第5話

「ご苦労様です、兄者!」

「お、おう」


 こいつは斎藤隆文。小柄で痩身な空手部員で、坊主頭と黒縁眼鏡が特徴的なクラスメイトだ。よく俺に話しかけてきてくれるが、逆に言えば、こいつ以外はあまり俺に声をかけてこない。きっと俺に愛想がないからだろう。

 斎藤は、そこがかっこいいのだと勘違いをしている。有難いような、気の毒なような。


「兄者、是非ご覧いただきたいものがあるでごわす!」


 そう言って、斎藤が取り出したのは新聞の一面である。新聞と言っても地方紙だ。しかしそれだけに、『その事件』の扱いは大きい。見出しはこうである。


『沿岸部石油化学工場で爆発事故か』


「こいつは……初耳だな」

「左様ですか、兄者?」

「ああ」


 驚く斎藤に、シラを切る俺。こういう時は、知らない振りをするのが一番だ。


「何が原因なんだ?」


 ロクに読みもせず、斎藤を見上げる。


「それがよく分からんようでごわす。ただ、警官隊が突入したとか、銃声が響いていたとか、怪しいことがたくさんあるようでごわす」

「へえーえ」


 そこまで聞いて、俺は改めて記事に目を通した。

 俺が魔女と交戦した建物の内部は、グレネードで滅茶苦茶になった。銃声どころの騒ぎではなかったはずだ。どこかで何らかの情報操作が為されたに違いない。


「ふむ……」


 俺はわざとらしく顎に手を遣った。この状況ならば、俺がこの件に関与していることはクラスメイト、というか民間人にバレてはいないと言ってよさそうだ。

 だが、ひとまず『彼女』と話をしておいた方がよさそうだな。


「斎藤、悪い。ちっと腹が痛いんだ。保健室行ってくるから、先生に言っといてくれ」

「あっ、はい。御意でごわす、兄者! お気をつけて!」


 保健室に行くのに気をつけなきゃならないってどんな学校だよ。

 斎藤を騙したのに一抹の罪悪感を抱きつつ、俺は教室を出た。


         ※


 俺が向かったのは、部室棟の一角。授業棟や体育館同様、鉄筋コンクリート建てである。


「ったく、誰も掃除しねえのか……」


 蜘蛛の巣やら埃の塊やらを払い除けつつ、ゆっくりとその先の扉へと向かう。廊下の突き当たり、真っ直ぐに続く木製の引き戸をノックする。

 ジジッ、という機械音につられて、上を見上げる。そこにあったのは、いかにもといった形の監視カメラだ。


「俺だ。鬼原涼真だ。いるんだろ、日暮?」


 すると、今度はかちゃり、という軽い音がした。引き戸が開錠されたらしい。俺は振り返り、誰にも見られていないことを確認して、ゆっくりと扉を引き開けた。

 その先にあったのは、金属製の階段である。地下一階に続く空間に照明はない。しかし、横から灯りが差している。パソコンのディスプレイ群が放つ、淡い光だ。

 そちらを見ると、回転椅子とそこに座った小柄な影が目に入った。


「全く君は無礼だな、鬼原涼真。ボクが自分の名前を嫌っているのは知っているだろう?」

「じゃあ名字じゃなくて、下の名前で呼べばよかったか、夕子?」

「だーもう!」


 にやつく俺に向かって、人影が振り返った。肩に届く程度の色素の薄い髪、小学生程度にしか見えない体躯、かなり度が強そうな丸眼鏡。そんな外観の人物――日暮夕子・巡査部長相当官は、頬を膨らませて俺を睨んだ。


「どうして君という男は、そんなにボクの名前に拘るんだ? 巡査部長とか情報分析官とか、呼び方はいくらでもあるだろうに! そもそもボクが非協力的な態度に出たらどうするつもりだ? ボクにだって退職の自由は認められているんだぞ! いくら階級上上だからと言って、君がそんなパワハラめいたことをするなら――」

「はいはい悪かった悪かった! すまなかったよ!」


 一気呵成に語り出した夕子を、俺はどうにか宥めようと試みた。流石に毎度の遣り取りに、夕子も飽きていたらしい。一つ大きなため息をついて、すぐにディスプレイに向き直った。


「で? 今日は何を調べに来たんだ、涼真くん?」

「ん? ああ、そうだった」


 俺は先ほど斎藤から聞いた話を脳内再生しつつ、ゆっくり言葉を選びながら夕子に告げた。


「俺たちの戦闘情報を、偽装して民間にリークしてるのって、どこの誰なんだ?」


 すると、夕子は片眉を上げた。


「調べてどうするんだい、そんなこと?」

「だって、いくら何でもおかしいだろう?」


 両の掌を上に向け、肩を竦める俺。


「昨日の天候は霧雨だ。人通りは少なかったかもしれないが、皆無だったと断言はできない。しかも作戦は真昼間に行われたし、グレネード・ランチャーによる轟音は、周辺住民に聞かれなかったと考える方がおかしい。誰かが何かを、巧いこと偽装してるんだ。いや、巧いなんてもんじゃない。それこそ魔法だ」

「だから君は、作戦を偽装した何者かの正体が知りたい。そういうわけだな?」

「そう! その通りだよ、夕子! 流石、物分かりがいいじゃねえか!」


 俺は何の躊躇いもなく、夕子の両肩に手を載せた。


「ちょっ、突然何をするんだ! ボ、ボクと君はそういう関係じゃ……」

「は? 『そういう関係』って?」


 すると夕子はぴくり、と震えて俺と見つめ合った。


「な、何でもない! さっさと調査するから、邪魔するな! この部屋を男子禁制にしてもいいんだぞ!」

「あ、ああ、何だか分からんが、すまん」

「はあ……」


 夕子は椅子を回転させながら、俺の手を振り払った。微かに彼女の頬が紅潮しているように見えたのは気のせいだろうか?


「じゃあ、これから集中するから、悪いが出て行ってもらえるかね?」

「了解。頼む」


 それだけ言って、俺はすぐに夕子に背を向けた。そのまま教室に戻ることにする。


「失礼しまーす」

「おう鬼原、大丈夫か?」

「はい。どうもすんません」


 声をかけてきたのは、今のこの時間、すなわち一校時目を担当する坂畑雄平教諭だ。科目は古典。

 危うく禿げ上がった頭部に、口髭をたくわえた長身痩躯の男性。その穏やかな気性から、生徒からの人気も高い。まあ、居眠りしてもお咎めなし、という授業方針も影響しているのだろうが。


 俺はさっさと席に着き、分かりやすくも穏やかな残り三十分の授業を、落ち着きなく過ごした。


         ※


 授業終了。教室は、俺が登校した時と同じ空気になった。つまり、事件に関する憶測や駄論のぶつけ合いだ。

 案の定、誰からも声を掛けられることはない。俺はまた一つ、大きな欠伸をした。


 と、誰かが近づいてくる気配。誰からも声を掛けられないと思っていたのは、俺の早とちりだったようだ。


「お加減いかがですか、兄者?」

「ん? ああ、大丈夫だよ、斎藤。心配かけたな」


 涙を拭って顔を上げる。すると、斎藤は背中で腕を組んでいた。


「何を持ってるんだ?」

「自分は断ったのですが、どうしてもと先方が譲りませんで。これを兄者に、と」


 それだけ言って、斎藤はすっと紙の束を取り出した。いや、正確には封筒だ。パステルカラーのものが何通か、上の方にまとめてある。しかしほとんどを占めるのはその下、真っ白い封筒だ。


 俺はちらり、と教室を見回す。

 誰もがさっと顔を背ける。大方の生徒は、俺に対する恐怖心からだろう。本業が本業だから仕方ない、か。


 だが数名、様子の異なる者がいる。女子二、三名といったところか。彼女らは何をしているのかというと、頬を染めて、ちらっ、ちらっとこちらに視線を送ってくる。

 俺のことが気になるらしい。それもどうやら――俺はあんまり認めたくないのだが――異性として。


 まあ、コワモテとかちょいワルという風に見えるんだろうか? 服装に拘りはないが、かといって、わざとだらしなくしているつもりはない。妙な具合に目をつけられてしまったものである。


 確かに、意外とモテるからなあ、俺。


「さっすが兄者! 特別な日でもないのに、こんなにたくさんラブレぐふっ⁉」


 俺は空いている方の手で、斎藤の口を封じた。

 十数秒後、ギブアップを示すようにジタバタし始めたので、俺はぱっと手を放してやった。


「ぷはっ! はあ! はあ……。し、失礼しました兄者……」

「分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ……」


そう言いながら、俺はくいくい、と斎藤に耳を近づけさせる。


「しかし斎藤、お前も節操がねえなあ。大体、この封筒見りゃ中身の見当はつくだろう? 俺は恋愛なんて柄じゃねえし、今度から断ってくれねえか?」

「はあ。兄者がそう仰るんでしたら、構いませんが」

「んで」


 俺は再び視線を前方から逸らした。しかし、見回すのではなく、教室の窓側の席中央、サイドテールの女子に一発で照準を合わせる。


「残りの白い封筒は、全部アイツから、だな?」

「お察しの通りです、兄者」


 すると、俺の視線に気づいたのか、件の女子――雨宮夏奈は笑顔と共に手を振ってきた。


「一体何が書いてあるんだ?」


 本人に尋ねるのも癪だったので、俺は常備しているペーパーナイフ(護身用)を取り出して封を切った。

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