8.コロコロ
一瞬、狛にしか分からないほどの一瞬だけ、小角は目を見開いた。その手が湯呑に伸びて、けれどすでにお茶を飲み干したことに気付いて仕様もなくその淵をなぞる。
ライトは少し俯いていたので、小角の戸惑いは狛とハカセにだけ伝わった。
狛にしても動揺が隠せない。
「えっ、ライトも?」
「! ……うん。だから、お父さんを探してるの。お母さんが死んだこと、お父さん知らないから、伝えなきゃでしょ?」
お母さんが死んだことをお父さんが知らないから。というのが狛にはよく分からなかったが、ライトがもちつきロケットを作り、飛ばした理由がただの興味本位ではなかったと、彼は理解した。
「お父さん……ハクトさんですか」
小角が言った。
「はい。だから、もちつきロケットで月を飛び出したんです」
「……もちつきロケットで」
そう言うと、小角は一瞬気まずい顔をして、しかしすぐに口と鼻を手で覆い隠した。そうしてライトから目を逸らしハカセを見る。
ハカセはプモプモと鼻を鳴らし、小さく首を振った。
「まぁそういう訳でね、僕たちはまたもちつきロケットを飛ばさないといけない。――ご協力感謝します、小角管理人」
「いえ、本当に……感謝されるいわれがございません」
そして小角は湯呑を手に取り、口に付ける。もちろんお茶は入っていない。
「あぁ、そうでした。――今日はもう遅い、ぜひお泊りなってください」
その言葉に一気に表情を明るくさせてライトが答える。
「いいんですか!」
「もちろん。地球に滞在中はいつでも泊まりに来ていただいて構いませんよ」
これには狛が反応する。
「ホンキかよおばあちゃん!?」
「あら? 何か文句でも? 大地、私がやると言ったんですよ」
「う……」
――おばあちゃんは一度そうと決めたら曲げない人だ。
犯罪者を匿うという行為。今日会った人を家に泊めるという行為。そもそもライトとハカセに協力するという行為。狛には文句がたくさんあったが、祖母はどれも聞き入れてくれないだろう。
――でもよー……。
狛はチラリと横目でライトを見る。ハッとするような彼女の横顔に急に落ち着かなくなった。
「文句はねーけど。でも、その……」
狛は指をイジイジと弄んでいる。なんとも言えない緊張でソワソワしているのがライト以外にはよく伝わった。
そんな狛を見上げてハカセが言う。
「誰か家に泊まるというのは、友達でも緊張するよね。それが僕らみたいな異邦人なら尚更だ。君が嫌なら僕らはお暇するよ」
「えー!? コマ君、私がいると嫌なの?」
ライトが狛に身を乗り出して聞いてきた。
「ちょ、近――」
汗の乾いた匂いが女の子らしい甘い匂いと混ざって狛の鼻をくすぐる。
狛の体は一気に熱くなった。しかし氷のようにカチコチに身動きが取れない。まるで自分の体でなくなってしまったような、別の何かに操られているような、制御不能な感覚に支配された。
「うぁ……」
「ね、お願い。私も誰かの家にお泊りなんて初めてだから、すっごい楽しみなの!」
屈託なく笑うライトに、狛はただ頷きを返すしかなかった。
◇
「サクラさんと会ったのは17年前。彼女は世にも珍しい地球への観光者でした」
食後、食器を洗いながら小角が狛に言う。ライトとハカセは風呂に行って台所にはいない。
食事中、ライトはキャーキャーと騒いでうるさかった。初めて見るワ食に大興奮して、食べる前に何度もハカセに見せていた。どうやらハカセの目には記録機能があるらしく、それで写真を取ってもらったらしい。
一口食べるたび、美味しそうにライトは唸る。頬に手を当て「ほわぁ」と唸る。ほっぺたが落ちる、とは今の彼女を指すのだろう。
そんなライトに少し呆れながら、狛はさっきのやり取りを思い返していた。
いくつか気になるところがある。母親が死に、その三年後に父親を探しに飛び出したというライトに。そしてライトの母親に恩があるという祖母に。
どう聞いていいものか悩んだ挙句、まずは祖母から話を聞こうとしたのは、狛にとって自然な思いつきだった。
「観光者とか来るんだ……」
「私の人生で何度かあります。――そうね、大地が生まれてからは一度も来ていなかった」
小角は食器を洗い終えると水を止め、濡れた手をタオルで揉むように拭き始めた。
「サクラさんは、すごく楽しい人でね。感情表現が豊かというか、そうね、色んな顔を持っていて、それがコロコロ変化していくの。さっきのライトさんみたいに」
狛は小角の隣で食器を拭きながら、黙って話を聞いている。タオルを戻して小角が続ける。
「私たちは彼女に命を救われた」
「……私たちって?」
「私と、海美。そして大気さん」
それは狛の母と父、小角の実の娘とその夫の名。
「お母さんとお父さん……」
「そう。サクラさんがあの時助けてくれたから、いまの大地がいる」
「……何があったの?」
「事故です。この処理場での事故。地球に許された文明ではどうしようない規模の。――さて、私はこれから書類整理をするので部屋に戻ります、話はここまで」
「えっ」
狛が食器を拭く手を止める。小角を見ればすでに廊下へ続く襖に手を掛けていた。
「あなたもあの子に協力してあげなさい。――それにしても、お腹に子どもがいると聞いてはいたけれど、あんなにソックリに育つなんて。服装の趣味までソックリに」
そう独りごちると、小角は台所を出ていった。
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