第2話
「目標は工場西口に向け、我々の頭上を跳びかっている! 皆、上方を警戒してくれ!」
『了解』という復唱が重なる。俺はキャットウォーク上を狙い、銃撃を繰り返す。しかし、魔女は上下左右に身体の重心を傾け、一直線に移動することをしない。狙いが定まらないのだ。せめて掠り傷だけでも、と思ったが、見事に回避される。まさか、これが魔法の力なのだろうか?
「くそっ!」
せめて自動小銃か手榴弾でもあれば。だが、刑事である俺たちに携行を許されているのは拳銃だけだ。
あるいは、頭上から魔女を引きずりおろせれば。しかし、これにも強力な武器が要る。
「これじゃ、みすみす今回も取り逃がすことになっちまうじゃねえか!」
俺は弾切れを起こした自前の拳銃を放り捨てた。小林から拝借した拳銃もあるが、こちらも早々に弾切れを起こすのは明白だ。
俺が歯噛みした、その時だった。
《総員、撃ち方止め! 撃ち方止め! できる限り姿勢を低く!》
「何っ?」
何事だ? 何が起ころうとしている?
取り敢えず俺は、その場で腹這いになった。後頭部に手を当てる。
その一連の動作を終えた、直後のこと。凄まじい爆音と共に、天井が崩落した。
どうやら俺たちは、魔女を頭上に追いやるのが役目だったらしい。魔女を建物の中央部上方に追い立て、足場の狭くなったところでグレネードを浴びせる。そんなところか。
伏せていたので詳細は分からない。だが、巧みに狙いが定まったランチャーを前に、魔女が無傷とは考えられない。
魔女一人にこんな重火器と相当数の警官を担ぎ出すとは、大した騒ぎである。が、これで今以上の犠牲者が出なくなると思えば安いものか。
待てよ。そこまでの激戦になることを想定していたのなら、何故民間人である工員が作業していたんだ? まるで、今日ここで戦闘が行われるのを知らなかったかのように。
まさか、本当に知らなかったのか? この工場が、魔女の標的になっていたことすらも?
関係ない。俺は胸中で呟いた。誰が死のうが生き残ろうが、俺には関係ない。刑事に非ざる暴言かもしれないが、実際にそう思っているのだから仕方がない。
いつの世も、人間は少数派を切り捨てながら生きてきたのだ。弱者を食い物にしながら栄えてきたのだ。
誰もが傷つかずに暮らせる世界――そんなもの、存在しない。そして、実現し得ない。
俺は諦念に囚われていた。せっかく親父が目指していたものだけれど、無理なものは無理だ。
俺ははっとした。今は思索に耽っている場合ではない。まだ作戦は終了していないのだ。
片膝をつくようにして、周囲を見渡す。一旦目を下げ、拳銃に新たな弾倉を叩き込む。空になった弾倉を拾っておくことも忘れない。
女性の悲鳴のような響きを纏って風が吹き込んでくる。
俺は、魔女の遺体の確認を別動隊に任せ、小林の元へ戻ろうとした。
「小林さん、だいじょ……ぐっ!」
俺は顔の前で腕を交差させ、慌てて振り返った。同時に、鈍痛が肘先を震わせる。
すぐさまバックステップし、小林を守るようにして戦闘体勢に入る。近接戦闘だ。
相手に向かって『何者か』などと、問うまでもない。魔女だ。先ほど銃撃を加えた人影に相違ない。一つ意外だったのは、実に小柄であるということ。体格からして、女性であることは分かるのだが。
こんな年端も行かない少女が『魔女』? 俄かに信じられることではない。
いいや、考えるのは後回しだ。今はこの少女の相手をしなければ。
改めて観察する。
身長は百四十センチほど。真っ黒いコートに、漆黒のボディスーツを身につけている。フードを被っているせいで、顔はよく見えない。
相手の俊敏さを念頭に、作戦を練る。
四肢に少しずつ打撃を加え、隙を作ってボディにダメージを喰らわせる。よし、これでいこう。
そう判断した時には、俺は拳を突き出していた。俺の狙いを察したのか、相手はガードではなく回避に重きを置く様子だ。
銃撃された時と同様に、自身の重心を揺らす。最低限の動きで俺の連続ジャブを回避し、回し蹴りを見舞ってくる。俺はその足を掴み込もうとしたが、すぐさま足は引き戻される。敵ながら見事な動きだ。
作戦変更。俺は脚部の瞬発力を生かし、相手の両肩に掴みかかった。当然、相手は距離を取る。俺自身に隙が生まれるのは覚悟の上だ。
隙ができるといっても、相手は俺の方がリーチがあることは知っている。一旦動きが止まる。今だ。
俺は素早く拳銃を抜き、相手の腹部に三連射した。この距離では、外そうにも外せないというものである。
もし相手が防弾ベストを着用していたとしても、衝撃で押し倒すくらいのことはできる。
そうすれば、跳躍からの膝落としで確実に仕留められる。他人を殺したことのある人間には分かる感覚だ。
それでも、相手は正真正銘の魔女だった。俺が放った三発の弾丸は、着弾直前、そこに出現した緑色の薄い板で阻まれてしまったのだ。
「ッ⁉」
何だ? 一体何が起こっている? 俺たちは今回の犯人を、便宜上『魔女』呼ばわりしてきたが、まさか本当に魔法を使えるのか?
《鬼原警部補、退避しろ!》
ヘッドセットから聞こえた声に、無意識に身体が反応した。俺が再び腹這いになるのと、出入口から別動隊が突入してくるのは同時。自動小銃で武装した彼らが銃撃を開始したのはその直後のことだ。
俺の頭上ギリギリのところを、無数の弾丸が飛び去って行く。大きくバク転するようにして、これを回避する魔女。着地の際に隙ができたが、そこはやはり、緑色の光の板が彼女の身体を弾雨から守った。
別動隊に驚きと動揺が広がるのが伝わってくる。
魔女は、挟み撃ちに遭う前に、反対側の出入口へと巧みに移動していく。
《撃ち方止め。撃ち方止め。目標消失。総員、警戒しつつ、当該施設の安全を確保せよ》
その言葉に、俺はゆっくりと立ち上がった。振り返ると、そこには自動小銃を手にした一団がいた。防弾ベストとバイザー付きの鍔なしヘルメットに身を包んでいる。紛れもなく、特殊急襲部隊、SATの面々だ。
俺たち以上の訓練を積んでいる彼らは、互いに援護体勢を取りながら、工場内に侵入してくる。辛うじて無傷だったらしい小林が、大丈夫かと声を掛けられている。
何故か現場に残っていた民間の作業員。
何故か実施されたグレネードによる攻撃。
何故か戦闘終盤になって投入されたSAT。
謎は尽きないが、それは今日中にでも行われるであろう定時報告会で説明があるだろう。いや、あってもらわなければ困る。こちらも命を懸けているのだから。
※
俺たちに『本部』と呼べるところがあるとすれば、それは警視庁でも警察庁でもない。それらの下部組織である『特殊事案対策本部』という、素っ気ない名前の部署だ。
建物は、東京都福生市の郊外にある。人口密集地に配したのでは、『特殊事案』すなわち高度機密事項を保守できない。だから、都内二十三区からは外れている。
今、俺と小林が乗ってきた覆面パトカーには、SATの後方支援要員一人が同乗している。というより、彼が運転している。小林がぶっ倒れたままだったので、代わりに運転を買って出てくれたのだ。
まどろっこしいことこの上ないが、俺はまだ十七歳である。普通自動車の免許取得はできない。
拳銃を扱っているのだから、自動車くらい使いこなせる。そう上官に進言したこともあった。しかしそれで、自動車の運転技能を身につけようとすれば、教習所に身分を詐称して通わねばならなくなる。
警視庁、警察庁、それにギリギリ防衛省の管轄する範囲においては、俺の超法規的権限の行使(銃火器の取り扱いや、現場での作戦立案など)が許されている。だが『自動車学校』という、民間の修養施設に通うのは困難だ。
「……」
俺は音のないため息をつきながら、正面から視線を逸らし、外を眺めていた。雨はいよいよ本降りになってきている。胸中のもやもやとした感覚も、湿気同様に立ち昇ってくる。
『これでは、鑑識作業は大変だろうなあ』――そこに思い至ったところで、自動車は緩やかに停車した。
「鬼原警部補、小林巡査部長、本部到着です」
運転手が淡々と告げる。
「あっ、ああ、すいません。後は俺が」
俺は慌てて後部座席に回り、小林の身体を揺すった。
「小林さん、これから会議ですよ!」
今の彼にまともな発言できるとも思えないが。
「小林正人巡査部長! 奥様とご息女がお見えになってますよ!」
「ほぇえ⁉」
小林は、バネが仕掛けられていたかのように跳び起きた。
「麻実さん! 春子! どこだ⁉」
「すんません、冗談っす。小林さん、なかなか起きてくれないもんで」
「え? 冗談って……」
俺は俯くしかない。
「ま、まあ、小林さんもショックから立ち直ってくれたみたいですし、会議室に行きましょう。あと十分くらいあります。建物の中、案内しますよ」
小林は、正気に戻りはした。だが、久々に妻子の顔を見られるという期待を裏切られたためか、今まで以上に顔色はよくなかった。
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