叛逆

髙木 春楡

バンクシー

 バンクシー、それは反逆者であり革命家である。

 1990年突如として現れた、正体不明の新進気鋭のストリートアーティストだ。

 ストリートアートとは勝手に壁面に描くのだから犯罪だ。それでも社会へ訴えかけるような作品たちは評価されている。もちろん、犯罪なのだから賛否両論があるのは仕方のないことだろう。それでも、美術に興味のない人ですら、知っているのだから才能あふれる天才なのは間違いない。

 僕はそんな天才に憧れていた。

 美術を、絵を描いている人間なら一度は有名になりたいと思うのではないだろうか。だから、彼のように名声を手にしたいと思った。

 だが、現実はそんなに甘いものではない。


 ボロアパートの二階、綺麗とはお世辞にも言えない部屋で、絵を描いていた。

 美大受験、三浪中の僕は、立派な駄目人間になりつつある。画塾に行き、バイトをして絵を描く。そんな生活を続けていると、モチベーションを維持することが大変なのだ。ある程度裕福な家庭で育ったのもあり、画塾のお金や生活費は出してもらっている。去年、追い込むためにも一人暮らしをしたいと言っても援助してくれた。20歳を過ぎても何の文句も言わずに応援してくれる親には、頭が上がらない。

 お金に困っていないのに、絵に時間を費やさずにバイトをしているのは、親への罪滅ぼしでもなく、ただ現状から逃げているだけだ。

 今日も仲間達と絵を描きながら酒を飲んでいた。

「今日の選評どうだった?」

「もちろん可もなく不可もなくって感じだったよ。」

「俺もだわ。」

 彼ら二人は、榎木えのき 雅也まさや笹野ささの 優成ゆうせいだ。二人とは、画塾で出会いよく僕の家で酒を飲み交わしている。

 筋肉質で身長の高い雅也が大きな体を伸ばしながら、新しい酒を取りに冷蔵庫へと向かう。それを見て「俺のも取って。」と言っている優成は、正反対に身体が小さい。

「こんな安酒じゃなくて、有名になっていい酒飲みたいな。」

「まずは、受験合格しろって話なんだけどなあ。」

   「それを言われると肩身が狭くなるよ。」

 夢は語っているだけで叶うものではない。努力してないということはないにしても、僕らには努力が足りないのだろう。才能がないとは、思いたくない。僕らは努力が足りないだけだ。

   「なら、なんかしないか?」

   「何かってなんだよ。」

   「なんか、凄いこと?」

   「俺らに聞くなよな。」

 有名になる為に、何かを始めようというその提案は、酒が進む事に激しくなっていった。僕らにはこんなビジョンがある。こうなっていきたい。それを始めるだけの熱情だけはあった。

 あくまで、熱情だけのはずだった。

 誰が言い始めたのかなんて、覚えられないほど酒が回っていた。でも、三人とも起きた時に、その計画のことははっきりと覚えていた。

 その瞬間から、どの夏より情熱を捧げた物語が始まったのだ。


「バンクシーを模倣するって言っても、どうやってくつもりだよ。」

「お前がいいだしたんだろ?」

「いや、お前だろ?」

「こんな言い合い意味ないだろ。酒の席での、戯言とはいえ、面白そうなのは事実だし。」


 だから、話が盛り上がっているのだろう。現実的とは言えないかもしれない。見つかれば、ネットの餌になることは間違いないだろうし、犯罪なわけだから。

「もうすぐ夏休みだし、話題にはなるかもしれないなとは思うけどさ。」

「正直、最初はバンクシーの模写でもいいと思ってるよ。」

 ここで、優成がまともな意見を出してきた。

「それの方が掴み的にはわかりやすいもんな。もちろん、ステンシルでやるだろ?」

 ステンシルとは、型紙や型版を切り抜き、その上からスプレーをかけることでくり抜かれた部分に染色する技法だ。

 バンクシーも使っているという技法で、スプレーをかけるだけだから作業が早く終わる。見つかりにくくなるのだ。

「そうするとして、問題は場所か。あんまり問題になりすぎると、警察に目をつけられるだろうし。」

 僕が不安に思ったのはそこだった。この監視カメラが多い時代に、バレずにやるというのは困難かもしれない。だが、美術館や文化財等に落書きするのではなく、高架下等であれば黙認されているのも事実だ。

「でも、意外といけるかも。」

「だよな。」

「だね。」

 僕らは失うものがない。だから、行動に移すのは早かった。その日から、バンクシーの作品を漁り模写を続けた。型紙をどれだけ正確に切り抜くことが出来るか、それがこの作戦の肝だった。最初の作品が中途半端であれば、話題にすらならず消え去るだろう。


 爪痕を残してやる。


 僕らの決意を固めたのは、その一心だ。

 第一回目の決行は、8月の1日だ。夜遅く飲み屋街の人混みに紛れながら、リュックを背負った僕ら三人は目的の場所へと向かう。

 なるべく怪しまれないように、仲のいい三人がただ話しながら歩いているように、ごく自然に一通りの少ない道へと入っていく。その先を進んでいくと、潰れた店のシャッターがある。錆び付いていて薄汚れている。ここは、監視カメラのない場所だった。それはそうだろう、店も潰れていてないのだから、監視する必要は他のところに比べればない。

 だけど、心臓は激しく音を鳴らしている。きっと、他の二人も同じようになっているだろう。

 顔を見合わせ作業に取り掛かっていく。

 分担してする作業は、想定より早く終わり絵が完成した。そこには、バンクシーの絵が飾られている。バンクシーの中でも有名な絵、「風船と少女」だ。

 バンクシーもこんな風に、何人かで書いたのだろうか。そんなことに心躍らせながら、直ぐにその場を後にする。

 この絵が早く気づかれてほしい。でも、僕らが誰なのかは分からないままでいてくれと願った。バレずに認められることが、僕らには大切だった。無名の僕らが、評価されるのなら、どれだけ嬉しいことなのだろう。


 僕らはその日から、定期的にバンクシーの作品を模写して色々な場所で描いた。

 夏休みなのもあり、すぐに僕らの作品はSNSで話題を呼んだ。それが賞賛の言葉ならいいだろう。だけど、僕らが呼んだ話題は否定的なものばかりだった。

 バンクシーに憧れた人間の行った蛮行。そんな風に書かれた。間違ってはいない。でも、正解でもない。僕らは、認めて欲しかっただけなのだ。だから、オリジナルの作品も描いた。

 きっかけは、「模写ばかりしてても意味がない。俺らの作品も描いてやろうぜ。」

 雅也の言葉だった。それは僕らに見えた小さな小さな光だ。これだけ話題になったのだ。僕らの作品を見てもらえる。だから、その制作に命を懸けた。画塾ですらその事ばかり考えている。話題になれば僕らの作品は、評価してもらえる。そんな驕りを持っていのだ。

 現実はそう簡単ではない。

 オリジナルの作品を描こうと、犯罪者だの結局はバンクシーの模倣だの言われ続けた。

 僕らの作品が評価されることはない。言われ続けるのは、天才の比べられる現実だけだ。

 僕らは、自分の才能の無さを実感してしまう。


「ねえ、最近やる気ないですけど、どうしたんですか?」

 僕が画塾で一人でいると声をかけてきた人がいた。彼女は、高校三年生現役の受験生だ。成績も優秀な、僕とは違う人間だ。

「特に何もないよ。僕がやる気ないのなんていつも通りでしょ。」

 冷たい返事を言うしかない。

「いや、作品に対しては誠実な人だと思ってますよ。それに、なんとなくやる気がない理由もわかる気がしますし。」

 僕のことをわかった気になっていることへ、少しの腹立たしさを覚えた。何がわかる。こんな所で努力しようと、僕の作品が、僕らの作品が評価されることなんてないのだから。

 僕は、どこまでも卑屈になっていた。

「先輩は、最近話題になってる和製バンクシーの製作者ですよね。」

「は?」

 言葉に詰まった。何故バレたのかも分からない。ネットでは誰なのかという論議はされていても、バレてはいなかった。なら、何故だ。

「別に誰にも言う気はないですし、興味もそこまでないんですけど。作品というか作風に私が好きな、貴方の要素が入っている気がしたので。勘違いならそれでいいです。」

 僕の作品の要素。そんなものが入っているなんて、僕は考えたこともなかった。でも、三人で作り出しているのだ、少しくらい僕らしさが出ていてもおかしくはない。

「まぁ、伝えたいのは自分らしくいればいいんじゃないですかってことだけです。後輩の戯言でした。すいません。」

 それだけ言って自分の作品へと戻っていく。僕のことを認めてくれていた彼女。その存在で助けられるが、彼女は本物だ。僕が、心の底から勝てないと思った作家。そんな人に認められた事実は嬉しいが、ただただ敗北感しか感じなかった。

 僕の作品をよく見てくれている感動、それ以上の嫉妬。僕には、反逆者の素質がないのかもしれない。その意欲を創作へと向けることが出来そうになかった。

 バンクシーという人間がどのような人間かはわかっていない。認められていなかった画家なのか、ただ社会に不満があった画家なのか。一人なのか複数人なのか。

 僕は、認められなかった社会に不満を持った複数人の集合体がバンクシーだと思っている。だから、そんな存在になりたかったのだ。

 三人で、世界を変えたかった。僕らの世界も、認められることが全てのこの世界も。


 僕らの諦めの悪い行動は、徐々に話題にすら登らなくなっていった。その代わりに見るのはバンクシーを褒め称える声だ。偽物が現れるほど、世間に認められているんだ。彼らは凄いんだ。そんな声ばかりだ。

 確かに彼らは凄い。僕らも憧れているのだから。だけど、僕らと彼らにどれだけの差があるのだろうか。僕らは、わからなかった。

 だから、この事件は僕らの人生を変えてしまうほど大きかった。それほどまでの出来事が起きたのだ。

 僕らの反逆が始まって一ヶ月と少しが経った夏の終わりに、僕らの知らないところで僕らを真似た事件が起きる。

 世間はまた僕らの新作だと思っているようだ。だけど、僕らは作品を知らない。まさか、僕らの模倣犯が現れたのかとその作品を見に行った。三人で批評してやる為に。

 だけど、その作品を見て僕らは言葉が出なかった。出るわけもない。嘲笑うことが出来るわけもない。そこにあった作品は。


 バンクシーのものだったからだ。


 僕らは、バンクシーの作品を誰よりも見た自信がある。真似る為に、この計画の為に誰よりもじっくりと彼らの作品を見たのだ。だから、わかってしまう。これが、彼らが僕らをモチーフにして描いたものだと。

 彼らの行動がどういう物なのか想像するしかない。僕らの行動に共感を持っただけなのか、それとも模倣する奴らを嘲笑する為に描いたものなのかそれはわからない。それでも、その作品は僕らの心を折るには最適だった。


 彼らはこの作品を自分のものだと公表しない。描いたとも言わない。何も言わないことが僕らへの当てつけのように思えた。

 僕らがこれをバンクシーのものだと言っても意味がないのだろう。狼少年に自らなりにいっているようなものだ。

 でも、僕らは事実を知っているからすぐにネットの反応がいいものに変わると思っていた。僕らの作品ということにしてもいい。これだけの名作が僕らの作品と思われるのなら、僕らの価値だって上がると思っていた。

 なのにネットに上がる声は、懲りずにまた新作を上げやがった。下手くそ共。バンクシーに謝れ。そんな言葉ばかりだった。

 これはバンクシーの作品だ。

 あれだけ世界が注目しているバンクシーの作品なんだ。それなのに何故、酷評される。僕らの作品と同等の価値しか見出されてないのか。僕らには、わからなかった。困惑した。世の中の声に、僕らのやってきたことに。間違っていたのだろうか。僕らは決定的に何かを見落としているのではないだろうか。

 僕の中でその答えは、すぐに出た。

 バンクシーの作品が日本で見つかったのだ。

 今回は、彼らが公表したものだ。

 僕らの話題で、すっかり注目の的になっていたバンクシーの作品なのだ、すぐにネットニュースはその話題で持ち切りになった。


『バンクシーは日本の模倣犯に怒りを覚え、本当の作品を提示した』


 そんなネットニュースを見かけた。

 この世界は、馬鹿ばかりだ。何がバンクシーが本当の作品を提示しただ。お前らが駄目だと言った最後の作品もバンクシーの作品だぞ。

 この世界に見る目のある人なんて、数人しかいないことがわかる。僕らの最後の作品となった彼らの描いた作品は、ネットで少数の評価を得ていた。これは、今までとは違う。そう言っている人もいたのだ。

 大多数は気づかない。

 名声だけで判断している。

 作品なんて見ちゃいないんだ。

 僕らが絶望するには、十分だった。

 優成は、「僕は真面目に就職しますよ。」と美大受験を諦めた。雅也は、「俺が本当の芸術を示してやる。負けられるか。」と今まで以上に絵を描くことを執着し、画塾も変えた。

 三人とも別々の道を目指し始めた。この事件をきっかけに僕らがまた集まることはなくなった。

 そんな中、僕は……


 外から聴こえる若さ溢れる喧騒に、僕は身を任せていた。元気に、サッカーボールを追いかけている。その様子を眺めていると、声をかけられる。

「先生、よかったら見てくれませんか?」

「いいですよ。」

 彼が提示してきたのは、授業で課題として出した、世界というタイトルの絵だ。これを描けという答えのない作品。どんな作品を描いてもいいと伝えていた。

 そんな彼が見せてきたのは、泥にまみれる少年たちの絵だった。僕はその絵を見て素直に、好きだなと思った。

「うん、僕は好きな作品ですね。いいんじゃないですか?」

「そう思いますか?」

 彼は少しだけ不満そうだ。

「何か不満なんですか?」

「授業を受けていて僕より、上手い絵の人はたくさんいるなって感じました。それでも、僕は僕なりに好きに絵を描いていたけど、これでいいのかわからなくて。お世辞で言われてるのかなって。」

 お世辞か。美術の先生という職種を選んでから、お世辞として絵を褒めることは確かにあった。やる気を出させる為、いい作品を生み出してもらう為に褒めることもある。

 それでも、僕は今回心の底から好きだなと思ってそう答えていた。

 彼の気持ちはわかる。僕は、その感覚を持っていたから美術の先生という道を選んだのだ。

「君の考えはよく分かります。よし、みんなにも聞かせたい話なので注目して下さい。」

 少しだけ大きい声を出したので、生徒の大半がこっちを見てくれている。

「今みんな、好き勝手にこの世界についての絵を描いていると思います。僕はこのお題を出す時、君たちに見本として僕の絵を見せましたね。きっと皆それぞれに感想を持ったはずです。良い絵だと思った人もいれば、俺にだってこれくらい描けそうだって思った人もいるんじゃないですか?」

 僕が描いたのは抽象画だ。素晴らしく上手い模写とは違い、上手さがわかりにくい。

「だけど、その感覚は間違ってないんです。今、僕は彼の作品を好きだと言いました。正直に言えばただ、絵が上手いだけなら、負けてない人も居るでしょう。それは事実です。」

 そう、絵は上手いだけじゃない。上手いだけで生きていける人だっている。だけど、それだけじゃないのだ。

「だけど、僕は彼の作品をいいと思った。それが全てなんです。君達もピカソという名前を聞いたことはあると思います。彼の絵を見た人で上手いなって思った人は何人居ますか?俺でもこの絵描けるって思った人の方が多いのではないですか?」

 ピカソは例にしやすいだろう。誰もが知っている名前だ。だけど、誰もが彼の絵を見て上手いと賞賛はしないだろう。

「なのに、ピカソの絵だからと凄いんだって思ったこともあるのではないですか?僕は理解できなくても、彼は有名だからって。」

 名声とは、あるだけで凄いのだ。僕らの絵が認められず、僕らを模倣して描いたバンクシーが認められず、バンクシーだと表明した作品が認められる。それが、全てなのだ。

 人は作品を見ていない。いや、見ていない人が多いのだ。この作品はいいと言われているから、この作家はいいと言われているから、そんな理由でいい作品だと決めつける。

 簡単に言うと、有名だと言われている店が美味いのだと思うのと似ているだろう。ラーメンの味なんてそんなに大差がある訳でもない。だけど、ミシュランの店と言われただけで劇的に美味く感じてしまうのだ。

 でも、それは間違っている。

「だけど、僕は皆さんにはそんな風になってほしくない。人の意見で良いとか悪いとか決めるのではなく、自分がいいと思った作品がいい作品なのです。例えそれが世間から否定されていようとも。」

 そうあってほしい。僕は、それを伝えていく為に教師という道を選んだのだ。

 教師の言葉を、生涯大事に生きていく人間は少ないだろう。少し、心に残ったものを覚えているだけのものだ。それでも、美術館に行った時、あの時の先生こんなこと言ってた気がするなと思ってもらいたかった。数人の心にそれが刻まれれば、それでよかった。そうやって、作品の本心を見てくれる人がいるのなら、僕らの行動だって報われるのではないだろうか。

 忘れられた、僕らの反逆が。

「なら、僕は彼の作品が好きです。誠実にこの世界を模写していて。」

 僕に話しかけた生徒は、この教室を描いていた。正確に綺麗にこの教室を。こんなのでいいのかよって言う人もいるかもしれない。だけど、それでいいのだ。自分がいいと思ったものをいいと言う。それが、大切なのだ。

「そうです。名声じゃなく他人の意見じゃなく、作品を自分なりに見てください。」

 僕は、三人で描いたあの作品達を今では誇っている。バンクシーの描いた僕らの作品より、ずっといいものだと。

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叛逆 髙木 春楡 @Tharunire

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