第6話「鏑矢を射れ」

 大坂城に戻ると、やはり心配していた問題はすぐ表ざたになった。

 家康殿を江戸城まで追い詰めておきながらの撤退に、家臣達や多くの大名が不満の声を上げたのだ。


 幸村、秀家らも口には出さないが不満気な様子であった。たとえ駿府や掛川、浜松などの諸城を手に入れたとはいえ納得いかないようなのだ。


 しかし十五万の豊臣軍と、離脱した者がいるとはいっても、まだ多くの軍勢を抱えているだろう徳川軍が最後までやりあったら、悲惨な結果になるのは目に見えている。


 秀吉の鳥取城で行われた飢え殺しと言われる城攻めでは、馬はもちろん、草や壁土の藁を食い、最後は死人の肉、骨髄、脳みそ、さらには負傷者を殺してまで食ったと言うではないか。多くの婦女子も家康殿一人のため犠牲になるのだ。そんな悲惨な目に遭わせるのはなんとしても避けたかった。


 これからゆっくり考えていけばよい方法が見つかるだろう、急ぐことはないと。だがそんなおれの考えは甘かったという現実をすぐ思い知ることになる。




 大阪城では豊臣の主だった重臣達が広間に集まった。

 もちろん、ただ一人家康殿の姿はない。


「この後はどうなさるおつもりですか?」


 体調不良もあって、今回の戦では大阪城にとどまっていた前田利家が聞いてきた。自らの膝を掴んだ両手がぶるぶると小刻みに震え、顔のしわも心なしか増えているように見える。


「他の皆も一番聞きたがっている、家康殿の処遇です」


 下を向いている者から目をつぶっている者など、利家の見回す皆が一様に思いつめた顔をしている。


「この戦国の世に、そこまで追い詰めておきながらの撤退など、断じて納得のいくものではありません。やらなければ次はこちらがやられるのかもしれないのですぞ」


 利家は苦虫を口にどんぶり一杯も放り込んだような顔をして、泡を吹かんばかりの勢いで言い続けている。


 おれはゆっくり周囲の顔を眺めた。言葉には出さずとも、皆同じ意見のようだった。言い訳をしても仕方がない。おれは重い口を開き短く、


「皆さんの気持ちはもっともだと思います。ただ、もう少し時間を下さい」


 と言ってはみたが、おれにもなかなかいい案が浮かんではこない。ただあそこで悲惨な殺戮戦だけは避けたかった、それだけなのだ。

 一同はおれの顔を穴のあくほど見つめている。


「家康殿には書簡を出しましょう。大阪への出頭と謝罪です」


「それは無理だ、応じないでしょう」


 おれの言葉にがっかりした様子の利家は、首を落とし、口の周りのつばをぬぐいながらつぶやいた。


「とにかく今はそれ以上の事はしないつもりです。皆さんも心得ておいて下さい」


 おれは言い切った。今は耐えるしかない。


「殿がそう仰られるのなら、仕方ありません」


 重鎮利家の声に、皆仕方なく引き下がるのだった。


「これまで何度も異才を感じた若君だったが、やはりあの若さでは無理なのか」


 それが皆の偽らざる意見だったようだ。





 暑い夏も終わり、季節は秋に変わろうとしている。たとえ千年経とうとも何も変わらないのではないかと、そんな思いも浮かんでしまう毎日だ。こののんびりとした時間の流れに、おれはちょっとした波風を立てるべく声を上げた。


「幸村」


「はっ、これに」


「鏑矢(かぶらや)を用意せよ」


 大坂城の一室で幸村の思慮深い目がおれを見た。一を聞いて十を知ろうとする男の目だ。


「鏑矢で御座いますか?」


「そうだ、出来るか」


「それはご用意出来ますが、一体何をなさるおつもりでしょう?」


 鏑矢は射放つと音響が生じることから合戦開始の合図に使われた時代がある。鎌倉時代フビライ軍が来襲したおり、迎え討つ侍大将などは大声で名乗りを上げ、戦始めの鏑矢を放ったという。

 もっとも元軍の将兵は無害なその音を聞いて大いに笑ったようだ。


「それと大名達に声を掛け、騎馬武者を出来るだけ大勢集めろ」


「いくさ……!」


「そうではない」


「しかし――」


 さすがの幸村も、おれの言い出す言葉には神経をとがらせているようだ。周囲の不満をこの男が一手に引き受け、なだめているのは重々承知している。


「それからな、何処か近くで広い野原のような処はないか?」


「それは御座いますが――」


「よし、面白いことをやるのだ」


 幸村は頭をフル回転させているようだが、さすがにおれが何を考えているのか思いつかないのではないか。


「騎馬武者以外もできるだけ大勢集めろ。城下の町人衆から百姓も、女どもや子供らもな」


「…………」


「それからな、出店が必要だぞ」


「は~~?」


 ついにこの男の理解能力の限界を超えたようだ。


「多量の食べ物と酒など飲み物も用意せよ」


「…………?!」




 ついに当日が来た。


「幸村」


「はい」


「用意は出来ているか?」


「はい、全て整って御座います」


「よし、やるぞ」


 用意された出店の前には近在の百姓から城下町の衆まで大勢が群がっている。


「うひょう~~、食いもんだ!」


「なんか怖いような」


「そげんなこたあ、いまさら気にするでねえ」


「言われて来ちまったものしかたあんめえ」


「そうだ」


「そうだ!」


 最初は遠慮がちに、だがお咎め無いと分かると食べ物の争奪戦が始まる。ついにこんにゃくから芋から、おでんの具がそこら中に飛び散り、収拾のつかない有様となった。


「食べ物などの提供は後にした方がよかったでしょうか」


 早くも周囲で始まってしまった食い物争奪戦に、幸村は呆然としてつぶやいた。

 先の戦で中途半端な終わり方をしたと、大名や武士、略奪も出来なかった下々の者まで不満が高まっていたのは承知していた。


 ガス抜きが必要だろうと企画したものだった。


 広大な広場には、周囲に見物客の席が用意され、屋台がその後ろに並んでいる。中央には旗指物を背に差した騎馬武者が百騎以上も群がっている。


「幸村」


「はっ!」


「法螺貝を吹け」


「法螺貝を拭け!」


 これで異様な雰囲気が場内に漂った。


「鏑矢を射れ」


「鏑矢を射れ!」


 幸村の合図で最初の矢が放たれると、広場に集まっていた騎馬武者の中ほどに矢は落ちた。たまたま近くにいた者がそれを掴んだのだが、どうしていいのか戸惑っている。殿の所までもって来るようにと指示が出され、初めて馬を走らせた。


「ほめてとらす、これを」


 おれはその矢を持参した者に小判を渡した。


「――!」


 驚愕する騎馬武者。


「幸村、続けろ」


「はっ!」


 再び法螺貝が吹かれ、第二の鏑矢が放たれた。一人の若武者が落ちてくる矢を素早くつかむとその手を高々と上げ、馬に鞭をあてた。


 いつの時代も若者が新しい流れをリードする。周りの武者達はまだそれを眺めているだけだったのだが、目の前で小判を手にして喜ぶ姿を見た!


 これで第三の矢が放たれる時には状況が一変した。

 鏑矢に群がる騎馬武者どもで広場は阿鼻叫喚の有様。まるで戦場ではないか。遂に事情を察した者達が狂気に走り、死闘を繰り広げてしまったからだ。


 矢を得ようと、殴る蹴る、突き落とす、ひっかく者、落馬する者、鏑矢なんぞ何処にあるのか、もうこうなると何のために殴りあっているのか分からない。中には地面に下りて取っ組み合いを始める者どもまで現れる始末。


「刀を持たないようにと言っておいて良かったですな」


 幸村が胸をなでおろした。

 数十本の鏑矢を射終わるころには、殺気立った者共の熱気と馬のいななきで広場はうだるような暑さとなっていた。


 夕刻になり、性も根も尽き果て、虚脱状態となっている負傷者には見舞金を出すこととし、広場の周囲を埋め尽くした一兵卒の者どもの前には酒樽が並んだ。


 小判を得た武者の所属する大名には矢の本数によってそれなりの報奨金を出すことにしたので、次の開催はいつ頃なのかと早くも問い合わせがくるほどだった。後々この催しの話は大名の間でももちきりとなった。各大名が自分の家臣がどれだけ矢を得たか自慢し始めたのだ。


 こうなるともう先の戦の不満や家康殿の話題など持ち出すものが居なくなったという。


「若君はなかなかの策士では御座りませぬか」


 おれの家臣達の間ではそういった会話が交わされたようだった。





 小判争奪戦の話題もやがて収まってくる。大坂城にまたいつもの静かな時間の流れが訪れ、一人になったおれはトキとの会話を思い出していた。


 記憶を無くして元の時代に戻るのか、それともこのままここで活躍するのか。


 また今の記憶を残したまま元の時代に戻るのなら、どんな世界になっているのか分からないリスクがあるという。天国のような社会ならいいが、そんな事はあり得ないだろう。第一おれ自身がどうなっているのか分からないではないか。それではリスキーすぎる。


 やっぱり選択肢は二つしかないが、とてもじゃないが迷ってしまい、今すぐには決心がつかない。トキにはもう少し待ってもらう事にした。

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