第26話 イングランド王国が動き出す。

 一四世紀から一九世紀までは「ミニ氷河期」と呼ばれている。

 その後の気温は上昇に転じ、さらに東京では、過去百年間に約三℃上昇したという。地球温暖化の影響と、ヒートアイランド現象によるものだ。

 やはり秀吉の時代の冬は寒かったのだ。そのうえエアコンなど無く、火鉢しかないのだから寒がりのおれには相当こたえる。


 そしてついに秀矩が亡くなった。かねての打ち合わせ通り、遺体はひそかに埋葬され、佐助のうなだれ泣き崩れる姿がおれの目に痛く映る。

 佐助も秀矩の事情を全く知らない訳では無いのだが、目の前でその死に直面するとさすがに感情が抑えられないのだろう。

 思わず、おれはここに居るよと声を掛けたくなった。

 だが、その佐助に寄り添ったトキを見ると、


「あれっ」


 腰元のトキではないか。いつの間にかガイドのトキから腰元のトキに戻っていた。


「トキ、そなたは」


「ガイドの私では佐助がかわいそうで」


「…………」


 なじんでいた腰元にまた移ったのだった。

 だがその佐助も次第に、新しいおれに笑顔を見せるようになってきた。




 欧州を支配下に入れたイングランド王国は、アジアにも目を向けていた。

 この時代アジアの大国であったのは中国だ。まだ万里と呼ばれる長城の内側だけであったのだが、その広大な地域を支配していた明王朝は既に末期を迎えていた。万暦帝の治世の後半、宦官が政治の実権を握り、民衆が重い税負担に反発して暴動が起こっていた。


 そして遼東地方(後の満州、現在の東北地方)では女真を統一したヌルハチが、明から独立しようと機会をうかがっている。

 翌年パインから、クロムウェルの別動隊がその明王朝に、南から攻め込もうとしているとの連絡が有った。イングランド王国から出されていた条約要求を、不平等であるという理由で蹴ったという事だ。




 イングランド王国が動き出す二十年ほど前、スペインの無敵艦隊は兵士約一万八千、船員、その他非戦闘員の一万二千、総数約三万人を艦船に満載してイングランドに向かった。

 計画では当初スペイン・フェリペ二世は、外地で交戦中の精鋭部隊と合流する予定だった。数百隻の艦船と兵員三万が合わされば、合計六万近くの兵士が参加する上陸作戦となる。


 しかしその計画は挫折して、実際に参加した船舶は百三十隻で上陸する兵士の数は一万八千だった。船の種類にもよるが、一隻平均で上陸出来る兵士は約百四十人程度と思われる。今は船が大型化してもっと多いかもしれない。

 待ち構えているイングランド軍艦船は二百隻であった。


 またレパントの海戦(一五七一年)では地中海の覇権を争って、教皇・スペイン・ヴェネチアの連合軍とオスマン帝国海軍がギリシャのコリント湾口で激突した。


 この時の主力艦は両軍ともに大勢でオールを漕ぐガレー船であったが、オスマン帝国戦艦の総数は三百隻であった。

 いずれもこの時代の海戦を伴う上陸作戦は、すでに壮大な物量戦になっていたようだ。


 イングランド王国が最終目的地である日本に照準を定めた時には、総力を上げて侵攻して来るだろう。間違いなく四百隻ほどの大艦船団でやって来ると思っておいた方が良い。上陸する兵士の数は五万から六万か。


 何しろ前回の戦では、日本の鉄砲隊にスペインとポルトガルの連合軍が完膚なきまでにやられているのだ。もっともたった五隻や七隻のガレオン船での襲撃など、彼らにとってみればほんの小手調べに過ぎなかったに違いない。

 ジパングは黄金の国、侵攻作戦はこれからが本番なのだ。


 元寇(げんこう)は鎌倉時代中期に、二度にわたり行われた日本侵攻である。来襲した軍船は大小合わせて七百から九百隻余り。兵員は四万近くにもなったと言う。

 イングランド王国が侵攻してくれば、日本にとって二度目、三百数十年ぶりとなる非常事態だ。




「太郎兵衛はおるか?」


「はい」


 大阪に戻っている太郎兵衛に言っておきたい事がある。


「太郎兵衛、硝石の事だ」


 この男もおれの事情を知っている数少ない一人だ。


「国内での生産も急がせるが、輸入も出来るだけ多くしてもらいたい」


「分かりました」


 イングランド王国が明を制圧してしまったら、硝石の輸入が難しくなる。日本国内での生産もある程度は出来るようだが、十分な火薬を作るためには絶対必要な物だ。


 



「幸村」


「はい」


「仁吉を呼べ」


 おれは再び仁吉を呼び出した。


「仁吉、今度は大筒(おおづつ)を作ってもらうぞ」


「…………」


「但し、従来の大筒とは違う」


 この時代のキャノン砲と呼ばれる大砲は、ボーリングの球サイズの弾丸を発射する。破壊力はあるものの有効射程距離は二百五十メートル程度であった。


 カルバリン砲というものは砲弾はメロン程度の大きさで、破壊力ではキャノン砲に劣るが、有効射程距離は三百五十メートル程度と有利であった。


「小口径のものでいい」


「…………」


「握りこぶしほどの径で円筒状の弾丸を撃てるように造ってみろ」


「分かりました」


 着弾した際に起爆して爆発させる事はまだ無理だが、円筒状の砲弾はミニエー弾で習得済みの技術だから出来るだろう。射程距離を伸ばすため、当然ライフリングを施してもらう。イングランド王国軍の大砲にライフリングが施されているかどうか定かではないが、新式銃の構造を見ているのだから、当然砲でも考えるに違いない。


 有効射程距離は小型であるからと、この時代の約二倍、四百メートルから六百メートルを要求した。


 さらに大砲にも元込め式を提案した。砲身の後部にスクリューがあり、それを回して砲尾を開け装填する、といった仕組みである。しかし仁吉にネジの概念を説明するのには手間取った。





 17世紀の砲は大型化に進んでいるのだが、今回の作戦では小型を多用しようと考えている。取り回しが楽で敏速に移動出来るからだ。射程圏外から複数の大砲で集中砲火を浴びせて、無力化させることが出来ればいいのだが。敵の砲も射程距離が伸びているだろう……


 ガレオン船に搭載されている大砲は脅威だが、沿岸を離れてしまえば問題ない。あとは上陸して来る大砲だけを何とかすればいいのだ。


 何処に上陸して来るか分からない状況で、湾岸の砲台など無駄な防備をする必要はない。大型の大砲は既にイングランドの方が勝っている。百隻を超えるかもしれないガレオン船の大砲に、立ち向かえる装備は間に合わない。勝手に上陸させて、その後有利な場所で迎え討てばいいだけだ。


 ちなみにスペインの無敵艦隊がイングランド沖で放った大砲の弾は十二万発とも言われ、単純計算ではスペイン船一隻当たりの弾丸保有数は九百発にもなる。


 と言う事は仮に百隻のガレオン船が来た場合、放たれる砲弾の数は九万発となるではないか!



「幸村」


「はい」


「これはやり方を変える必要があるな」


「…………」


 仁吉と幸村とで銃の製造現場を見て回ったおれの感想だった。


 日本刀を作る鍛冶工房の風景を思い浮かべたらいい。数人の職人が一丁の鉄砲を最初から完成までかかりっきりだ。これでは到底間に合わない。流れ作業でもっと効率的に仕事を進める必要がある。


 幸村にその解決法を説明して、仁吉には細かい行程別の職人を育てれば良いと言って聞かせた。それなら早く養成出来るはずだ。流れ作業に昔ながらの職人は必要ない。


 大平洋戦争では銃弾薬の工場で女子学生が活躍したと言うではないか。手の空く町人を多数徴用するのだ。すると二人とも分かってくれたようで、すぐ具体的な相談をし始めた。

 だが城に帰る途中でふと気が付いた。


「どうしたのだ?」


「はっ」


「元気がないではないか」


 安兵衛がおれの護衛として常に傍に付いている。一度はおれを殺害しようとした男だ。ところがなぜか元気がないように見える。


「拙者はこれまで剣一筋に生きてまいりました」


「…………」


「ところが先ほどの殿と仁吉殿との会話がまったく理解できません。それで……」


「なんだ、そんなことか」


 安兵衛には剣道という道があるだろう。それと同じに仁吉にも鉄砲道と言えるものがあるはずだ。同じではないかと言って聞かせた。


 確かに全く新しい概念や世界がいきなり現れたら、それまで生きて来た価値観が用をなさなくなるのではと感じてしまうのかもしれない。


 すでに刀を振り回す時代は去り、鉄砲が雌雄を決するようになっているのは安兵衛も分かっているに違いないのだ。

 


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