第5話「じゃあ、本当の事を言うわね」
「殿、道を封鎖している兵より連絡で御座います」
表門での戦闘以来ほとんど動きのなかった陣に、秀家の家臣がやって来た。
「どうした?」
「商人が城に届ける物資を運んで来たとのことですが、いかがいたしましょう」
「これに通せ」
「はっ」
豊臣軍も大阪から商人や大工を連れてきている。兵が雨露をしのぐ小屋を建てることから、市場まで開こうとするつもりなのだ。それにしても、おれは自分の言葉使いの変化に笑ってしまうのだった。
連れてこられた商人が誰に向かって話したらよいのか、おれを前にして戸惑っている。
「商人とはその方か?」
「……あ、……はい」
荷車を兵士が曳いているので、振り返りながらしきりに気にしている。
だが、おれを見た商人は、今にも口を開けそうになった。
なんだこれは、一人前に戦装束をした子供じゃないかと怪訝な顔で見下ろしている。
おれはちょっとしたいたずら心を出し、傍に行くと、現代言葉で聞いてみた。
「おじさん、何運んできたの?」
「…………」
「食料とか?」
「…………」
「武器や弾薬とかはだめだよ」
「…………」
他の重臣たちは遠巻きにして見ているだけだ。困り切っている商人をみて、笑い出しそうになってしまったので止めることにした。
そして言葉を改め、行長を手で招きながら、
「江戸城と同じ値段で購入してやろう」
「それは構いませんが……」
おれはまだ戸惑っている商人から、行長に言って、すべての品を過不足ない値段で購入してやった。
「それから大阪方の商人と話をしていってくれ。これからはもっと繁盛するからな」
代金を手にした商人は、
「ははあ、それは有難いことで」
戦が始まるという噂を聞いて心配しながら来てはみたようだ。だがやはり兵に行く手を阻まれ、どうなることかと思っていたらしい商人はほっとした様子で帰って行った。
「よし、戦が始まらないのなら、今度は逆バージョンだ」
「……?」
「幸村」
「はい」
「商人達に言って、食料と酒を用意させよ」
大阪からは潤沢な資金が運ばれてきている。数台の荷車に用意させた品を乗せ、表門に向かわせた。兵士は同行しないで商人だけを行かせたので城内からは撃ってこない。
門の前ではしばらく押し問答がつづいたが、やがて門が開き、荷車は中に入れられた。
そして翌日、
「幸村」
「はい」
「今日も用意せよ」
「はっ?」
「陣中見舞いだ」
そしてさらに翌日も、
「幸村、用意せよ」
「殿――」
「よい、攻めぬのなら緩和だ」
「はあ……」
幸村はまだ納得いかない様子であったが、おれはこれ以上城攻めをする気はなかった。何よりも城内にいるだろう婦女子を危険な目に遭わせたくない。
秀吉と親子二代で残虐な城攻めはしたくなかった。そんな豊臣の歴史にしたくなかったのだ。包囲する兵士たちの乱暴狼藉略奪は固く禁じ、連日に及ぶ商人たちの活動を助けた。
そして敵軍から毎日届けられる食料と酒に、徳川以外の大名達の兵士からはしだいに敵愾心が無くなり、戦闘意欲が失われて行くようだとの報告が有った。
包囲も半年を過ぎ、ついに城内では厭戦気分が広まっているとの情報が入っていたころ、
「殿、城内より使者がまいっております」
「なに、使者と、通せ」
「はっ!」
使者は徳川方に組した一大名の家臣だった。
「そうか皆国に帰りたいと申しておるのだな?」
「さようでございまし、なにすろ残してきた田畑がすんぱいだと……」
使者は深々と頭を下げた。
「兵は何人ほどおるのだ?」
「六百名ほどおりまし」
「分かった。自由に帰るが良い」
「え、帰えすていただけるのでーー」
「ただし武器を全て置いてな」
「有難うございまし」
おれは出ていこうとする者達は自由にさせた。
「幸村」
「はっ」
「だれか城内にもぐりこませ、帰りたいものは自由に帰れると噂を流してこい」
「分かりました」
やがて次々と帰国を願い出る大名が現れると、食料まで持たせ帰してやる。最後には徳川だけになってしまったようだ。
「これで流れは変わったな」
「…………」
「家康殿ももう大きな顔をして表舞台に出てはこれないだろう」
「はい」
「さてと、今度はおれ達の番だな」
幸村がじっとおれの顔見ている。
「帰るぞ」
「は?」
「大阪に帰ると申しておるのだ」
「あの、ではこの戦は――」
「もう終わりじゃ。これ以上あのたぬき、いや家康殿を苦しめる気は無い」
「…………」
豊臣方の軍勢は島津など遠い地域の大名から順次帰国することになった。
「なに!」
「城攻めを止めて帰るだと」
「何故だ?」
福島殿や細川殿が怒りの声を上げた。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
「豊臣殿は何を考えておられるのだ」
この遠征に参加していた全ての大名から、身内の者まで驚きと不満が渦巻いていた。
「それでは一体何のためにここまで来たのだ」
福島殿などは、怒りのあまり刀を抜かんばかりの勢いで抗議をして来た。
「兵士へのいい訳も出来ないだろう」
「世のいい笑い物ではないか!」
幸村は身体を張って、荒ぶる者どもを押しとどめている。
しかし、さすがに秀吉と共に戦って来た武将たちだ、豊臣の意向に反旗を翻すわけにもいかず、皆不承不承に帰って行く。
だが幸村も不安を声に出した。
「江戸城内からの追撃は無いでしょうか」
「それは無いと思うよ。あの家康殿はそれほどばかじゃあない」
幸村にも言いたい事はあったのだろうが、おれ秀矩の命令なのだ。身を全うして君に仕うると自身を戒めたのか、後は言葉をつぐんだ。
そして最後に残ったおれ達の軍も引き上げが始まった。もちろん先発した大名達にもゆっくり行くように言ってある。いざという時は全軍戻れるようにだ。
しかし江戸城の包囲を解き、撤退を始めると、秀忠殿の軍と思われる一群が追撃して来た。
一方豊臣方しんがりとして待ち受けているのは幸長の狙撃隊だった。十分引き付けたのち一斉射撃して後退。そして後ろにまた別の鉄砲隊が居る、という具合に次々と新手の銃口が並んで、向かってくる敵は散々に撃ち倒された。
さらに五千の攻撃隊を繰り出して、敵を追い散らした。
「幸村」
「はっ」
「敵を城門まで追い詰めろ」
「分かりました」
撤退と思わせて攻撃に転じたのだ。
もちろん最初からこれを狙っていたわけではない。追撃が無ければそのまま撤退する予定でいた。だが追撃して来た以上は反撃が最大の防御だ。
再び包囲と思わせて、また撤退を指示した。
結局逃げ帰った敵軍は、二度と追撃して来なかった。
大阪に帰る途中に駿府、掛川、浜松城の新しい城主も決め、見上げると雲一つない青空に鳶がゆっくり舞っていた。
おれは大坂城に戻ると、一人になる時間を見計らってまた声を掛けてみた。
「トキ、何処にいるんだ。出て来てくれないか」
「なあに」
「あ、出て来てくれた。ありがとう」
こんなとこを他人に見られたらおかしな人と思われるだろうな。
多分おれは誰も居ない空間に向かって話をしているんじゃないか。
「ねえトキ」
「なあに、殿」
「…………」
相変わらず色っぽいトキだ。
「あの、前にも話した事なんだけど」
「…………」
「元の世界に戻るのって簡単なのかなあ」
「戻りたいの?」
「いやちょっと気になったから」
豊臣家には秀頼も生まれたんだし、家康殿との問題が解決したら帰ってもいいかなと思い始めていた。
どんな状態になるのか、前もって知っておこうと思ったのだ。
「じゃあ、本当の事を言うわね」
「えっ!」
――まさか、驚愕の事実が明かされるとかじゃないだろうな――
「完全にもと来た世界に戻るという事は、今いるこの世界での記憶が無くなるという事なの。この戦国時代に居た事が無かった状態になるわ」
「――――!」
「そうでない未来なら今の世界での行動が影響してくるから、元居た世界とは違った社会になっている。どんな感じかは、行ってみなければ分からないからリスクがあるの」
「あ、の!」
「どちらの世界に戻りたいか、また今いるこの戦乱の時代に留まる事も可能なのだから、あなた次第よ」
「…………」
おれはしばらく次の言葉が出てこなかった。
この世界での記憶が無くなるって、それじゃあ、今のおれが無くなるみたいなもんじゃあないか!
「つまり今の記憶を無くして、あの汚れたパソコンを触っていた瞬間に戻るってことだ」
「そうよ」
「じゃあ幸村との出会いも、江戸城攻撃もなにもかも無かったってことに?」
「そう」
「…………」
やっぱり驚愕の事実だった。元の世界に帰って、何も考えずに毎日を過ごすただのフリーターに戻るのか、それとも、おれの判断次第で日本の未来が変わるかもしれないこの世界に留まるのか。
今にして思えば、これまでおれはどんな生活を送っていたんだ。ネットサーフィンやゲームで時間を無駄に過ごしていただけじゃあなかったのか。
だけど元の世界に帰る選択をした場合、一つだけ特に気になる事が有った。
「あの、あの」
「なあに?」
「その、もう一つだけ聞いていいかな?」
「いいわよ」
「もしも記憶を無くして元の世界に戻ったとして、そしたらもうトキとは会えないのか?」
「…………」
トキの返事は無かった。
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