10.話題
狛がハカセを抱いて小走る。脱衣所から廊下に出てライトのいる客間まで、ハカセを必要以上に撫で回しながら彼は行く。
客間は庭が見える位置にあり、狛はその縁側の障子を開いた。行こうと思えば客間に繋がる部屋から襖を開いて行けるのだが、もちろん彼はそんな事をしない。
客間では藍色の甚兵衛を着た黒髪の美少女が頭に着けたヘッドフォンに手をやって小躍りしていた。しかし彼女の甚兵衛は小さすぎてお腹がチラチラ見えている。
やがて少女は姿見の前に立ち、鼻歌を歌いながら腰を振り始めた。とても上機嫌だ。
「へっ? だ、だれ?」
見知らぬ少女に狛が言う。少女はそれに気付いて狛を見た。
「あーやっと来た! コマ君見て見て!」
少女はくるりと回った。裾からお腹がチラ見えする。しかし狛は見知らぬ人に会ってそれどころではない。
耳の立った狛に向け、少女が自信満々にキメ顔する。
「どう?」
「ど、どうって言われても……あ、俺の甚兵衛じゃん!」
「替えの服が無くてね、小角さんに聞いたらコマ君の服使って、って言われたから借りちゃった」
少女が白い歯を見せて笑う。
狛は目の前の少女がライトだと気付いた。
「何だお姉さんか。いや、そりゃいいけど。髪色どーしたんだよ」
「しばらく地球にいるなら戻しとこうかなって」
そう言ってライトは黒髪を指で弄び始めた。桜色に染めていた時に比べて、艶のある黒髪は彼女に落ち着いた雰囲気を与えている。
狛が言う。
「染めてたんだ……」
「そうだよー。で、どう? 似合う?」
ライトが左手を腰に、右手を頭の後ろにやってセクシーポーズ(本人はそう思っている)をとる。そして狛に目配せ。
狛はパチパチと瞬きするライトのまぶたを見て呟く。
「なにやってんの?」
「……え、反応薄くない?」
「狛少年、ライトは甚兵衛が似合うかどうか聞いているんだ」
ライトの瞳が光を失いつつあるのを見てハカセがフォローを入れた。
狛が改めてライトを見る。両手を下げて棒立ちの彼女はパッツンパッツンの自分の甚兵衛を着ている。
――あっ。
胸元が開いているが谷間がない。おかしい。確かにあの時胸のふくらみを感じたはず、と考えた所で狛はそこから目を逸らした。
「……変かな」
「いやいや! 変じゃない! むしろありだと思う!」
ライトが半べそをかきだしたので、狛は慌ててそう答えた。
するとライトはハツラツと笑った。
「だよね! いいよね! ウンウン!」
「おう! 似合う似合う!」
「ありがと、ところでコマ君、ライトって呼んでくれないの?」
「へっ?」
ライトが流れるように話を変えたので、狛は何を言われたか分からなかった。ハカセの耳がピクリと動いた。
一瞬の間を置いて、ライトの目が泳ぐ。
「ほらさっき小角さんと話してるときライトって呼んでくれたよね」
「よ、呼んだっけ?」
「うん、呼んでくれたよ。なのにお姉さんって」
ライトは狛の目を見て話しだした。ジッと彼を見つめて離さない。
狛がその目に萎縮する。
「え、えと」
「ライト、ら、い、と。ユー、セイ」
「ゆ、ゆーせい?」
聞き返す狛に、指で円を描きながらライトが言う。
「言って、ってこと。さぁ、ライト、ユーセイ!」
「ラ、ライト……さん」
「んまぁオッケーぃ! ないすぅ!」
ライトが狛に親指を立てて笑った。
しかし茶化したようなライトの言葉に狛は不機嫌になる。プイッと横を向いて頬を膨らませた。
「なんだよ、別にお姉さんで良いじゃんか」
「友達でしょ? 名前で呼び合おうよ」
ビックリして狛がライトを見る。はにかむ笑顔がそこにあった。
「私もダイチ君って呼ぶから、ね?」
狛はウンウン頷くと、ライトの姿を見ないように俯いた。
◇
「聞けなかったね」
「うん、ちょっと、難しかった」
深夜、明かりの付いたままの客間で、ライトが胸にハカセを抱いて仰向けに布団に入っている。ヘッドフォンは枕の側に置かれ、彼女は酷使した耳を指で優しく撫でていた。
「勢いでいけると思ったんだけどなー」
「仕方ないよ。デリケートな話題だし、無理して聞くものでもない」
「うん。――友達って認めてくれたね」
感じたことのない未知の気持ちにライトの胸は膨らんだ。今の彼女には吸い込む空気が夢の形をしていそうな気さえした。
「はじめての友達がダイチ君で良かった」
「どうして?」
「だってあんなにカワイイだもん」
「なるほど。でも僕もライトの友達でしょ」
「すねてる?」
「さーてね」
「ごめんごめん、ハカセも友達だよ」
ライトはハカセを強く胸に抱きしめた。しばらくずっとそうしていた。
「……急がなきゃ」
やがてライトはそう呟いて、深い眠りについた。
もちつきロケット 幸 石木 @miyuki-sekiboku
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