してたわ。だって、私はあなたの姉だもの」
すると、冬美は俯き、黙り込んだ。じっとりとした梅雨の空気が、俺たちの皮膚にへばりつく。
「へえ、そう」
ぽつりとそう言うと、冬美はくつくつと笑い出した。ばさり、とフードを脱ぎ去る。
そこに現れたのは、やはり夏奈そっくりの、というより夏奈を五、六年幼くしたような顔つきの少女。飾りっ気のないロングヘアだ。服装は、以前遭遇した時と同様、黒いボディアーマー。伸縮性の高い防刃ベストだ。
「だったら死んじゃいなよ、姉ちゃん。邪魔だからさ」
すると、エメラルドの光がぶわり、と立ち昇った。
肌がピリピリする。そうか。石油化学工場で感じた刺激は、この光――オーラの残滓だったのか。
ふっとため息をついて、真っ直ぐ冬美を見返す夏奈。彼女はアメジストの光に包まれている。
タンクローリーの爆炎を背景に、二人の魔女の戦いが開始された。
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