第4章

第1話 窓居圭太、榛原マサル失踪の報せを聞く」

今年の梅雨は例年以上に長く続いて、いつもより10日ほど明けるのが遅かった。8月に入ってからの梅雨明けなんて10数年ぶりって話だ。


でもとにかく、朝のテレビのニュースは梅雨明けを告げている。ここ池上いけがみの地も、けさから気温が急上昇して、30度を越えた。


ようやく、夏本番の到来である。


ぼく窓居まどい圭太けいたの通う私立池上高校、通称池高いけこうは、昨日で1学期の終業式を迎えた。


思い起こせば4月の中旬にわが相棒榛原はいばらマサルの妹、ミミコの変身事件があったものの、それをなんとか解決してからはこの3か月あまり、ぼくやその周辺の人々にとってはいたって平和な日々が続いていた。


平和ということは、変化がほとんどないということでもある。つまり、特にいいニュースもない。


ぼくの恋愛に関する状況もまる3か月、一歩も進展がなかったのである。


ミミコとは事件がきっかけで「ミミちゃん」「圭兄けいにい」と呼び合えるようにはなったが、ぼくは高校生、彼女は中学生と別々の学校に通うこともあり、いまだに1対1で会うチャンスには恵まれていない。榛原の家にはその後何度も行くようにはなったものの、あくまでも彼に用があって行く場合に限られている。


ほかの女子とはどうなったかと言うと、クラスメートの高槻たかつきさおりはシスコンな妹みつきと和解し、ともにBL趣味の持ち主であることが判明して以来、しっかり腐女子ふじょしシスターズと化してしまった。


自分たち自身の恋愛よりも男子同士の関係性、というより具体的にはぼくと榛原の関係性を妄想して萌えるという、いささか残念な人たちになってしまったのだ。もっともそのきっかけを与えてしまったのは、ぼくらとしても痛恨のミスであるのだが。


こんな調子じゃ、ぼくと高槻、あるいはみつきとの間に進展が生まれるわけがない。そうだろ?


次に従妹いとこ明里あかりとぼくの姉しのぶの百合カップルだが、こちらも基本的にはラブラブな状態が今も続いている。


ときどき明里がミミコなど他の女子に興味を示して、独占欲の強い姉と痴話ゲンカをおっぱじめ出すものの、「ケンカするほど仲がいい」の例え通り、最後は丸く収まっている。だから、ぼくの出る幕はまるでない。


そして吹奏楽部の先輩、「池高のオスカル」こと美樹みきみちるだが、相変わらず女子生徒との恋愛に血道を上げているので、こちらも当然、ぼくとどうこうなる可能性はゼロである。


最後に、ただひとりぼくにのありそうな素振そぶりを見せてくるのは神使しんしの狐娘、きつこだが、こいつは外人枠というか人外じんがい枠というか、とにかく別枠だろう。


いくらぼくになついてくるからといって、それは彼女のイヌ科妖怪としての属性みたいなもので、きつこを恋愛の対象として見られるかというと、かなり無理がある。人とあやかしの間に、普通の恋愛が成り立つとも思えない。


やはりきつこは、ぼくにとって気のおけない神使仲間でしかないのだ。


そんなふうに、ぼくの初恋はいまだに始まっていないのだが、その一方でぼくの学園生活はけっこう忙しく、充実していると言えなくもない。


その一番大きな要素は部活だな。ぼくの所属する吹奏楽部、略称吹部すいぶは2週間ほど前に開かれた池高祭いけこうさい(いわゆる文化祭ってやつだ)で、年度の区切りを迎えた。


池高祭でのコンサートを最後に、3年生の長峰ながみね部長や美樹先輩は引退して、1・2年生にバトンを渡したのである。


コンサートのアンコールの時に、次期部長を発表するのが吹部のならわしとなっていて、もちろんそれはいきなりのサプライズ指名でなく事前に根回しがあるのだが、そこでぼく、窓居圭太の名前が呼ばれたのである。


いきさつは、こんな感じだ。


池高蔡の始まる前日、部の最終練習のあと、ぼくは榛原とともにその場に残るよう長峰部長に言われた。


何の話だろうと思っていると、部長はトレードマークの赤リム眼鏡を直しながらこう言った。


「窓居くん、3年生のわたしは、明日からの池高祭を最後に、この部を去ることになる。


そこで次期の部長を決めておかないといけないのだが、わたしとしてはきみにお願いしたい」


突然の依頼に、ぼくは呆然となった。なにゆえにぼくが次期部長?


ぼくはさすがにその理由を部長に問い正さざるを得なかった。


「なんでですか部長? ぼくは楽器の腕前はイマイチですよ」


「それは知ってる」


部長、ストレートに言い過ぎ。さすがのぼくも傷つくわ。


「じゃあ、そんなぼくがなぜ部長に?」


部長は少し沈黙してから、再び口を開いた。


「実を言うと、最初は榛原くん、きみに頼もうかと思っていた」


「そうですか」


榛原はぼくの隣りで眉ひとつ動かさず部長の言うことを聞き、そう淡々と答えた。


「榛原くんは常に沈着冷静で、的確な判断を出来るひとだと思っている。そのまま、きみに頼んでもなにも問題はなかった。


でも、リーダーって、そういう理知的な力だけで部員みんなを引っ張れるものでもないんじゃないか。わたしはそう思い直したのだ。


きみと高槻くん、狐島こじまくん、そして美樹くんとの様子をじっと観ていて感じたのが、そのことだった。


彼女たちはもちろん、榛原くんのことを全面的に信頼している。が、それ以上に窓居くん、きみのことを慕っているように感じられる。恋愛感情に似てはいるが、ちょっと違っていて、そう、きみの人間性にひかれているというべきかな」


「そう、ですか?」


ぼくは意外に感じて、部長にそう問い返した。


「きみはそういう自覚がないのかもしれないが、外野にいて遠まきに見ている者のほうが真実がよく分かるということが、世の中には多い。わたしの目に間違いはないと思っているよ」


「はぁ、そういうものですか」


「うん。リーダーはよく言われるような、他の全員を強い力で牽引していくというのが理想的なあり方じゃない。


むしろ、最後尾をゆっくりとしか歩いていくことしか出来ないメンバーの横にしっかりとついてやり、そしてその子が少しでも他のメンバーにキャッチアップ出来るよう、励まし導くのが望ましいあり方なんだと、わたしは思うに至ったのだ。


どちらかといえば、きみは楽器奏者としてはレベルが高い方ではないし、きみ自身もそれを知っている。


だが、そういうの側にいるという自覚があった方が、レベルの高くないメンバーに対しても優しく接して導くことが出来る。そう言うものじゃないかね。


能力の高すぎる人間は、分かってはいてもついつい自分より能力の低い人間のことを軽んじがちだ。自分が出来る以上、他人もそれと同様に出来て当然だと思っているから、出来ない人がいるとイラッとしたりして、それが知らず知らず態度に出てしまったりする。


きみなら、そういうことはあるまい。


窓居くんの一番の長所は、功名心とか承認欲求といったみょうに尖ったものがなくて、常にフラットな感覚でわが道を行くってところだと思う。


そこが、いかにも今ふうなリーダー向きの資質なのだと、わたしは確信しているよ。


どうか、わたしの指名を受けてはくれないか」


そう言って、長峰部長はぼくに対して深く頭を下げた。この人は本当に奥深いところまで他人のことを見ている。さすがだ。


「恐れ入ります。おっしゃることの意味、よく分かりました。


こんな非力なぼくでよろしければ、部長のお役目、引き受けさせていただきます」


そう言って、ぼくも部長に深く頭を下げた。


「ありがとう。助かるよ。


それにもちろん、榛原くんにも窓居くんの補佐役、副部長として頑張って欲しいと思っている。


人情派と知性派、ふたり揃えば無敵じゃないか」


部長がそう言うのを聞いたぼくは、榛原の方を向いて右手を伸ばした。


「ぼくも、ぜひ榛原にバックアップしてもらいたいんだ。


やって、くれるよな?」


榛原はにっこり微笑んでこう答えた。


「あぁ、もちろんだとも。他ならぬ圭太の頼みだ。


一緒に部を盛り立てていこうぜ」


ぼくと榛原は、ガッチリと握手を交わしたのだった。



こうして、ぼくは池高祭の終了後から、正式に部長に就任した。


高槻やきつこ、美樹先輩には発表時まではそのことを伏せておいたが、3人ともその後すぐにぼくの元へやって来て、口々にこう言った。


「窓居くん、とても適任だと思うわ。これからもよろしくね」と高槻。


「おめでとう、圭太。ついに役付きじゃない。バディのボクとしても、鼻が高いよ」ときつこ。


「窓居くん、後はよろしく頼むぞ。わたしもOGとして、ときどき様子を見に行くつもりだけどな」とは美樹先輩。


こうまで励まされたからには、いかにマイペースが基本といえども期待に少しは応えないとな、僕。


さて、梅雨明けにして夏休み1日目のきょうは、いつもの目覚ましの儀式、きつこの「フライング・ボディ・アタック」もなく、ぼくはのんびりと朝寝を決め込み、ようやく昼前に起きた。


「平和だ……そして、実にヒマだ」


昨日までの慌ただしい日々がウソのようだった。カレンダーには、何の予定も記されていない。


このまま日がな1日、ダラダラと過ごして終了。


そうなるはずだった。


しかしそんな1日は、お昼どきの一本の電話で跡形もなくかき消えた。


「トゥルルル……」


リビングルームで鳴る固定電話を、タンクトップにショートパンツと言う相変わらず刺激的なスタイルの明里が取って、起き抜けのぼくに渡してくれた。


「けーくん、彼女﹅﹅からだよ」


そう言って意味ありげにニヘラと笑う明里。


「そんなものはいないっ」


完全否定してさっそく電話に出ると、聞き覚えのある高めでちょっと舌足らずな声が聞こえてきた。


「圭兄、ですか? ミミコです…」


その声は少し震えていて、不安げでさえあった。僕は不吉な予感を覚えた。


「ミミちゃん、急にかけてきて、どうかしたの?」


ぼくが尋ねると、榛原ミミコは半泣きになってこう答えた。


「マーにいが昨日夜から、ずっと姿を見せないんです。携帯にかけても出てくれなくて…。わたし、いったいどうしたらいいの、圭兄。うぅ……」


そう言って泣き崩れるミミコの声に対して、ぼくはひとことも返せず戸惑うばかりだった。(続く)

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