第8話「佐助さんは綺麗な方ね」

 おれがこの時代に転生させられて一番印象的だったのは静けさだ。何しろどこもかしこも一日中めちゃくちゃ静かなのだ。


 まず当然だが街中でも車が一台も走ってないし、電車も動いていない世界だ。朝などはニワトリの鳴き声が聞こえてくる。大坂のど真ん中でだ!


 他の音と言えば道行く人がたまに挨拶する声とか、小鳥の鳴き声、運が良ければ子供らの歓声が聞こえて来る。


 排気ガスはゼロで工場からのばい煙など無いから、空気はきれいなんてもんじゃない。深呼吸するとフレッシュなオゾンが身体中に染み渡る感じだ。


 ところが夜になると灯りと言えるものは、提灯のほのかな灯りがたまに見える程度。月が出ていなければ、自分の手のひらさえ見えない真の闇に包まれる。


 ネットは無い、アイフォーンも無い、オンラインゲームも出来ない。転送された当初はデジタルな情報の無い世界に戸惑い、身の置きどころを失いそうになった。


 だが、朝になるとむせかえるように新鮮で冷たい空気に包まれ、おれはこの世界に居る事を実感するのだった。





 年が明けて、徳川と伊達が同盟を結び、戦の準備をしているという情報が幸村の手の者からもたらされた。


「やはり来るか」


「はい」 


「佐助が持ってまいりました」


「佐助……、よし、通せ」


「はっ」


 江戸からの情報は得た者から直接聞きたいと幸村に言ってあった。


 佐助は懐より取り出した書き物をおれに差し出す。




 徳川家康  


 徳川秀忠 


 本多忠勝   


 松平忠吉  


 井伊直政  


 山内一豊  


 伊達政宗 




「戦の準備をしている大名たちは、このような顔ぶれとなっており、この他にも何名かいるようです」


「動員された兵はどの位か分かるのか?」


「詳細は分かりませんが、運び込まれた兵糧から、十五万ほどになるかと」


「なるほど」


「ただ……」


「ん?」


「家康殿、秀忠殿、政宗殿にそうとう厚い兵の増員となっていると思われます」


 佐助はよどみなく答えた。


「分かった。ご苦労であった。下がるがよい」


「はい」


「あ、……えっと、それから」


「…………」


 振り返った佐助がおれの顔をじっと見ている。呼び止めてしまってから、何を言おうか考えていることに気が付いた。


 何か言わなくては、といって、こんな時に個人的な事を聞くわけにもいかない。


 だいたいおれはもともと女性の扱いが得意ではなかった、というかどちらかというと苦手だ。


 戦国時代の女性を前にしてもそれは変わらなかった。


「あの、いや、いいんだ」


「…………」


「下がっていいぞ」


「はい」


 退室して行く佐助の後姿をずっと見送っていたのだが、背後にふと感じた人の気配。


 振り返ると――


「うわ!」


「は?」


「幸村、そなたいつの間にまいったのだ?」


 幸村が目を丸くしておれを見ている。


「なにをおっしゃる。私は最初からここにおります」


「え、あ、そうだったか」


「…………」


 ――佐助に個人的な事を聞かなくってよかった――


 おれはことさらに平静を装い、佐助から受け取った書き物を幸村に渡す。


「豊臣側の大名達にはすぐ書簡を送ろう」


「すでにこのように準備いたしております」


 幸村は用意してある目録をおれの前に差し出した。


「わが方の軍はこのようになるかと。浜松など遠州の諸城にも増員を促せばと存じます」


「うん、三成や利家殿にはまた大阪の留守居をお願いするのだな」


「そのようにすればよろしいかと」


「そうしよう」




 豊臣秀矩  六八〇〇〇。


(島左近、浅野長政、加藤嘉明かとう よしあき、脇坂安治、浅野幸長、毛利勝永)


 真田幸村   一五〇〇〇。


 後藤又兵衛   三八〇〇。


 小西行長    六〇〇〇。


 宇喜多秀家  二〇〇〇〇。


 細川忠興    五〇〇〇。


 大谷吉継    三六〇〇。


 加藤清正    六〇〇〇。


 黒田長政    七〇〇〇。


 長曾我部盛親  八六〇〇。


 島津忠恒    一六〇〇。


 福島正則    七〇〇〇。浜松城主


 増田長盛    四〇〇〇。掛川城主


 池田輝政    五〇〇〇。駿府城主


 総数    一六〇六〇〇。




「徳川方が情報通りの十五万なら、ほぼガチの戦になるな」


「がち……?」


「幸村」


「はい」


「すぐ訓練を始めるぞ」


「…………」


 幸村はじっとおれの顔を見ると、次の指示を待っている。


 主力が七万近い兵ともなると、効率的に動かさなければ烏合の衆となる。手元の兵員六八〇〇〇に関しては、前もって指揮官と兵員数を決めてしまわないで、戦況によって加減しながら機動的な兵の移動運営をしたい。


「千単位の兵が何単位でも自由に行動出来るよう訓練をするのだ」


「分かりました」


 幸村はおれの意図するところをすぐ理解し、行動に移していく。


 千単位の兵はさらにいくつかの分隊に別れさせて、それぞれに頭を置く事とする。


 島左近、浅野長政、加藤嘉明、脇坂安治、浅野幸長、毛利勝永らに命じて集合・移動・離散、そしてまた集合を機動的に繰り返す訓練だ。兵は重装備で体力増強ももくろんでいる。


「勝永」


「はい」


「五〇〇〇を引き連れ、敵役をやれ。どのように移動するかはそなたに任せる」


「はっ」


 勝永にはあらかじめ敵役として、対陣の用意をさせる。


「左近、二千を引き連れ、前に移動せよ」


「はっ!」


 島左近殿は御高齢であり、さすがにおれも命令しずらかったのだが、若者以上に何の躊躇もなく従うのだった。


「嘉明」


「これに」


「三千を左近の背後に付けろ」


「かしこまりました」


 この訓練はスピードと正確さが要求される。


「安治」


「はっ!」


「おぬしは千を率いて敵の側面を迂回して待機だ、戦闘の始まりを合図に討って出ろ!」


「分かりました」


 このようにしてメニューは毎日変えていく。


 鉄砲隊は幸長の指揮の元、並んで撃ち、次の列が前進して撃つ。さらに次の列が前にと順次交代する。


 撃ち終わると鉄砲を肩に担ぎ、次の目標地点まで駆け足をさせる。かなりのハードな訓練だが、これを毎日繰り返させた。


 先の戦で鉄砲の名手を集めた狙撃隊は、やはり命中度の極めて低い火縄銃ではあまり活躍の場が無かった。弾幕を張る戦法には射撃の腕前もあまり意味がないので、今回は必要な時が来たら編成する事にした。


 そして仁吉に言ってあった新しい銃なのだが、ミニエー弾は出来ても、銃身の内部にライフリングという溝を螺旋形に掘る作業は、極めて困難だと分かってきたようなのだ。やはり今の技術では無理なのかもしれない。


 だが、おれはその報告を聞いてふと、ミニエー弾だけを利用出来ないかと考えた。丸い弾丸は銃身の内径に極めて近い径になっている。押し込めるのに掛かる手間が、径のわずかに細いミニエー弾なら時間が短縮出来るのではないかと。


 仁吉には試してみてくれと返事を出した。


 その結果、後で分かったことなのだが、試作したミニエー弾を連続して撃っていると、銃身内部がひどく汚れて次第に装填が難しくなるというのだった。 新式銃や弾の開発は、たとえおれのヒントが有っても一筋縄ではいかないようだ。




 関ケ原は東西南北とも、約二キロの山地に挟まれた盆地で、古来より交通の要衝であったが、遠州ならどこでもその数倍広く平らな戦場が確保できる。問題は天竜川と大井川のどちら側を選ぶかだ。おれはまた絵図を見つめた。




 徳川と伊達の同盟軍が江戸を発ち、その情報を得た豊臣方も遠州に向かって進軍を始めた。おれが江戸城を攻撃してから四年後の事であった。


 探りを入れている手の者によると、伊達勢が先発しているという。


「ついに来たか」


「はい」


「しかし気になるなる話も入って来ております」


 幸村が深刻な顔をしている。


「なんだ?」


「掛川城主増田長盛殿が家康方に通じておるのではと」


「なに」


「噂では御座いますが」


「…………」


 掛川城主の指揮下には二俣城も入っている。という事は掛川まで来てしまえば、天竜川は無抵抗で渡られてしまう。二俣城は天竜川と二俣川が合流する地点に築かれた城。大軍が天竜川を渡るのには必ず通らなくてはならない要所なのだ。


 だが、必ずしも二俣城を守らなくてはならないというわけでもない。天竜川を渡らせてしまった後で、戦闘という事も考えられる。


 こちらが天竜川の先で待ち構えていては、下手をすると川を背に戦うという事にもなりかねないからだ。


 さらには二俣城のこちら側で、渡ってくる徳川軍を大軍で取り囲んでしまうのもありだが、そのような分かり切った作戦を展開したら、家康殿は容易に渡ってはこないだろう。天竜川を挟んだつまらない持久戦になってしまう。


「佐助を呼べ」


「来ております」


「……!」


「お呼びでしょうか」


「そなた長盛殿を見張れ」


「はい」


「二俣城の周辺もな」


「分かりました」


 佐助が下がった後で幸村に聞いた。


「用のない時彼女はいつもおれの傍にいるのか?」


「かのじょ?」


「あ、いや、佐助の事だ」


「佐助は殿の身辺警護の任も帯びております。ご迷惑なら遠ざけますが」


「いや、そういうわけでは、ない」


「…………」




 江戸と大阪の中央付近に遠州がある。徳川軍が江戸を発ち向かってくるという知らせで、急遽豊臣軍も動き出した。


 目指すは浜松城だ。


 東海道を行く鎧を赤で統一している真田の一群は沿道の人々の注目を浴びている。戦国時代の鎧兜や甲冑は、有名な武将の物を写真などで見ると、派手なものから奇抜なデザイン等が目を引く。


 たとえば政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束などは非常に絢爛豪華なもので、その軍装の見事さに見た者は皆歓声を上げたという。


 手柄を立てるためには自分の存在をアピールする必要があったんだろうけど、家康が天下を取ってからは、次第に日本人が地味で没個性になっていったというのは考えすぎなんだろうか。


 豊臣軍は長い槍と共に一人一人の兵どもが背中に荷物を背負っている。兵糧や薪といった様々な物資を少しづつ手分けして運んでいった。一六万もの兵が槍一本だけを持って無駄に歩くなどということはないからだ。




 名古屋を過ぎたあたりで幸村が声を掛けてきた。


「殿、佐助が戻ってまいりました」


「長盛殿の件か?」


「はい、やはり家康殿と通じておるようです」


「そうか、噂は本当であったか」


「二俣城に軍を急がせましょうか?」


「いや、それより佐助を呼べ」


「はい」




「まいりました」


「役目ご苦労であった」


 佐助は無言で深々と頭を下げた。


「これからは戦闘が始まる。私の傍にいるようにしろ」


「……分かりました」


「才蔵はおるか?」


「はっ、これに」


「そなたは駿府城の輝政殿と連絡をとってくれ。それから伊達軍が先に来るようなら、その動きも見ているように」


「かしこまりました」


 いよいよ戦闘か。そんな事を一人で漠然と考えていた時だった。


「ねえ、殿」


「わっ!」


「…………」


「なんだ、トキか」


「…………」


「びっくりするじゃないか、突然」


 おれが声を掛けた時だけ出てくるのかと思っていたから、何の前触れもなく出現したトキにパニクッてしまいそうになる。


「佐助さんは綺麗な方ね」


「はっ?」


「…………」


「あの……」


 おれはなんて答えていいのか分からなかった。


「いや、彼女は――」


 あ、消えてしまった、なんなんだ……




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