5.管理人

 ゴミ捨て山の頂上付近に狛の家はある。いま二人と一匹はそこへ続く坂道を上っていた。

 一本の道として整備されたそこは照明灯に照らされて明るい。この道は頂上までの唯一の道であり、かつこの山には他に照明灯など建てられていない。


「ひぃ。はぁ。ま、まだ上るんだね」

「お姉さん体力なさすぎな。あとちょっとでつくよ」


 上り坂を10分ほど登ったところでライトは荒い呼吸を吐きだした。それから更に5分が経った今、その足元はふらつき始めていた。

 汗の粒が首を伝って胸に落ちる。閉じていたパーカーは今は開いていてシャツに汗が滲んでいる。

 翻訳ヘッドフォンと耳との間に熱がこもるのだろうか、しきりにその間に隙間を作っては手で仰いでいたが、今はそれもやめてしまった。あまり効果がなかったのか。それとも手を軽く振ることすらもうしんどいのか。


「ひぃ。ひぃ。ぐ、具体的にあと何分くらい?」

「あと5分もないよ。もう少し」

「ヒィ……」


 ライトは目をグルグルさせてしんどそうに腰を曲げた。しかし立ち止まったりはしない。膝に手をつきながらも一歩一歩と歩き続けていた。

 そんなライトの隣を歩きながら狛は思う。

 ――ホントはもう家に着いてる時間なんだけどな。

 狛は出会ったばかりの人に気軽に話し掛けることができる少年ではない。少しの世間話をすることすら彼には高難易度だ。話題が思い浮かばずに耳がピンと立ったままになってしまう。相手から話題が振られるのを待ってしまうのだ。

 狛がそうして緊張のあまりライトより前へ先へと坂道を上っていると、この短い間に彼女を何度か見失いそうになった。慌てて元来た道を戻ってはヘトヘトになったライトを見つけて先へ進みまた見失うを繰り返しているうちに、彼は自然と彼女に歩調を合わせ始め、ついには隣で歩くようになった。

 そしていつの間にか、張り詰めた耳も緩んでいた。


「なぁ、いまさらだけど、やっぱりあそこで待ってたほうが良かったんじゃねーか?」


 狛がそう言うと、ライトは白い歯を見せて笑顔を作った。


「ダメだよ。言ったでしょ、こっちから挨拶しないと。お願いを聞いてもらうわけだし」

「無理だと思うけどなぁ」

「……狛少年はゴミ漁りをしたら怒られると言っていたね」


 二人の後ろからついてきているハカセがそう言った。


「どうしてだろう? 投棄された物に所有権はないだろう。放っておいてもここで処理され無くなるものをどうして僕たちが再利用してはいけないのか」

「……ん? ハカセはさ、ゴミ漁りしてはだめだよ少年とか言ってたじゃねーか」

「それはここが危険の山でもあるからだ。適切な処理を施される前のロケットエンジンなどもあるだろう」

「それだよ。答え出てるじゃねーか。下手につついたらヤバイもんがあるんだからダメ、ってこと」

「……なるほど。しかしそういう理由で禁止されているなら、僕たちには問題ない」


 ハカセの言葉の意味がつかめず、狛は足を止め彼に首だけ振り返った。

 ハカセが鼻を鳴らして言う。


「――あのもちつきロケット、そして僕も、作ったのはライトだからね」

「えっ……」


 狛は少し引いた。あの変態仕様を自ら作り出したのかと思って少し引いた。そしてそれ以上に驚いていた。

 ――もちつきロケットもこの人が?

 狛はそう思いながら、少し前を行くライトを見る。


「ヒィヒィ、ヒ……ぶぇっくしょい! ぁあ! ――?」


 特徴的なくしゃみをした後、鼻をすすりながらライトは首を傾げた。そんな彼女を見て、狛は疑いの目をハカセに向ける。

 ハカセは力強い頷きで返した。

 ――ホントかよ……。

 狛には間の抜けたお姉さんにしか見えない。ハカセやもちつきロケットを作れるような人には1ミリも思えないのだった。



「おおーー!」


 ライトが両腕を広げて大きく叫んだ。汗だくで疲れきった体のどこからこんなに大きな声が出るんだ、と狛に思わせるほどの声量で、彼女は続けて叫ぶ。


「おっきい! でっかい! のがなんかたくさんある!!」

「そんなに驚くことかよ」


 そう言いつつも狛の顔はどこか誇らしげだ。

 ゴミ捨て山の頂上近く、狛の家はゴミ処理を任された管理人の家。その周りには廃棄物ゴミ処理に必要なすべてが揃っていた。

 廃棄物の焼却、破砕等を行う種々の中間処理施設。

 その中から選別された再利用可能な資源の貯蔵施設。

 それら各施設を運用するための機械とロボットの維持管理施設。


「おおおお!! 古民家! ニホン式の古民家だ!!」

「えっ、走れんの!?」

「こういう子なんだ……」


 水を得た魚のように走り出したライトを狛とハカセが追う。

 そして各施設を通り過ぎて奥の方、山の下に広がる街並みがわずかに見えない山奥に、隠れ潜むかのように狛の家はあった。

 正面玄関前の高床の段を駆け登り、屋根から延びて出来た庇の下で、ライトはやっと立ち止まり狛に振り返った。


「カッコイイね! デザイナーの名前を知りたいくらいだよ!」

「さっきまでヒィヒィ言ってたのは何だったんだよ……。デザイナーて。が生まれる前からあんだから分かんねーよ」

「そうなの? 残念だなぁ。――こういうのって何ていうんだっけ? オテラ?」


 口に指を当てながらライトが言った。それにハカセが答える。


「流造。横から見ると瓦屋根が非対称に延びているのがよく分かるはずだ。――これは神社だね」

「その通り。ここはかつて神が居た社」


 横開きの戸が開き、そのしっかりとした声とともに奥から背筋の伸びた女が現れた。顔にいくつか皺が入りつつも、その肌は未だに潤いを保っている。だから彼女は初めて合う人によく年齢を若く見積もられる。

 ――あれ? なんで??

 白地に竜胆の散りばめられた浴衣、帯は小袋の黒地に藍色の線が入っている。大事なお客さんが来るときにしかしない服装だと狛は気付いた。


「古代に人が神を想像し創造した場所。ですが今は、廃棄物の管理人の住む場所。見棄てられたモノ同士、ここは皮肉ほどに相応しい」


 突然背後から現れた女にライトが怯んだ顔でポカンと口を開けている。どうやら声も出せないらしい。女はそれを見て微笑むと、両手をお腹の前に重ねて恭しくお辞儀した。


「ようこそ地球へ。狛小角と申します。あなたを歓迎致します。――大地、中へご案内しなさい」


 女はそう言って奥に戻っていった。


「えっ? う、うん。分かった。――お姉さん、ここで靴脱いで」


 狛がボケッとしたままのライトを通り過ぎて先に玄関に入ると、そう促した。ライトは言われるがまま敷居を跨ぎ靴を脱ぎ、一足家に踏み入った。

 エアコンの効いた家の中は涼しい。ムンムンとサウナで蒸されたような体も冷める。今もライトの首から鎖骨へ流れる大粒の汗が冷やされて、彼女は「ふぅ」と一息ついた。

 そこまでやってようやく気を取り戻したのか、ライトはため息まじりに狛に聞く。

 

「綺麗な人だね。お母さん?」

「おばあちゃんだよ」


 狛は食い気味に答えた。


「えぇ!? 全然見えない! 若っ!」

「まーまだ五十代だし」

「いやいや見えない見えない!」


 そう言ってライトは何かを納得したようにウンウンと頷く。すると一変し、落ち着いた口調で続けて言った。


「――そっか、立派な人なんだね」


 針を刺された風船のようなテンションの下がり様に、少し戸惑いつつも狛が答える。


「当然。おばあちゃんは立派な人だよ」

「うん。良いことだ!!」

「なんだそりゃ。……あー、疲れきってる時に走ったりしたから。変になってるよお姉さん。――ハカセ?」


 なかなか家に上がってこないハカセに狛が振り返る。彼は玄関先で立ち尽くしていた。


「僕のようなうさぎはどうしたら良いだろうか。このまま入ると汚れるだろう?」

「――タオルあるからすぐ持ってくる!!」


 狛は勇んで走り出した。ハカセのその白い綿毛に合法的に触れるからだ。

 触りたいと言えばハカセは触らせてくれるだろうが、狛にはそれが少し気恥ずかしかった。

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