第7話 榛原マサル、窓居圭太たちに3つの選択肢を語る

榛原はいばらミミコと僕、窓居まどい圭太けいたのふたりは、失踪していた僕の友人、榛原マサルにいざなわれ、五反田のとあるコスプレパブの中へと足を踏み入れていた。


今が昼間であることを忘れてしまいそうなくらい薄暗い店内は、「きつねっ」というエッジの立った店名のわりには、テレビドラマや映画で見たことのあるバーやクラブ、キャバクラの様子とさほど変わりのない、黒や茶系のごく落ち着いた色調のインテリアで統一されていた。


僕たちは店の奥の、ボックス席というんだっけ、仕切りがあり、テーブルをはさんで一対のソファが向かい合う席まで案内された。


片側の席に、僕とミミコは並んで座った。


榛原はバーカウンターの奥から、ウーロン茶とおぼしき茶色の飲み物の入ったピッチャーとカットグラス2個を持ってその席までやって来た。


そしてそのお茶をグラスに注いで、僕たちにすすめてくれた。


「どうぞ」


僕はほんの一瞬、顔をそらして左に座ったミミコを見つめた。


『飲んじゃダメ』


そういう意味のアイコンタクトだった。


ミミコもそれに呼応するように、一瞬うなずいた。


安手のミステリじゃ、たいていこういうシーンで妙な飲み物をつい飲んじまってひどい目に遭うのがお決まりだからな。多少の喉の渇きは、ガマンガマン。


たとえ榛原とはいえ、今の彼に対して警戒を解く訳にはいかない。


グラスには手をつけずにいる僕たちの様子に気づいたのかどうか、榛原は向かい側のソファに腰かけて話を始めた。いつもの低めの落ち着いた声で。


薄暗い照明の加減で彼の顔は影になっており、その表情はほとんど分からない。


「きみたちふたりには、連絡と説明が遅れてほんとうに申し訳なく思っている。


ミミコ、圭太には俺の『あの1年間』の話は、してくれたのかい?」


「はい、先ほど圭兄けいにいにあらましはお話ししました」


ミミコは真剣な面持ちで、兄の問いに答えた。


「そうか。じゃあそれを踏まえて話すことにしよう。


圭太、そのミミコの話で大体は分かったかと思うが、俺はもともと心臓などの循環器系に先天的な欠陥があった。


成人するまで命がないとも言われていた。


それをいたく案じてオヤジがアメリカのとある民間医療研究機関、通称S機関と呼ばれているその存在をつきとめ、俺にそこで手術を受けさせたのだ。


一介のサラリーマンに過ぎないオヤジには到底払えない莫大な手術費用をチャラにしてもらう代わりに、俺はS機関のありとあらゆる実験を受け入れる実験台となることを承諾した。


1年近く、俺には機関によりさまざまな人体改造の試みがなされた。そしてそれにより、過去の俺からは想像もつかない、人間離れした能力が付与されたのだ。


とはいえ、ここでその詳細を語る訳にはいかない。


絶対の守秘義務というものがあるからな」


榛原はここでひと息入れた。


「だが、月日のつのは実に早い。


機関を出て日本に戻ってから、4年以上の歳月があっという間に経ってしまった。


その間に俺は小学校を卒業して中学に進学、圭太ともそこで知り合った。


そして高校にも進んだ。ミミコも中学生となった。


そういった日々の流れの中で、俺はすっかり忘れていたんだ。


いや、忘れていたというより、思い出したくなかっただけかもしれない。


機関との契約では、退所後4年が経過した段階で、もう一度重要な意思確認をしなくてはいけないということを」


「意思確認、かい?」


僕は榛原に聞き返した。


「そう。満4年が経過した時点で、被験者たる俺はいくつかの選択肢のうちのいずれかを選ばないといけないのだ」


いくつかの選択肢?


数はいくつなんだ? そして、たとえば3つとするなら何と何と何なんだ?


僕の頭の中を、そういった疑問が駆けめぐった。おそらく、ミミコも同様だっただろう。


僕の内心のゆらぎを見透かすかのように、榛原は口を開いた。


「ひとつめは、いまの状態をそのまま維持すること。


つまり、これまでS機関から俺に与えられてきたミッションをこのまま遂行していくという選択肢。


そのミッションは何なんだという疑問も当然出て来るだろうが、それをつまびらかにすることも禁則事項だからね。念のため」


榛原はそこで軽く笑った。


「ミッション遂行と引き換えに、俺は今まで同様に、健康な身体で充実した日常を謳歌できるという仕組みだ。


ただしその裏では、少しずつ『ツケ』のようなものが溜まっていく。


あえて再度の施術を受けないということによって、身体に微妙な不具合が生じてくるという意味だ。


今から何年後かには、その精算をしなくてはならない。相応の対価を払わねばならない。


だから、これが他より抜きん出てベストな選択肢とは言いがたいのだ。


完全にこれ一択、ってことにはならない」


榛原の謎めかした、というよりは謎だらけ、謎まみれな話に、僕は頭の中をかき回され、めまいにも似た感覚を味わっていた。


とりわけ、何年後かに榛原が払わなくてはいけない「ツケ」とは何なのかが気にかかった。


榛原はそのままの調子で、話を続けた。


「ふたつめは、こういう選択肢だ。


今の俺は、S機関の人体改造プロジェクトとしては、第1ステージが完了した状態に過ぎない。


もともと、俺がまだ子どもで十分に成長していない時期になされた施術だけに、そこまでやるのが精一杯だったということだ。


その後成長し、ほぼ成人同様の体格となった俺には、第2ステージ以降の施術が可能だ。


それを受けることを承諾すれば、俺はさらに高い、普通の人間には絶対到達不可能な、知的能力を得ることになる。


いわゆる『神』にも近しい存在になれるという。


そしてその『ツケ』からも一生解放される。


ただ……」


榛原はそこで口ごもった。


「ただ、なんなんだい?」


僕はその続きを榛原に促した。


「ただ、それを選択する以上、俺はこの国で普通の暮らしを送ることを放棄しなくてはならない。


日本人の国籍を放棄し、正式にS機関の総帥の養子となって、アメリカ人のエージェントとしての一生を送ることになる。


つまり、ミミコに圭太、きみたちとも縁を切らなくてはならない、そういう選択肢だ。


高い能力を手に入れる代わり、当たり前の日常を放棄しなくてはならない。


得るものも大きいが、失うものもまた、大きすぎる」


そう言って、榛原は肩を落とした。


僕もミミコも返す言葉を失い、シュンとなっていた。



しばらくの沈黙ののち、榛原はまた顔を上げて語り始めた。


「だが、選択肢はこれだけではない。3つめもある。


実はその選択肢ならば、これまでのミッション遂行から一切解放される。


俺はS機関のことを忘れて、一生のんびりと生きることが可能になるんだ」


そう語る榛原の声は決して明るくはなく、むしろ沈んで陰鬱な印象だった。


「だがそのかわりに、俺は大きな代償をも支払わなければならない」


大きな代償?


おおよそ穏やかではない話に、僕は思わず唇を噛んだ。


隣りのミミコを見やると、やはり彼女も緊張の色が隠せない。


「代償とは」


榛原はゆっくりと言った。


「今から5年前、つまりS機関と関わってからの俺のすべての記憶が施術により消されて、完全に白紙の状態になるということだ。


つまり、圭太と俺のこれまでの記憶もすべて消えてしまう。


S機関の構成員から外れることの代償として、そのくらいは当然だろうな。


これが、3つめの選択肢という訳さ」


榛原が語った3つの選択肢、それはどれを選ぶにしてもS機関に関わってしまった者たちの深いごうを、僕とミミコに思い知らせたのだった。(続く)

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