第6話 窓居圭太、変身したミミコにウサコと命名する

榛原はいばらミミコの化身、ミミコダッシュと夜の公園でついに遭遇したぼく、窓居まどい圭太けいた


ぼくは彼女の妖しい魅力に引き込まれそうになりつつもなんとかかわし、必死にその胸中を探ろうと試みる。


ミミコダッシュはなぜ、だれが関与して、どのようにして生まれたのか。


榛原、きつこの裏の活躍で、その謎は解き明かせるのか?


       ⌘ ⌘ ⌘


きつこからのリクエストがあり、ぼくは今しばらく、時間稼ぎを続けることになった。


まあ、ミミコダッシュはこれまでのところ、比較的素直かつ穏やかなキャラクターで、積極的に攻撃を仕掛けてくるふうではない。


こちらから不用意な刺激を与えない限り、さほど危険な行動に出てくることはなさそうだ。


もちろん、きつこが昨日の夕方言ったように、油断はゆめゆめ禁物だ。


相手はミミコダッシュだけでなく、もうひとり黒幕の存在が予想される以上、その両者との戦いになるやもしれない。


平静を装いながらも、次の瞬間の「最悪の事態」を予想して迅速に行動しないといけない。


だから、かなりの緊張感が、ぼくの全身に覆いかぶさっていた。


ミミコダッシュは、しばらく悲しげな表情を見せていたものの、そのうち気持ちが落ち着いたのか、口を開いた。


「そうだね、おにいさんの好みってもんがあるからね。しかたない。


でも、ちょっとあたしの話し相手にぐらい、なってくれたっていいんじゃない。


こうして何晩も話し相手を待っているのに、まともに話のできる男が、ひとりも来てくれなかったんだよ。


おにいさんなら、あたしの話、聞いてくれるよね?」


その問いかけに、ぼくはこう返事をした。


「構わないよ。ぼくはすぐにこの場を立ち去ったりしないから、安心しな。


きみの話を、聞かせてくれ」


ミミコは、それを聞いて、声の調子がいっぺんに明るくなった。


「じゃあ、もうちょっとあんたと話をしやすいところに座らせてもらうね。


あんたの顔が、よく見えるところのほうがいいんだよ。


かまわないよね?」


そう言ってぼくの正面、ブランコ二台を取り囲んでいる鉄製のガードの上に、ちょこんと座った。


さっきまでと比べると、彼女の悩ましい顔や身体が直接視界に入るようになった。


でもまあ、いいか。数メートルの距離はあるから、さほど圧迫感はない。


「うん、そこでかまわないよ」


ぼくはオーケーの旨を、ミミコダッシュに伝えた。


「ありがと。じゃあ、話させてもらうよ。


あたしは、あんたにいままで名乗っていないけど、実は自分がなんて名前なのか、知らないんだ」


ぼくはこの発言にはさすがに驚きを隠せず、思わず「ほぉーっ」とため息をもらしてしまった。


「それだけじゃない。自分がいくつかなのもよくわからない。


自分の身体つきを見るに、どうやら成人しているみたいだけれど、ほんの数日前に生まれたばかりのような気もするんだよ。


見かけ年齢に合った記憶が、あたしにはない。


それに、やたらとサイズが小さくてきついこのパジャマも、なんで着ているのか、よくわからない」


ぼくは、ミミコダッシュに、こう答えた。


「そういう、生まれてからの記憶がほとんどないってことは、きみは数日前に生まれたばかりなのかもしれないね。


おとなの女性の身体をもって、きみはつい最近生まれたんだよ。


生まれたばかりのひとは、ほかの誰かがつけてくれない限り、名前もない。そういうものなんだろ」


ミミコダッシュはそれを聞いて、にわかに納得したような表情になった。


「そうか、そういうことなんだろうね。ようやくわかったよ。


名前は、ほかの人がつけてくれない限り、名乗りようがない。


『吾輩は猫である』のネコみたいに」


ミミコダッシュのその一言を聞いて、ぼくは一瞬、頭の中がはてなマークで充満してしまった。


みずからの名前も知らないくらいなのに、そういう一般教養的な知識は、普通にあるのな。


それって、おかしくね?


でも、ひと呼吸おいてもう一度考えてみると、納得がいった。


いまここにいるミミコダッシュは、言ってみれば、記憶喪失状態のミミコなのだ。


自分の個人データはすべて吹っ飛んでいるが、それ以外の十四、五年にわたって蓄積された知識・情報は、すべて温存されている。


だから、話すことばも、赤ん坊みたいにはならない。


この数日前に、新たに生成されたのは、そのおとなの身体だけなのだ。


だから、ぼくや榛原がミミコダッシュとミミコを完全な別人格と考えていたのも、いささか誤りだった。


その知識・情報において、両者はかなりの部分を共有している可能性が高い。


ミミコダッシュは、そうやってぼくがあれこれ考えを巡らせている間、沈黙していた。


何かを考えているようだ。


そして、再び口を開いた。


「じゃあ、おにいさん、あんたがあたしの名前をつけるというのはどうかな?


あたしと初めてまともに話してくれたあんたこそ、名付け親にふさわしいと思う。


お願いされてくれない?」


いくぶん頬が上気した顔で、ミミコダッシュはそうぼくに頼み込んできたのだった。


拒否するほどの理由も見つからず、「あ、あぁ」とぼくは答えた。


とはいえ、とっさに浮かぶ妙案はなかなかない。


しばし、ぼくはミミコダッシュを上から下まで眺めて考えた。


そして、提案した。


「そうだなぁ、きみの着ているパジャマの絵柄、ウサギにちなんでウサコってのは、どうだろうか?」


ミミコダッシュは一瞬「ん?」という顔つきになったが、自分が着ているパジャマの絵柄をよくよく見て、納得した表情になった。


「うん、そうだね。あたし、このウサギが好きだからこのパジャマを着ているんだよ、たぶん。


じゃあ、いまからあたしは『ウサコ』ね。


ありがとう、おにいさん」


命名の儀が無事終了し、彼女は仮の名であるミミコダッシュから脱して、ようやくウサコという存在になったのだった。


       ⌘ ⌘ ⌘


ガードに座ったまま、ウサコは語りを続けた。


「あたしは何日か前、この身体、この格好でいきなり世界に放り出された。


誰からも、なんのガイダンスもなしに。


あたしはこの世界で何をすればいいのか、それすらもわからないままに、生まれた。


でも、もともとの『自分』についてのかすかな記憶があった。


あたしは、かつて『きれいな、おとなのひとになりたい』と願っていた。


そしてその結果、いまのこの姿になったという記憶が、あたしの脳髄には残っていた。


『きれいになりたい』、それが本当に実現したのかどうか、まずは確かめないといけない。


生まれて最初に、あたしはそう思った」


ウサコは、工芸品を作り出すかのように、少しずつ言葉を選びながら、みずからについて語ったのだった。


「だからウサコは、毎晩、それを確かめるために、ここにやってきた何人かの男に尋ねた、そういうわけか」


そうぼくは口を挟んだ。


「そういうことになるのかな。


でも、そのあたしの目論見もくろみは、うまくいっているとはいえない。


たいていの男には逃げられてしまうし、あんたには正面から否定されてしまった」


そう言ったウサコは、決して悲しげな表情ではなかった。


むしろ、穏やかな微笑みを見せていた。


「そう、きれいとか、きれいでないとか、そんなこと、どうでもよくなってしまったっていうのかな。


いまのあたしにとっちゃ、さしあたってあんたというひとが相手してくれればいいやって気がしてきた。


それに……」


ウサコは、そこで思わせぶりに言葉を区切った。


「それに……?」


ぼくが、聞き返した。


「あんたって、なんだか初めて会った気がしないんだ。


たぶん、もともとの『自分』が、あんたと会っているんだと思う。そうだよね?」


「どうだろう。皆目見当がつかないな」


ぼくは、ちょっと冷たく返してみた。


「相変わらず、いけずだね、あんた。


おにいさんがロリータ好みなのはよくわかったから、あんまり冷たくしないでおくれよ。


ここで知り合ったのも、なにかの縁なんだから。


それに、いまはウサコなんて好みじゃないって言ってたって、ひとの趣味なんて歳月の間に変わることも少なくないから、あんたもそのうち『むしろウサコこそがいい』って思うようになるかもしれないじゃない。


もしそういう風に好みが変わった時に、あたしのほうはおにいさんなんてまったく趣味じゃないよ、なんて思うようになっているかもしれないんだよ。


その時になって後悔しても、始まらないんだから」


そう言って、ウサコはにっこりと笑った。


けっこう、鋭いところを突いてきてないか、ウサコ。


なんだか、彼女にぼくの気持ちを見透かされているんじゃないかと思えてきた。


ぼくは、いいように手玉に取られているだけ?


いやいや、そんなはずはない。


ぼくはもしかしたらの可能性を、頭の中で懸命に否定した。


「あたしたちは、いまはただの知り合いだけど、とりあえずはそれでいい。


でも、もうちょっとだけ距離を縮めて、仲良くなったっていいんじゃない。


そうだ、おにいさんはロリータな子が理想ということは、あたしのような身体には、まるで欲望を感じないってことだよね?」


先ほどのぼくの発言を再度確かめるように、ウサコが尋ねてきた。


いつの間にか、ガードから立ち上がって、ゆっくりぼくのほうに近づいて来ている。


「もちろん、そういうことだ」


ぼくは即答した。


その間にウサコは、ぼくが座っているブランコのすぐ前までやって来た。


ちょうどぼくの顔の前に、ウサコのサイズの小さいパジャマのすそ部分が来ている。


もう少しで、おヘソが見えそうだ。


「じゃあ、あたしがこういうことをしたって、全然問題ないよね?」


次の瞬間、ウサコは長い脚をひょいと伸ばして、ぼくの二本の脚の上にまたがったのだった。


そしてウサコの両腕は、するっとぼくの背中に回された。まるでダッコちゃん人形のように。


ぼくとウサコは、身体をほぼ密着させるかたちとなった。


「んっ??


ウサコ、お前何を……」


ぼくは言葉を発しようとしたが、驚きのあまり、その後が続かなかった。


顔が近い! 近すぎるよ!!


「よく幼い女の子が、父親やおじいちゃんの膝の上に乗っている光景を見かけるよねぇ。


あれ、もし男がロリコンだったら、ものスゴく不適切で危ないシーンだけど、男がロリになんか興味がない人たちだから問題なしってことになってるよね。


逆もまた真なり、なんじゃない?


あたしがふつうのノンロリな男の上に、こうしてまたがったら大問題だと思うけど、ガチでロリコンなあんたにこうしたってなんの刺激にもならないわけだから、全然ノープロブレムなんじゃないの?」


そう言って、ウサコは勝利者の誇らかな笑顔を見せたのだった。


なんという誤算。ロリコンの演技をして、みずから災いを招く。


策士策に溺れるとは、このことだった。


誰かに見られたら、到底申し開きのしようのない、メガトン級にデンジャーなシーンだった。(続く)

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