第3話 家康殿が乗り込んで来た!

 鷹狩りは非常に面白いものだ。猛禽類の鷹が人になつくのではなく、共同で獲物を獲るという言う感じだな。原野を歩き回るので辺りの地形を調べるのに最適なゲームだ。


 おれも盛んにやるようになり、幸村と共に周囲の地形を調べ始めた。特に伏見城の周囲から東の地域を念入りに観察した。


 史実で秀吉は晩年伏見城と大阪城を行き来していたのだが、転生したこの世界では、家康殿を五大老の筆頭として伏見城に住まわせていた。


 おれの知っている歴史とは微妙に違う。それはそうだろう、なにしろ慶長の役という大事件が回避されたんだ。その後の歴史が変わってしまうのも無理はない。そう考えるとおれの発言や行動は重要な意味を持ってくる。


 そして今一番の問題は、目の前に居るじいさまだが……


「鶴松」


「はい」


「家康殿の言う事に逆らってはならぬぞ」


 おれがどんなに異才ぶりを発揮しようと、家康の力にはかなわぬと見ているのか。だが、別な日には、


「鶴松」


「はい」


「家康殿だ、あの者を信用してはならぬ。お前はまだ若い……、わしが、もう少し、若ければ――」


「父上、私が居る限りは――」


「そうだ、家老どもに今一度……、鶴松、皆を呼べ」


 確かに秀吉は老いた。失禁さえし始め、もはや家康殿を頼るのみ。豊臣の敵になりうる男との認識も、抗う気力も全て失われて行くようだ。


 やがて発言も意味をなさなく成り、妄想によるのか狂気さえ帯びて来た。時間はあまり残されていない。




 おれの傍に鷹匠と幸村が控えている。


「小次郎」


「…………」


「小次郎」


「鷹の名を小次郎としたのですか?」


「そうだ」


 鷹狩りでおれは鷹に呼び掛けた。その大きく丸い目は、今にも飛び立とうと、しっかり遠くを見つめている。


「何が見える、小次郎」


「お前の目に獲物が見えるのか?」


「ん?」


「どうだ」


「敵はこの先に居るのだろう?」


「そうだな。この先におれたちの敵が潜んでいるのだ」


 伏見城からさほど離れていない原野だ。幸村は傍にいてじっとおれと小次郎の会話を聞いている。


「いずれあ奴にしっぽを出させ、掴んでやる」


「それまでの辛抱だぞ、小次郎」


 おれは鷹と共に伏見城の方角を見据えた。




 城に戻ったおれは周囲に人の目が無いのを確認すると、試してみた。見えないトキに向かって話しかけてみたのだ。


「トキ、聞きたいことがあるんだ。出て来てくれないか」


「なあに」


 やはりそうだった、思った通り、どうやらトキは常におれの傍に居るようだ。

 何となくこそばゆい。


「あのじいさまの事なんだけど」


「…………」


「亡くなる日は変わらないんだろうか?」


「なぜ?」


 おれがこの時代に来た影響なのか、その後の歴史は知っているものとは変わってきている。


「いや、おれがこの時代に居ることで歴史が変わるのなら、秀吉の命日も変わるのかと思ったんだ」


「あのおじいさんの死因はいろいろあるみたいだけど、結局は老衰なの」


「…………」


「それはあなたが居ようと居まいと変わり無いことよ」


「じゃあじいさまの命日は――」


「変わらないでしょう」





 そして九歳になった夏の日、ついに来るものが来た。秀吉の死だ。史実では伏見城で亡くなった事になっているのだが、この時代では大阪城であり、おれも住んでいた。


 父上の枕元に座るおれの視線の先には、あの狡猾な老人の姿がある。神妙な顔をして周囲の者と話をしているが……


 その姿は陰謀をめぐらす古だぬきとしかおれには見えなかった。


「幸村」


「はい」


「家康殿の身辺は抜かりなく見張っているだろうな?」


「万全の手配を致しております」


「よし」




 秀吉の死後、内大臣の家康殿が朝廷の官位でトップではあったが、鶴松が成人するまで政事を託すとの遺言が問題になった。偽物ではないかとのうわさが流れたのだ。その結果、託されたのだからと、当然のように采配を振るおうとする家康殿と、他の重臣や大名達との軋轢は激しいものとなった。


「殿」


「幸村、何か有ったのか?」


 幸村が少し緊張した顔で現れた。


「家康殿がまいっております」


「なに、家康殿が」


 家康殿が家臣達を引き連れ、大阪城に入って来たのだった。

 おれが出ていくと、家康殿は笑みを浮かべて足を止め、


「これは若君様」


 居住まいを正し、ことさら丁寧に頭を下げて見せた。


「家康殿、このように大勢の家来を引き連れて何事ですか?」


「若君様、私は秀吉様より後の面倒を見ろとの指示を受けております」


「…………」


「従ってこれより、ここ大阪城で執務を執り行おうと参りました」


 淀殿とおれが大坂城で政務をせよと言うのが、秀吉の遺言であるはずだ。

 そう理解しているおれは不退転の決意で目の前の家康殿を見上げ、腹に力を込めて答えた。


「家康殿、いま大阪城の主は私で御座います。どうか伏見城にお戻り下さい」


「…………」


 家康殿はしばらく思案したようだが、顔をわずかにゆがませ、無言で帰って行く。

 思わず幸村が後を追うそぶりを見せたので、


「幸村」


 振り返る幸村に、おれは首を振り、咎めるのを止めさせた。どんなに無礼な素振りをされようと、今は事を荒立てる時ではない。


 他にも秀吉の死後、悩み事が出て来た。この時代の人の心情を考えたら、無駄使いとまでは言えないが、全国の神社仏閣を再建・修復などに莫大な金を使おうとする淀殿を、おれは幸村と共にいさめた。おれだけの意見で淀殿を説得するのは難しかったのだが、前もって幸村に言い含めてあったので、なんとか出費を抑える事が出来た。


 しかし贋作問題に関しては、結局はっきりしないままうやむやにされた。だから五大老の筆頭である家康殿と、おれ鶴松との力関係は微妙でいつまでもぎくしゃくしていた。何しろおれはまだ十歳を過ぎたばかりなのだ。公に出て家康殿に意見をするのは難しい。


 そして家康殿はかまわず生前の秀吉から禁止されていた大名家同士の婚姻を行い始め、伊達政宗の長女と自分の六男・松平忠輝となど婚約した娘たちは全て養女とした。


 さらに細川忠興や島津義弘、増田長盛らの屋敷にも頻繁に訪問するようになった。こうした不穏な動きに、大老・前田利家や五奉行の石田三成らは反発と不信感を強めていく。


「若君の御幼少なのをいいことに……」


「いさめようでは御座いませんか」


「いやここはまだ事を荒立てない方が……」


「おのおの方が動かぬというのなら私一人でも――」


 特に石田三成などは不穏な動きを見せ、家康暗殺計画まで有るとの情報が飛び交っていた。


 豊臣の重臣や大名達のあからさまな反感を感じてか、秀吉が亡くなった後、さすがに親子で一緒に居ることの危険性を考えた家康殿は、秀忠殿を江戸に返すことにしたようだ。


 幸村から報告を得たおれはことさらに少人数の家臣を伴い大阪城を出た。伏見城に居る家康殿親子の鼻先を通り、鷹狩りと称して東に向かって非常にゆっくり歩いている。


 大阪城から伏見城までは約四〇キロで、途中宿で一泊しての、のんびりした物見遊山のような行動だ。この情報は必ず伏見城に届いているはず。


「掛かってくるかな」


「うまくいけばいいのですが」


「家康殿はともかく、秀忠殿の性格を考えるとな。今がチャンスなんだ」


「ちゃんす……」


 そう言いながら、幸村がおれの顔を見た。


 危険だと反対するこの男を何とか説得しての計画だ。周辺には百姓に変装した幸村の手の者たちを潜伏させている。この機会を逃がすとーー


「殿!」


「ん」


「来ました」


「やはり来たか」


 周囲の背を超える雑木の隙間から、覆面をした侍が数人見え隠れしている。人数はこちらの約二倍。


 すぐおれの周囲を手練れの家臣達が囲んだ。


 ーー来いーー


 おれは腹の内で叫んだ。


 もちろん刀は怖いから、用心のため服の下には鎧帷子を着こんでいる。重たいが、緊張感から今はそれを全く感じなかった。


 来るのなら秀忠殿の家来だろう。それも家康殿には内密だろうから大勢ではこれないはずだ。


「よし」


 すぐ刀を抜いたのだが、幸村に諭された。


「殿、それはお仕舞下さい。かえって危険です」


「……そうか」


 無理もない。おれは十歳。子供に刀は危険すぎる。


「殿のおそばを離れるな」


「はっ!」


「はっ」


 おれの感は当たった。倍とはいっても敵も少人数だ。小鳥も息をひそめる静寂が辺りを支配している。刀を抜く音だけが不気味に聞こえ、後はじりじりと間合いを詰めてくる。冷汗が出てくるが、覚悟を決めたその直後ーー


 敵の動きに動揺が見えた。周囲をいつの間にか取り囲んだのは刀を手にした百姓、いや真田の家臣からえり抜かれた剣豪達だ。


 双方とも無言のまま切り合いが始まり、時折鋼の触れ合う金属音が響いた。しかし劣勢をさとったらしい賊が逃げようとしたのだが、結局おれには一太刀も振るうチャンスがないまま全員叩き伏せられ、引き立てられて行くことになった。


 覆面の襲撃であったが為、城内から追手は出てこない。


「殿のおっしゃる通り、うまくいきました」


「そうだな」


「では急いでまいりましょう」


「うん」


 賊は秀忠殿の家臣であることを白状した。


 やっと家康殿にしっぽを出させ、つかんでしまった。その後直ちに江戸へと逃げ帰った親子。秀忠殿には家康殿の雷が落ちただろう。


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