第3話


         ※


 案内する、と一言で言っても、特殊事案対策本部には地上施設はほとんどない。ぱっと見、二階建ての平べったい、不愛想な建造物だ。

 この施設の主要部は地下にある。テロや天災といった、不測の事態に対応するためだ。


 俺はテンション墜落中の小林を先導し、ずらりと並んだエレベーターの前に立った。そこには既に、大勢の刑事や武装警官、SATの面々の姿があった。

 エレベーターはたくさんあるが、その割に一つ一つが大きい。いかに迅速な移動を求められているかということの証左だ。


 今回、俺たちが向かうのは地下十階にある大会議室。エレベーターを降りると、それと同様に大きな扉が目の前にあった。大会議室というだけあって、このフロアは全体が会議室となっている。

 入室すると、段を成して座席が並んでいた。部屋の前方には大型スクリーンがある。


 会議室全体は、今は照明が灯されている。そこら中で煙草を吹かしているのは、専ら私服警官たちだ。彼らも俺と同じ目的のために行動しているわけで、文句を言える筋合いではない。だが、煙草を好きになれないのは事実である。


 俺は室内の四ヶ所に配されたコーヒーメーカーのうち、一機に向かった。


「濃い目のブラック、アイスで数は三杯、と……」


 ことん、と紙コップが降りてきて、コーヒーが注がれる。

 もちろん、三杯も準備したのには意味がある。一杯目はここで飲む。煙草の臭いを誤魔化すためだ。二杯目は普通に飲むためのもの。そして三杯目は、気を落としている小林に飲ませてしゃっきりさせるためのものだ。


 先ほど確保しておいた通路側の席に、小林は肩を落として座っていた。


「小林さん、さっきはすんません。でも、奧さんや娘さんを引き合いに出さないと、ずっと凹んだままだったでしょ?」

「……ええ、まあ」


 俺は片方の紙コップを、半ば押し付けるようにして小林に渡した。すると、ようやく事態を飲み込めたらしく、小林ははっとして身体をこちらに向けた。


「あ……! も、申し訳ありません、鬼原警部補殿!」

「ですからもう止めましょうよ、階級にそんなにこだわるのは。俺、言ってみりゃ非正規雇用っすよ? だから警部補『相当官』なわけで」


 と言いかけて、先ほどと同じような会話が展開されるであろうことを俺は察した。この話は打ち切りだ。


 すると、折よく警視庁のお偉いさんが壇上に立つところだった。照明が落とされ、スクリーンが起動する。

 誰からともなく立ち上がり、背筋を伸ばす。俺もそれに倣ったが、急に顔を上げたためか、煙草の煙で咳き込みそうになった。


《楽にしてくれ、諸君》


 そのしわがれた声に、皆が腰を下ろす。

 特殊事案対策本部の作戦会議は、いつもこうして始まる。それから、今日の作戦に至った経緯、作戦概要、実際の現場での様子、次回への引継ぎ事項の確認という順番で進む。


 俺たちの前のテーブルには、一席ずつにマイクがあり、その場で質疑応答が可能だ。

 段上には、これまたお偉いさんが立って説明を開始する。


《まだ知らぬ者も多いだろうから、今回の魔女による襲撃を予見できた理由を説明しておこう》


 そうだ。俺だってまだ聞いていない。


《まず、先月の爆破事件について。当時狙われたのは、今日破壊された工場と同じ財閥が保有する工場だった。セキュリティレベルもほぼ同様であることから、同財閥の有する中で、最も前回の事件現場に近い場所が狙われると、我々は予測した》


 なるほど。でもそのくらいの情報、流してくれてもよかったのではないか? スパイが紛れ込んでいるとでも思ったのだろうか。いや、俺にスパイの判別スキルがあるわけではないけれど。


《作戦は、所轄と警視庁の共同作業で行われた。しかし、このところの被害の拡大を鑑み、警視庁特殊部隊・SATに支援を要請した。これほどの大規模な作戦は、諸君も初めてだったはずだ》


 当然である。しかし、ヘリもSATも魔女を取り逃がした。自慢にはならないが、一番戦闘に携わったのは俺ではないだろうか。


《これから、二分間ほどの映像を諸君に観てもらう。ある警視庁関係者の、ボディカメラが撮影したものだ。やや信じ難いかもしれないが、今は現実を受け止めてもらうしかない。では》


 お偉いさんはステージ脇に引き下がり、液晶の大型スクリーンが発光した。白い数字の列が、画面左下でカウントダウンを行っている。三、二、一、映像スタート。


 目の前のドアが蹴破られる。こちらは南側の出入り口のようだ。低めの音量に被さり、東側、すなわち右側から連続した銃声が響く。

 そちらで戦っているのは俺だったはず。消音器の銃声も、ボディカメラの付属マイクは拾っていたらしい。


 ボディカメラというのは、文字通り警察官が身体に装着する小型カメラのことだ。違法逮捕の防止や、犯人の特徴の捕捉に一役買っている。

 そしてそのボディカメラの映像に、やはり右側から人影が入ってくる。


 あの黒い少女、魔女だ。次いで俺が登場して銃撃し、何事かを叫ぶ。それからグレネードの一斉射が行われ、画面は砂塵で真っ白になった。

 問題は、ボディカメラのレンズがさっと吹かれ、次に映った映像だった。


 近距離戦闘で互いに防御、あるいは回避を繰り返す俺と魔女。俺が相手に距離を取らせ、拳銃を抜いたその時だった。


 この映像を観ている人間たちが、はっと息を飲むのが分かった。一時停止が為される。

 その時の映像は、まさに魔女が緑色の障壁を造り、弾丸を防いだ瞬間だった。


「な、何だあれ?」

「銃弾を食い止めたぞ!」

「魔女って本当に魔法を使えたのか……」


 いつもならすぐに静まり返る会議室も、今回ばかりは状況が違った。

 特殊事案対策本部の面々は、皆が現実主義者である。昨今の爆破事件の犯人は、飽くまでも、通称として『魔女』と呼ばれているに過ぎない。そう思っていた。俺だってそうだ。


 しかし、相手は現実、言い換えれば常識の通用しない相手だと認めざるを得なくなってしまった。


《諸君、すまないが静粛に》


 そのお偉いさんの一言で、ようやく会議室は静まり返った。


《この映像が本物かどうかは、諸君らに判断してもらうしかない。だが、映像に特殊加工が為されていないことは、私が保証する。それはつまり、目標、すなわち魔女には、通常の九ミリ弾を零距離で防ぎうる能力があるということだ》


 やはり、俺の見間違いではなかった。あの緑色、というよりエメラルド色の障壁は、いわばバリアのようなものなのだろう。


『通常の九ミリ弾を零距離で防ぎうる』という能力。どこぞの国の新兵器か、それこそ本当に魔法なのか。


《次回の作戦は、今回同様に財閥繋がりで工場や研究施設近辺で待機してもらう。ローテーションは通常通りだ。何か質問は?》


 質問。その一言にに、俺は咄嗟に挙手をした。皆が映像の真偽を見定めている中では、異例の早さで。

 お偉いさんに代わり、再び壇上に上がった司会役の警官が手元のボタンを押し込む。すると、俺の座席上のランプが赤く点滅した。どうやら、発言権は俺にあるらしい。


《質問をどうぞ》


 皆が俺に振り返る。それはそうだ。こんな映像を見せられた直後に、誰がどんな質問をするのか、気にならない者はいまい。そんなことには頓着せずに、俺は問いを投げた。

 先ほどの作戦開始時から、ずっと気になっていたことだ。


「次回もまた、隠密任務でしょうか」

《当然、そのはずだが》


 マイクを握ったお偉いさんが答える。俺の胸中で、嫌な予感が膨れあがる。


「ということは、次の現場に民間人がいても、避難を促すようなことはしない、と?」

《そういうことになる》


 その時、俺の頭のどこかで、プツン、と何かが千切れて弾け飛んだ。


「ふざけるな!」


 唐突に立ち上がった俺を見て、小林がぎょっと身を引いた。彼だけではない。この会議室にいる全員が、だ。例外は、俺以外にただ一人。件のお偉いさんだ。


「つまり、こういうことだな? 民間人を囮にして魔女に攻め込ませる、と?」

「ちょっ、鬼原さん!」


 小声で小林が俺の袖を引く。しかし、完全無視。


「それが警察の、いや、人間のやることか! さっきは死者はいないって言ったが、それは俺たち警察関係者のことだろう? 俺ははっきり見たんだ! 爆破でバラバラになった民間人の遺体を! あんなもの、遺族に見せられやしない! それと同じことを、今後も繰り返すってのか!」

「鬼原さん、落ち着いて!」

《貴様! 作戦司令官に楯突くとは何事だ! 姓名と階級を名乗れ!》


 唾を飛ばして怒鳴り返す司会者に、俺は堂々と名乗って聞かせた。


「俺は、いや、自分は鬼原涼真・警部補相当官だ! ついでに聞かせてやる、俺の両親は――」

《結構だ、鬼原警部補》


 場を治めたのは、お偉いさん、すなわち司令官だった。


《君の生い立ちは、私も承知している。君が悪感情を抱いた時、咄嗟に自分でも意図しない言動を取ってしまうことも》


 何の引け目も感じていない。そんな態度に、俺は言葉を詰まらせた。


《しかしだ、鬼原警部補。我々は今、この国全体の、国民の生命財産を保護する義務を負っている。それを完全に達成することは不可能だ。それは君も自覚しているだろう?》

「……」


 全く以てその通りだ。さっきまで、誰が死のうが関係ないと思っていたのに。

 あれは、不可能であることを誤魔化そうと、自分に嘘をついていたのか。それが、俺特有の突発的な感情の変化で瓦解した。

 それを証明するかのように、俺の胸中では、怒りの炎が荒ぶっている。先ほどまでの冷静さはどこへやら、だ。


 しかし、今の司令官の言葉は、否応なしに雨を降らせた。一気に沈静化していく、俺の胸中の炎。結局、人間が人間にしてやれることはその程度だということだろう。


 俺はかぶりを振り、これ以上何を言うでもなく、すとんと座席に腰を下ろした。

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