第21話

「光奈。ちょっとここで待ってて」

 お姉ちゃんはそう言うと女子トイレのほうに向かっていった。

 いまわたしたちは駅のホームで新幹線を待っている。大きな物はすでに新しい新居に送ってあるから、荷物は小さめのリュックサックだけだった。

 プラスチックの椅子に腰かけて足を揺らす。

 夏のじめじめとした風が通り抜けて髪を揺らした。

「いい天気だ」

 わたしは空を見上げた。

 澄み渡る青空を泳ぐようにいくつもの雲が流れている。絶好の出発日よりだ。

 この町での生活も終わる。

 田舎と呼ぶには人が多くて、都会と呼ぶには物が少なすぎる。

 そんな中途半端な場所だけど、嫌いではなかった。

 ESP部で過ごした最後の数か月間も楽しかった。色々な人と出会えたし、色々な感情を体験できた。

 昔もらったあの感情のことは結局わからずじまいだったけど、それはもういいんだ。

 新しく変換された感情はもう体験する気にはなれなかった。

 自分でも言葉で説明できないけど、なにかが足りない気がするのだ。

 ふと、ESP部のみんながくれた感情のことを思い出した。

 たった数か月しかいなかったのにみんな優しいな。

 スマートフォンでファイルを開く。そこに尾道陽介の名前を発見する。

 いい人だった。色々手伝ってくれたし、一緒にいて楽しかった。

 ESP部の部長なのに、直結するのは嫌だって言ってたのが不思議だった。

 最後に嫌がってたのに無理やり直結しようとしたことを後悔する。

 もしかしてと思ったのだ。それは突拍子もない推測だったかもしれないが、尾道くんがもしかしてあの時にこども科学ESS博物館にいた少年じゃないかと思えたんだ。

 そんなことあるわけないのに。

 今になって思えばただの幻想でしかなかった。

 あんなに嫌がってたんだから素直にやめるべきだった。

 もう尾道くんの感情を体験することはできない。

 とその時に思い至る。別れの時に部員全員から感情ファイルをもらったことを。

 スマートフォンを操作する。

 動悸が激しくなる。

 わたしは感情ファイルを開いた。

 尾道くんの気持ちが流れてくる。

 わたしはヘッドエモーションから溢れてくる感情に浸る。

 と、そこでどうにも言えない感情が噴き出してくるのを感じた。

 これは尾道くんの感情じゃない。自分の感情だ。

 ああ。そんな。こんなことがあるの。

 尾道くんの感情は、わたしが大切にしていた感情の持ち主と同じだった。

 何度も何度も体験していたわたしだからわかる。

 そうか。そうか。尾道くんだったんだ。尾道くんがあの感情をくれたんだ。

 わたしは勢いよく立ち上がった。

 そして改札に向かって走り出す。途中お手洗いから戻ってきた姉とすれ違う。

「ちょっとどこ行くの? 新幹線もう来るよ?」

「お姉ちゃん! 会わなきゃ行けない人がいるの!」

 姉は驚いた顔になった。

「ごめん! すぐ戻るから!」

 わたしは全速力で駆ける。

 そうだ。尾道くんなんだ。

 『こども科学ESS博物館』でわたしに感情ファイルをくれたのは。

 お父さんとお母さんが死んじゃって悲しかった。辛かった。

 なにもする元気がなかった。なにもできなかった。

 ただ、毎日下を向いて俯いていた。

 その時に出会ったんだ、尾道くんに。

 彼は笑ってわたしに感情をくれた。

 それは、明るくて弾んでいて、それでいて優しかった。

 けれどそれ以上に嬉しかったことがあった。感情の奥底にわたしに笑顔になって欲しいという願いが感じられた。それが何よりも心に染み入っていたのだ。

 自分でもよくわからないけど涙が出た。

 あの子に、同い年だった尾道くんに元気をもらえたんだ。

 それから大変だったときや辛いときは尾道くんの感情を体験した。

 授業参観に親が来れない時も、お姉ちゃんが風邪を引いて心細かった時も、尾道くんの明るい感情を体験していたら元気になれた。

 階段を一段飛ばしで駆け降りる。

 わたしは駅員に説明して改札を出た。

 どこに行けばいいんだ。

 尾道くんに会いたい。

 会えたらずっと言いたかったことがあるんだ。

 ずっとずっと言えなかった言葉があるんだ。

 伝えたい気持ちがあるんだ。

 地面を蹴る力を強める。

 わたしはスマートフォンで尾道くんに電話をかける。呼び出し音はならず、通話中を知らせる無機質な音が耳に届いた。

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