霧雨に霞むアメジスト

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


「魔女狩り部隊?」

「って、呼ばれてるらしいっすよ、俺ら」


 問うてきた小林正人・巡査部長の言葉に、俺は素っ気なく返答した。


「い、嫌ですねえ、魔女狩りだなんて……」

「その魔女とやらが何者であれ、俺たちは任務を全うするだけっす。交戦どころか射殺許可まで出てるんすよ? ちゃんと自覚を持たなきゃ。俺たちは人を殺めるんだって」

「それはそうですけど。でも、鬼原警部補は落ち着いてらっしゃいますね。何度も修羅場を潜り抜けてきたみたいだ」


 そう言われて、俺はちらりと運転席の小林に目を遣った。彼は相変わらず引き攣った笑みを浮かべている。確か、この『魔女狩り部隊』に配属されてからの出動は二度目だったか。

 俺、鬼原涼真はといえば、少なくとも十数回は出動しているはずである。


 確かに、階級も経験も俺の方が上。だが、年上の人間に敬語を使われるのは性に合わない。


「小林さん、俺まだ十七っすよ? いくら階級が俺より下だからって、へりくだってもらう必要はないんすけど」


 というより、そうしないでもらいたい。

 しかし小林はこちらを向き、『いえいえそんな!』と言いながら両手を顔の前でひらひらさせた。

 小林正人は典型的な優男で、誰からも愛される人物だ。いや、敵が少ないと言うべきか。それがどうして警察官、とりわけ刑事なんてものになったのか、俺には分からない。


 そして今、俺と小林が何をしているのか。

 一言で言えば『待機』だ。今日で二日目になる。張り込みと違うのは、犯人の『登場』を待っているのではなく、『犯行』が行われるのを待っている、という点だ。犯行が行われ次第、速やかに突入し、現場を制圧する。


 警視庁やら警察庁やらにどんなパイプがあるかは知らない。だが、どうやら次の犯行現場、すなわち標的にされているのは、隣の工場らしい。確か、新しい繊維の開発用に石油を加工しているとか。


 いかにも梅雨らしい、じっとりとした空気。僅かにぱらつく小雨。そんなものには頓着せず、工場ののっぽな煙突からは、濛々と黒煙が上がっている。

 周辺には、似たような不愛想な建物が整然と並んでいて、爽やかな海風を見事に妨げている。


 俺たちが『魔女狩り部隊』などと揶揄される理由は一つ。

 追っているのが目標が、謎の力を行使する女性であるということだ。この女性は、現場では『魔女』と呼ばれている。


 ここ数年に渡って、この街と近隣の沿岸地域に現れ、破壊活動を行ってきた魔女。死傷者は数知れず、他者を殺傷することに何の抵抗もないことは明らかである。


 わざわざテロリストではなく魔女と呼ばれるのは、犯行現場の『異様さ』による。

 一旦踏み込んでみると、あちらこちらに死傷者がいて、爆発物を行使したかのようなクレーターや壁面の凹みが見受けられる。にも関わらず、火薬の臭いがしないのだ。

 鑑識の報告にもあった。火薬を使う、使わないに関わらず、あらゆる爆発物の使用形跡がないと。


 現実をできうる限り追求していって、もしそれにそぐわない事態に直面したら、その事態こそ魔法の産物である。


 そしてここ十数件に及ぶ爆破事件は、魔法としか言いようのない事案だ。俺の経験だが、魔女の犯行現場に足を踏み入れると、肌がピリピリするような、不思議な感覚に囚われる。

 救急や鑑識によって、死傷者、証拠物、危険物質などが搬出された後でも、だ。


 そこまで考えを巡らせてから、俺は腕を組んで長い息をついた。


「あれ? どうしたんですか、鬼原警部補?」

「ちっと寝ます」


 今、俺と小林が乗っている覆面パトカーは、犯行予想現場から百メートルと離れていない。何かあれば、すぐに急行できる。それを分かっているのだろう、小林は素直に『分かりました』と答え、自分の缶コーヒーに口をつけた。


 俺が助手席の背もたれを倒そうとした、その時だった。


「ん?」

「兄さんたち、煙草はいらんかね」


 この雨の中で、みすぼらしい格好の爺さんが声をかけてきた。俺は声が通りやすいようにと、少しだけ窓を下げた。


「ああ、悪いね爺さん。この車、禁煙なんだ」

「家帰って吸ったらよかんべ」


 独特な訛りを交えて話す爺さん。

 俺は煙草の臭いが苦手だし、仮に二十歳を過ぎても、自分には無縁の代物だと思っている。


「すまないね。他をあたってもらえるかい」


 すると、ホームレスと思しき爺さんは素直に手を引っ込め、軽く会釈をして去っていった。 


「甘いんですねえ、警部補」

「警部補は止めてくださいって。俺は飽くまで警部補『相当官』です」

「おんなじじゃないですか」

「じゃあ好きに呼んでください」


 すると小林は咳払いを一つ。


「繰り返しますけど、鬼原警部補は甘いんですね」

「え? 俺たちも予算カツカツなんで、あの爺さんの気持ちも分からなくはないんです。無下に追い返すのは気が引けて」

「そんな甘々な鬼原警部補に、とっておきの癒しを提供しましょう!」


 な、何だ? 突然テンションが上がったな、小林。

 俺が振り向くと、小林は私用のスマホを取り出すところだった。動画が再生される。そこには、ベビーチェアで揺られる赤ん坊が映っていた。


「娘の春子です! 可愛いでしょう? ほら、目つきなんか僕にそっくりで!」


 次の瞬間、俺の脳みそは一瞬で沸騰した。小林の手からスマホを奪い、思いっきりダッシュボードに叩きつける。――などという暴挙に走らなかったのは、小林に非はないという天使の囁きがあったからだ。


「ど、どうしたんです、警部補?」


 実際、俺の挙動は、途中までスマホに手を伸ばしたところで止まっていた。

 小林はきょとんと首を傾げてこちらを見つめている。


「……何でもないっす」


 俺は何とかそう答え、手を引っ込めた。

 もちろん、それが『普通の家庭』の『普通の幸せ』であることは知っている。

 だが、それを享受できなかった人間――例えば俺――からすれば、嫉妬と羨望の的になってしまうのだ。


 まあ、小林に悪意があるわけでもなし、暴力沙汰になったわけでもなし。俺が我慢すれば済むことだ。


 俺が再び背もたれに身体を預けた、その直後のことである。煙突群が次々に倒壊し、爆音と破砕音を響かせたのは。


 煙突の根元が破壊され、一本一本が適当な方向に倒れ込んで行く。すぐさま倒れ込むもの、互いに寄りかかるもの、途中から折れて瓦解していくもの。様子は様々だが、いずれにしても破壊行為が行われているのは間違いない。


「魔女はまだ現場にいるはずです! 片づけますよ!」

「りょ、了解!」


 小雨が降る中、俺はホルスターから拳銃を抜き、消音器を取り付けた。両手で把手を握りながら、工場へと駆けていく。ぶわり、と風が吹き、一際強く雨粒が俺の頬を打った。


 そんなことには構わずに、俺と小林は工場へと踏み入る。前後左右に視線を飛ばす。


 この工場自体は、割と新しいものだろう。しかし、あたりは酷い砂埃だった。コンクリート片がごつごつと床に起伏を成し、一部崩落した天井からは雨粒が垂れてくる。


 突然、ゴウン、ゴウンと低い音がした。すぐさまそちらに視線と銃口を向ける。しかし、そこにあったのは、大型の空気清浄機だった。異常を感知し、起動したのだろう。

 さらさらと消え去っていく砂埃。だが、それは一概にいいことだとは言えなかった。


「ッ……」

「うっ!」


 俺は舌打ち。小林は口元に手を遣り、しかし耐えかねて嘔吐。

 周囲には、この工場で働いていた工員たちの遺体が転がっていた。爆発で吹き飛ばされ、四肢を失っている者や、上半身と下半身をばっさり引き裂かれた者もいる。


「こちら鬼原、現在工場東口より突入、死傷者多数。至急救急車の手配を願います」


 しばしの間、似たような無線通信が飛び交った。俺は生存者を探し、あたりを見回す。

 しかしその間も、俺はこの場に潜む異質な何者かを、気配で捉えていた。

 動いた! そう判断し、振り返りざまに拳銃を三連射。ピシュン、というややくぐもった音が鳴る。


 俺は視界の端で捉えていたのだ。何者かが息をひそめ、脱出の機会を窺っているのを。

 生存者である可能性も鑑み、わざと外す形になった三連射。だが、収穫はあった。

 俺たちの気配を察しながら、出てこようとしなかったこと。それに、俺が撃った時に見せた俊敏さ。負傷者にできる芸当ではない。


 その何者か――十中八九魔女だろう――は、そばのタンクと内壁の間を、三角跳びの要領で上へと逃れていく。普段なら、高いところは逃走に向かない場所として、素通りするものだ。しかし、相手は魔女である。何を考えているのか分からない。


「小林巡査部長、拳銃借ります」

「けほ……あ、えっ?」


 俺は二丁拳銃で、標的である魔女を追った。

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