第2話 窓居圭太と財前明里、窓居しのぶを尾行し稲荷神社にたどり着く
ここまでで、賢明な読者諸兄ならお察しかと思うが、ぼくの一才上の姉、窓居しのぶは重度のブラコンである。
彼女はぼく以外の男性生物に一切興味のない、真性の「おとうと命」なお姉ちゃんなのである。
そして彼女は、ぼくに接近する生物はたとえメス猫一匹たりとも許してくれない。
だから、かつての幼なじみ、明里にも決して警戒心を解くことはなかったのである。
三人で一緒に遊ぶときも、自分+弟チームVS明里、という仕切りを欠かすことはなかった。
天真爛漫な明里の方はまったく意識していなくても、いつも姉は明里をライバル視していた。およそ相性は最悪なふたりなのだ。
次第に、いろいろと昔のトラウマが蘇って来た。例えば、姉のたまたまいないときに、明里とお医者さんごっこをしたことが姉にバレてしまった、あのときの彼女の剣幕ったらなかった。
当時ぼくは「将来は医者になる」などと言っていたのだが、明里が「じゃあ、実技訓練が必要だね」などと煽ってきて、ついそれに乗ってしまったのだ。
がんぜない子供の遊びだったとはいえ、二度と思い出したくない出来事だ。
中学生時代は「失恋王」という、全くもってありがたくない二つ名を同級生から授けられていたぼくだが、ぼくが例によって女の子に告白して断られ、落ち込んでいると、お姉ちゃんはこう言って慰めてくれたものだ。
「けーくん、心配することはないんだよ。たとえ世界中の女性全員にフラれたとしても、このお姉ちゃんがいるんだから。きょうだい手を取り合って、禁断の愛に生きていく道もあるんだから。お姉ちゃんはいつだって準備オーケーだよ❤️」
全然嬉しくない。
ぼくはお姉ちゃんにとってラブの対象だけど、ぼくにとってお姉ちゃんは、やはり実の姉以外の何者でもなくて、ぼくが何十、何百人の女の子にフラれたとしても、最後の頼みの綱として彼女を選ぶなんて可能性はありえない。
でもまあ、その拒否の気持ちをストレートに伝えると、お姉ちゃんはひどく悲しそうな顔をする。
まるで、ぼくが死んでしまったときのような悲しい顔を。これはえらく精神的にこたえるのだ。
だから、ぼくはお姉ちゃんの言葉は、なるべく素直に受けとめるようにしている。過剰な好意にはまったく応えないけど。
そんなわけで、この四日間はとにかく、ナーバスなお姉ちゃんに余計な刺激を与えないよう、細心の注意を払わねばならない。
幸いというべきか、夜は母もいつもより早めに帰宅してくれたので、明里に対していかにも家庭的なもてなしを出来たのだった。
明里の寝る場所は、明里自身は「うちはけーくんとでも、かめへんで」とコワいことを言っていたが、さすがに思春期のふたりを一緒に寝かすわけにはいかないわねと母が言って、姉と一緒の部屋になった。
姉も表面上は素直に従っていた。内心はいかばかりやら。
これで一日目は、なんとか終了。あと三日、無事過ぎるのを祈るのみだ。
翌朝は、前日打ち合わせした通り、早めに起床して、明里を試験会場である五反田まで送って行った。
その後ぼくはトンボ返りして学校の授業にギリギリ駆け込む、という寸法だ。
明里は昨日のギャルメイクは完全に落とし、髪型も三つ編みにして、セーラー服をまとって清楚系女子中学生に化けている。
いや、こちらこそが本来の姿だから化けているというのもおかしいか。
なにわのド派手ギャルも、少しは常識があるようで、ホッとした。
ノーメイクの素顔も、意外とかわいい気がしなくもない。
「明里、昨日はしっかり眠れたか?」
会場までの道のりで聞いてみたのだが、彼女はいまひとつすっきりしない面持ちで答えた。
「うーん、枕が変わるとやっぱ調子狂うわ。それよりも……」
「それよりも、なんだ?」
「あんな、しのぶちゃんのことで、気ぃなることがあってな」
「なんだい、それは」
あまり時間がなかったので、ざっくりとした話しか出来なかったが、夜中の二時ごろに、姉が寝床を離れたときにその物音で明里も目が覚めたのだが、それから一時間も姉は寝床に戻ってこなかったそうなのだ。
明里も最初は姉がトイレにでも行ったのだろうとたかを括っていたが、いつまで待っても戻って来ないので気になり、目もすっかり覚めてしまった、そういうことなのだ。
「そういうの、気になる性分なんよ、うち。今晩も同じことになるか、確かめてみるわ」
「いやいや、受験に来たんだろ、そっちに集中しろ!」
思わずそうツッコミを入れたのだが、その一方で彼女の旺盛な好奇心を抑えつけることは多分無理だろうな、ぼくはそうも思っていた。
「そういえば」
明里は最後にこう付け加えた。
「寝る前にしのぶちゃんとガールズトークしたんよ。やっぱり、けーくんの話になったわ。しのぶちゃん、うちがけーくんのこと、どう思っとうか気にしとるから、『今ははただの幼なじみや、将来はどうなるか知らんけど』と言うたらしのぶちゃん、しみじみと言っとったわ。『明里ちゃんがうらやましい、だってけーくんと結婚だって出来るから。私はしょせん、お姉ちゃんだからね』って。そんなしおらしいしのぶちゃん、初めて見たから、なんかジーンと来たわ」
「そうか、あのお姉ちゃんがねえ」
ぼくも、その発言はちょっと意外に感じられたのである。
行きで明里も道順を把握したようなので、その日は試験会場で別れて、ぼくは一日、普段通りの学校生活を送った。
その夜、ぼくは朝の明里の話が気になってなかなか寝つけなかった。
お姉ちゃんは、夏ならともかくこんな冬場の寒い日の丑三つ時に、いったい何をしているんだろう。
まさかの丑の刻参り? いやいやそれはないでしょ。
まあ、明里の報告を待つとしますか。
そんなのんきな事を考えていたら、さすがに夜半を過ぎてしまった。明日は日直当番もあるからと、眠ることにした……。
と、ふいに誰かに身体を揺さぶられた。なんだなんだ一体!
薄暗がりの中、目をこらすとその人物は明里だった。パジャマ姿だ。
「明里お前…」
思わず声を上げそうになったぼくの口を、明里の手が塞いだ。
「しっ、今夜もしのぶちゃんは動いた。今ならまだ後を追える」
いつになく真剣な声に毒気を抜かれ、ぼくは彼女とともに抜き足差し足、パジャマ姿のまま表の道路に出た。
そこには、やはり白いネグリジェ姿のまま、やや前のめりにゆっくりとした足取りでどこかへ向かおうとするお姉ちゃんの姿があった。
姉については、もう一点、追加説明をせねばなるまい。
彼女は人並みはずれて霊感が強いのである。
明里がやって来た日に感じた胸騒ぎがいい例だと思うが、そういう虫の知らせがあると、百発百中で何かが起きるのだ。
生まれつきそんな「体質」だったのかどうかは、正直よくわからない。
でも、それがあることがきっかけで顕在化したのは間違いないだろう。
姉は小五のときに気管支系の大病をした。学校も半年近く休まざるを得なかったので、ぼくもさすがに覚えている。
あまりに病が長引くことに母は心を痛めていたが、ある日病床のわが娘から、奇妙な夢の報告を受ける。
「われはこの地をおさむる、ウカノミタマなり。われに祈りを捧げなば、汝を病より救わん」
というお告げめいた言葉にピンと来た母は、家から歩いて七、八分くらいの場所にある稲荷神社にお百度詣りを始めた。
母が雨の日も欠かすことなく、三か月あまりお稲荷様に通い続けたおかげか、次第に姉の病状は好転していき、半年で快癒を迎えたのだった。
それ以来、お稲荷様は、姉にとっての守り神になった。
中学受験のときは姉自身がお百度詣りを続け、見事合格を勝ち取った。
あと、やたらとくじ運が強くて、福引きではたいてい大当たりをものにしている。
それもこれもお稲荷様のご利益だと、本人も語っていて、現在もことあるごとに願をかけに行っているようだ。
その夜、夢遊病者のような歩みを十分近く続けた姉がたどり着いた先は、果たして稲荷神社だった。(続く)
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