カウント

カフェインの精霊

カウント

 俺のカウントはあと1だ。

 今日この日、世界中に誰一人としてカウントが1より多い人間はいない。

 

 人間には寿命がある。正しくいえば、天命の方が適しているだろうか。

 頭の上にある、この青白く光っている『1』の文字が見えるだろう。これは、『カウンター』だ。

 人は誰でも、生まれた時から頭の上にカウンターを持っている。これは、自分が死んでしまうまで後何日残っているかを教えてくれる。


 どうやら、俺が生まれた辺りの世代で人類は気がついたらしい。『あれ? 生まれてくる子供のカウンターの数字、みんなほぼ同じ?』と。その後生まれてくる子供も長くて明日までのカウントしか残されていなかった。こうして人間は絶滅の日を悟ったようだ。

 よく予想されるような、終末前の大量自殺とかそういうのは無かった。そりゃどうせ明日一日で死ぬんだから、意味ないに決まってる。むしろ人々はいつも通りの生活を望んだ。だから俺はこうしていつも通り七時半の電車でスシ詰めになり、会社へと出る。

 隣の少年がしきりに単語帳を読んでいた。さしずめ受験生というところだろう。確かにそろそろ受験シーズンだ。

 吊られている広告の紙は、6日後に開催される野球の試合を知らせていた。頭上に見える、人々の1の文字。


 代々木駅に電車が止まる。ダイヤの乱れなどは今日も今日とて微塵もない。

 鉄箱から解放された人々は改札を抜けて、散り散りになっていく。こんなに多くの人が目的を持って歩いているなんてのは本当に考えにくいことだ。

 俺はそこそこの出版社に勤めている。高給取りという訳でもないが、妻と暮らすには十分すぎる程度には稼げていた。そうそう、だいぶ前の話だが、金に余裕ができたから家族を作ろうという話になったのだ。そして明日がその出産予定日。もう待ちきれない。


「おはようございます」


 誰に言うでもなく俺は挨拶をして席に着く。明後日が締め切りの仕事があるのだ。明日は有給を取ってあるので、今日中に終わらせておきたい。

 数十分しても隣の席の同僚が来なかった。


「おい、蒲田は?」


「ああ、蒲田さんなら有給を取ってキャンプに行かれましたよ。最後の日くらい一人静かに居たいって言ってました」


 俺は、ふーんとしか思わなかった。

 最後の日か。そこまで意識することはなかった。終わりなんていつ訪れるか、普通はそんな事は知らないものだろう。いつも通り生きていつも通りの人間の死に方をすればいいんじゃないだろうか。哲学的な事はよく分からないが。


 今日は妻のいる病院に泊まる予定でいたので、仕事が終わった後の『忘世会』とやらには行かない。忘年会とうまくかけたつもりだろうが、そこまで語呂は良くない。


「お疲れ様です」


 俺は少し駆け足で会社を出た。仕事も終わらせたし、後は子供の顔が見たいだけ。

 丁度、電車で病院へ向かう途中に破水の知らせを受けた。上手くいけば、人の絶滅までに我が子の顔を拝めるかもしれない。


 俺は病院まで走った。この程度の距離で、タクシーを捕まえるのもなんだかまどろっこしかった。

 途中にある居酒屋では中年のオヤジが息子と酒を飲んでいたりしたし、パーティーを開いている大きな家もあった。


「はい……そうです、後藤です、317号室の」


 俺はナースステーションで、妻がもう分娩室に入った事を聞いて驚き焦った。手を素早く、しかし念入りに洗って俺は妻のいる分娩室に入った。


「輝矢さん……」


 ナースに俺がきた事を伝えられた妻が、俺に呼びかける。


「ごめんな、遅れてきて」


「ううん、そこにいてね」


 妻は何度もうんうんと唸ったり、落ち着いたりするので、俺はとても怖かった。近づこうとしたが、イライラで豹変した妻に叩かれた。こういう時男はやっぱり無力なのだろうか。


 時計の針が12時を回った。

 俺のカウントはあと0だ。

 病人も医者もナースも妻も俺も、世界中の人々のカウントが、今0に変わった。

 妻の手を必死に握り、俺は祈っていた。生まれてくる子供が幸せでありますように、丈夫でありますように、この世で最も大切なこの人に似ていますように。

 妻が、助産師に呼吸を手伝ってもらいながら力む。子供の頭はもう出ていて、微かに泣き声が漏れ始めていた。

 そして遂に子供は生まれた。

 世界最後の日に生まれた子。

 俺の子供。あの人の子供。

 世界で最も純粋な天使が、泣く。

 喜びとも悲しみとも分からぬその泣き声は、俺の知る限り一番美しい歌だった。

 最早、その赤子の額にカウンターなどはない。


 俺はその子に笑いかけた。笑い方を教えてやりたかった。

 そうだ、今日が世界の終わりの日だとしても、俺はこの子に名前をつける事を決めていた。妻が、子供を壊してしまわぬようにそっと抱き上げる。俺は顔を覗き込んで言う。


「はじめまして——

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