第9話「又兵衛殿、遅くなってしまい申し訳ない!」

 徳川や伊達軍の侵攻具合が気になっていたが、通信手段は早馬か狼煙くらいしかない時代だ。


 今は待つしかない。


「才蔵がまいっております」


「よし、通せ!」


「はっ」


 数々の修羅場をかいくぐって来た者なのだろうが、忍びの棟梁とは思われない静かな物腰でおれの前に進み出た。


「報告いたします」


「様子はどうだ。伊達軍は?」


 おれは身を乗り出すようにして聞いた。


「伊達軍の戦意は非常に高く、駿府城は包囲されました」


「……かなり早い進軍だな」


 才蔵の報告では、先発した伊達政宗率いる部隊が東海道を下り、駿府城攻略を開始。駿府城主池田輝政は五〇〇〇の兵力で立てこもった。包囲した伊達は大軍であり、比較的小さな駿府城は力攻めも不可能ではない。降伏するよう働きかけたが応ずる様子は無いと言う。だがこのような城を攻めあぐむのもあまり意味がないと思われたのか、それを裏付けるように、家康殿より通り過ぎろと指示が出されたようだ。


 そのため伊達軍は一部の隊を封じ込めに置いただけで先に進み始めたということであった。


 城主池田輝政は伊達軍の帰順勧告は無視して徹底した籠城策を取り、討って出ようとはしなかった。しかしながら、次にやってきた徳川の大軍の前にはついに抵抗を断念、家康の説得に応じて降伏・開城した。


「という事は、伊達軍はもう掛川に着いている頃か」


「はい、そのように先ほど報告が有りました」


 駿府城から掛川城までの道のりは約六〇キロだから、二日ほどの行程だと考えられる。


「幸村、又兵衛を呼べ」


「はっ」


 後世の評判でも、又兵衛(後藤 基次)は大坂城五人衆の一人に数えられた英雄豪傑だ。大阪夏の陣では到着したばかりの徳川軍に対し、援軍もなく敢然と立ち向かって行ったヒーロー。徳川、豊臣両軍が全力でぶつかろうとしている今、その初戦を飾るにはふさわしい武将なのだ。


「殿」


 四四歳になる又兵衛はおれの前に出ると、片膝を曲げ腰を下ろして会釈をした。


「又兵衛、数は分からぬが伊達軍の一部が二俣城前を通ってくると思われる。そなたは先発隊としてまっすぐその方面に向かってくれ」


「承知しました」


「大軍とは見せぬために、幸村の兵を後から行かせる。単独では討って出るなよ。敵が居たらいったん引け」


「分かりました」


 おれは振り返って幸村を見た。


「幸村」


「はっ」


「兵四〇〇〇を連れて又兵衛隊を支援せよ」


「はい」


「二俣城まで目印になるようなものは無いので、集合場所も決めにくい。又兵衛隊を見失わないようにしろ」


「承知しました」


「勝永はおるか」


 おれは家臣たちを見まわし声を掛けた。毛利勝永、史実では道明寺や天王寺の戦いで、徳川の大軍に果敢に立ち向かうと、縦横無尽の活躍をした若武者だ。あの勇猛な黒田長政を感嘆させたという。


「はっ、これに」


「そなたは三〇〇〇を引き連れ、幸村隊と行動を共にせよ」


「かしこまりました」


 一度戦に出てしまえば、あとはその軍の指揮官の裁量に任せることになる。豊臣全軍が到着するまでにはまだ時間が掛かる。ここは三人の力量を信ずることにしよう。


 その後、長曾我部殿には左翼から、島津殿には右翼からの支援をお願いした。こうして押していけば敵は天竜川を背にすることになる。まだどうなるとも分からないが、状況の優劣を少しでも確かなものとしておきたい。




「才蔵」


「はっ」


「伊達軍は二俣城前を通ったか?」


「まだ一部の隊だけのようです」


「伊達全軍が川を渡り終える前でも逐一報告せよ。その後は二俣城方面の戦況報告もだ」


「かしこまりました」


 この時点ですでに掛川の城主増田長盛が寝返ったのは明らかになっていた。




「ふう、腹がへった」


「殿、握りが出来ております。佐助」


「はい」


「殿に握りと汁を用意せよ」


「かしこまりました」


「…………」


 食事を運んできた佐助に聞いてみた。


「そなたの名は佐助なんだな」


「はい」


「男のような名前なんだが……」


「わたくしは生まれてすぐ男の子として育てられました」


「そうか」


 よくみれば佐助は端正な顔立ちをしており、トキも言ったが確かに綺麗な容貌ではないか。おれは初めて佐助の横顔をまじまじと見た。


 だがおれの視線にうつむく佐助の様子をみて、これ以上の詮索はしない方が良いと感じた。この戦国の世だ。女の子として生まれ、どんな目に遭っているか分からないからな。





 夕刻前には才蔵から前線の状況報告があったのだが、それはおれの予想を超えた凄まじいものだった。


 先行していた後藤又兵衛隊三八〇〇は伊達の先発隊と遭遇する。


 又兵衛隊は予定通りすぐに引き返すも、伊達軍は素早い動きで又兵衛隊の追撃を開始、戦いが始まってしまう。


 望まぬ形で開戦、鉄砲を撃ち込まれた。


 又兵衛隊もすかさず銃口を向けて追い払い、自軍の秩序を守ろうとする。さらに後方の幸村隊らとの合流を目指して、周囲の敵を振り切ろうと決死の攻撃を加えた。すると思わぬ又兵衛隊の猛反撃を受けた伊達隊の先陣が一気に壊滅。


 それを見て勢いを得た又兵衛はなおも攻撃の手を緩めなかったため、伊達隊は混乱状態に陥り、前線の敵将が討ち死にする。


 しかしほどなくして新手の伊達隊が到着。


 又兵衛は勇猛果敢に突撃を指揮していたが、銃撃され負傷してしまう。


 幸村や勝永隊の到着が遅れ、逆に伊達軍の新たな鉄砲隊など、数倍以上となった周囲の敵に対し、又兵衛は満身創痍となりながらも突撃を継続したため乱戦になってしまった。


 だがやっと駆け付けた幸村隊が反撃を開始、又兵衛を危機から救い出した。


「又兵衛殿、遅くなってしまい申し訳ない!」


 地面に刀を突き差して杖とし、血だるまになって仁王立ちの又兵衛は幸村から声を掛けられ、ニヤリと笑ったという。


 さらには勝永隊も駆けつけ、長曾我部隊が左方向から、島津隊が右から攻撃すると挟み撃ちとなったため、伊達隊は総崩れとなり敗走を始めた。



「伊達軍は全てが戦闘に参加していたわけではないようですが、かなりの被害が出たと思われます」


「そうか、幸村達には全軍いったん浜松城まで戻ってくるよう伝えろ」


「分かりました」




 帰ってきた幸村の話を聞くとこうであった。


 伊達政宗軍  被害甚大と思われる。


 豊臣軍側

 豊臣秀矩  被害一〇〇。(毛利勝永)

 真田幸村  被害二〇〇。


 後藤又兵衛  被害一五〇〇。又兵衛自身は重傷の為、これ以降戦闘には参加できなくなる。残された兵二三〇〇は幸村隊に組み入れられる。


 長曾我部盛親  被害軽微。

 島津忠恒    被害軽微。


「数日の内に、今度は徳川方全軍が一気に渡河するようです」


 才蔵が報告してきた。


「そう来るか」


「殿、いかがなされますか?」


 幸村がおれの顔をじっと見ている。


「待とう」


「待つ?」


「そうだ、ただし二俣城の手前で待ち、囲むなどといった小細工はもう通用しないだろう」


「はい」


「次は総力戦になるな」


「…………」


 いよいよ家康殿との全面対決だ。兵力はほぼ拮抗している。信玄公以外に野戦では敗れた相手がいないと言われる老練な戦人に、どれだけ太刀打ち出来るのか。


「才蔵」


「はっ」


「今後も徳川軍の動きをよく見張れ」


「かしこまりました」




 才蔵が退室した後、幸村の顔を見ると、おれの気のせいか目を輝かせているように見える。


「幸村」


「はい」


「酒を用意せよ」


「はっ?」


 幸村が言葉を詰まらせた。


「酒ですか?」


「そうだ」


「――!」


 目を丸くした幸村が言いにくそうに聞いてきた。


「殿がお飲みになる……」


「そうではない。全軍に行き渡るようにせよ」


「しかし――」


 まだ戦はこれからだと言うのに、一体殿は何を考えていらっしゃるといった顔だ。


「この数日の内に、徳川勢は全軍一気に渡河するという」


「…………」


「だとすれば、それまでは仕掛けてこれまい。皆英気を養い、一日ゆっくり休ませろ」


 幸村はやっと笑顔になり、


「分かりました」


「それから、下戸を選んで見張り隊を組織しろ。念のためだ」


「かしこまりました」






「ふう、腹が減ったな……」


「…………」


「佐助はどこだろうか」


 おれがきょろきょろしていると、


「殿、握りは先ほど召し上がったばかりかと」


「え、そうだったか?」


「はい」


 しばらくの沈黙が流れ、


「そうか、じゃあもう少し待つか」


「あの、佐助に何か御用でも?」


「いや、そういうわけでは、ない」


「…………」




 おれが一人になった時またトキが現れ、今度は驚かなかったのだが、


「殿」


「あ、トキ、あの、彼女はいい子なんだけど、それだけなんだ」


「…………」


 トキはじっとおれを見ている。


「あ、その、ちょっと腹が減ったなとか思ったから――」


「何をそわそわしているんですか?」


 ――なんかまずい感じだ。困った。どうしよう――


「いいのよ、佐助さんはいい子なんだから、がんばりなさい」


「えっ」


 また消えてしまった……


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