第3話 法外な絵 上
「あかねちゃん、きみと同じように動いたりしゃべったりする人形は、いるの? いや、人形にかぎらなくてもいいんだけどさ」
あかね骨董店に並べる品物の買い付けのため、郊外の旧家を訪れた帰り道、軽トラックのハンドルをにぎりながら、雅季は助手席のあかねにたずねた。
「見たことがありませんね。でも、小田是庵の作った人形はたいてい動き、しゃべれるようになるといううわさは聞いたことがあります。絆を結んだ人間にずっとつくすために……」
雅季は息をのんでふるえた。
「あかねちゃん、きみはいったいぼくになにを望んでいるんだ?」
あかねは、ほほえんだ。
「わたしは、ただ、魂を持ったものたちが、行くべきところに行くために、雅季さんと博さんに手伝ってもらいたいだけです。この世界には、魂を持ったまま苦しんでいるものたちが、とても多い」
そして、口元をひきしめる。
「それ以外には、なにも望んでいませんよ」
***
「ありがとう、きっと孫が喜ぶわ」
ぽっちゃりした顔をにっこりさせて、七十歳ぐらいの女性がおじぎする。
「いえいえ、どういたしまして!」
博は立ちあがって、おじぎを返した。
今回売ったのは、ちょっと古いけれども、細かいところまでしっかり作られた日本製のミニカーたち。あかねがやや高めに設定した値段を値切らずに買ってくれて、しかもお礼まで言ってくれる。すばらしいお客さんを見送って、博は幸福感につつまれていた。
バロックやロマン派、時折ジャズやカントリーのレコードが流れるあかね骨董店は、開店から二週間ほどして、そこそこお客さんが訪れるようになっていた。といっても、まだ一日に十数組といったところではあるが。
「本当にしけた店だね、ここは」
ミニカーを買ったお客さんが階段を下っていってから、少し高い女性の声が、店の中に響き渡った。
またか、と博はうんざりして、机のならぶ向こうの壁につり下げられた、大きな人物画を見る。縦横が一メートル半強。紫を基調とした背景に、黄色いドレスに身を包んだ金髪の女性を描いた絵は、この店の雰囲気を完璧にぶちこわすほどかがやかしい金の額縁の中にあって、異彩を放っていた。
ただ、絵の右下にある「サヨ」と引っかいたように書かれたサインは、有名画家のものではない。
「もっとお客さんを呼ぶ努力をしなよ」
絵の中の女性が、口を動かす。
あかねに魅入られたことで、博も骨董品の声をいくらか聞くことができるようになったが、この絵は話すだけではなく、絵の中で好き勝手に動き回る。普通の人が見ると、そうは見えないようなのだが。
「うちの店は、これぐらいがちょうどいいんだよ」
あかねはむっとして絵をにらみつける。
「それよりなにさ、あなた。さっきの金額設定。一千万円だなんて。自分を高く買いかぶり過ぎじゃない?」
この、無名画家が描いた女性画は、あかねと雅季が郊外の家で買いつけたて、二日ほど前にやってきた。買い取り値は一万円だったという。一日かけてあかねと博とできれいに掃除して、お店にかけたところ、いきなりぺらぺらしゃべり始めた。
「なにこの店、暗いし、ろくな商品がないね。本当にものを売るつもりがあるの?」
というのが、絵の第一声だった。
「買いかぶりですって? わたしは、本来一流の画廊や、海外のオークションで売られるべきもの。一千万円でも安いと思ってよ。それで買わないのなら、あの客に見る目がないってこと」
絵は、えらそうに言い放った。
さっき、ミニカーを買った女性の前に来た男性が、この絵に目を奪われて、金額を聞いてきたのだった。何より大きくて目立つし、色があざやかでいきいきとした絵なのだ。
あかねがいくらで売られたいか問いかけると、絵は、
「一千万円」と即答した。
お客さんには絵の声は聞こえないので、あかねがその値を告げた。
「こんな、無名の画家の絵に、そんな値段があるか!」
自分でも手の届く範囲の値段だと思っていたらしいお客さんは、すぐに店を出ていってしまった。
「あかねちゃんが値段を決めればよかったのに」
博は、あかねの耳にそっとささやいた。
「商品が、自分の値段を法外に言うときは、なにか理由があるときなんだ。もう少し、様子を見ることにしよう」
あかねは、落ちついた様子だった。
「三億五千万円って言ってくれる?」
店に絵を出してから五日目のこと。骨董品のコレクターだというスーツ姿の白髪の男性の値段の問い合わせに対して、絵は、自分の値段をそこまで吹っかけた。
「ええ? そんな値段、言えるわけないよ」
絵のそばで、あかねはびっくりしたように目を見ひらく。
いつもは、ものが自分につけた値段をそのままお客さんに言うあかねだが、このときばかりは反論した。
「見て。あのお客さんの目。あなたにほれこんでいるの。買ってくれたら、きっとあなたを大事にしてくれるよ」
「三億五千万円っていったら三億五千万円!」
絵は聞く耳を持たなかった。
値段を伝えると、コレクターは、むっとした顔をした。
「それはつまり、売りたくないということですか?」
「も、申し訳ありません!」
博とあかねは、いっしょに頭を下げた。
「……売らない商品をならべるのはどうかと思います」
コレクターはため息をつき、絵を何回も見ながら、残念そうに帰っていった。
「この絵、倉庫にしまっておくのはどうだ?」
博は、怒った口調で言った。
「こんなことが続いたら、あかね骨董店の評判が落ちかねない」
「わたしを店頭から下げるだなんて、許しませんよ!」
絵はキイキイと声を上げた。
「もしそんなことしたら、二十四時間、のべつまくなしに、悲鳴を上げますからね!」
博はため息をついた。他の人には聞こえないといっても、すごく気分が悪そうだ。
捨ててしまおうか、とも思ったが、一度言葉をかわした絵を捨てるなんてことは、博にできそうもない。できたとしても、あかねが許さないだろう。
「なんで、いつもそんな法外な値段を言うのかな? みんなお客さんはあなたにほれてるんだから、買われていくのが幸せなのに」
あかねは腕を組み、絵にたずねた。
絵は、つんとして口をつぐんだ。
「この店が気に入ってるわけじゃないだろうし……そうか、あなた、買われたい人がいるんだね?」
あかねの言葉に、絵はそっぽを向く。きっと、それは「イエス」の印。
「もしそういう理由があるんなら、わたしたちにちゃんと言わないと。おたがいにとって困ることになるんだよ。さあ、話してくれる? だれに買われたいの?」
「……」
絵は答えない。といつめようとした博を、あかねは目で制した。自分から口をひらくのを待とうというのだ。
かけていたヴィヴァルディのレコードが終わって、店内はシンとした。商品でもある柱時計がチクタクと鳴らす秒針の音だけが、わずかに空気を揺らしている。
客はしばらくのあいだ来そうのない、おだやかな秋の昼下がりだった。
「あなたたちのような恵まれた人やモノにはわからないでしょうが……」
絵はかすかな声で、顔をふせて話し始めた。
「わたしは、先生の奥さまをモデルに描かれた、先生の数少ない作品の一つですわ。先生は無名とは言え、当時は十万円以上の価格で売れました」
絵の中で、女性は少しだけ胸をはった。
「わたしだけは、先生の奥さまがなくなったあとも、奥さまをしのぶよすがとして、ずっと手元に残されました。あんなことがなければ……」
「あんなこと?」
あかねが首をかしげる。
「先生の息子が借金の保証人になってしまい、その財産のすべてを失って、先生に頼ってきたのです。早くに教師の仕事をやめて絵の収入だけでくらしてきた先生には、たくわえがありませんでした。そのために十数年前、泣く泣くわたしを含むたくさんの絵を売ってお金を作ったのです」
「それがめぐりめぐって今は一万円か……あなたは、その先生に買いもどされたいんだね?」
「そうです……」
絵の女性がさめざめと涙を流すのを見て、博も心を打たれて泣きそうになった。もう両親の死から何ヶ月もたったとはいえ、まだまだ心は打たれ弱い。
「わかった。その画家さん、わたしたちが探すよ」
あかねの声に、絵の女性が顔を上げる。
「そんなこと、できるのですか?」
「あかね骨董店の高階あかねちゃんにおまかせあれ!」
あかねは小さな力こぶを作って、ぽんとたたいた。
(高階? いつからあかねは、うちの名字を名乗ることになったんだ?)
博はぼんやりと思った。
それから何人かの客が来て、今日もそこそこの売り上げがあった。
「博、六時過ぎたし、今日はもう店じまいしようか」
「ああ、了解」
博はレジのお金を計算してパソコンの帳簿に入力した。現金を金庫に入れて、看板を店の中へ。その間にあかねは念入りに掃除をして、商品の陳列を翌日に備えて調整する。
「じゃあみなさんお疲れ様でした! 明日もよろしく!」
二人がドアを閉める前にあかねが店内に呼びかけると、反響のように、いろいろな言葉が返ってくる。あかねや、法外な絵のようにはっきりした魂を持たなくても、魂をもつものたちはそれぞれに心があって、ごくかすかにではあるけれども、反応してくれるのだ。それが、あかねといっしょにいることで、よりくっきりと感じとることができる。ここに、それぞれの存在がある。心が安まる瞬間だ。
「博、わたしね、あの絵の話、うそだと思う」
店の入っているマンションを出ると、すぐにあかねが言った。
「ええ? うそ?」
完全に信じこんでいた博は、思わず声を上げた。
「ものがうそをつくことなんて、あるのか?」
「うん、あるよ、残念ながら」
あかねは、当然のようにうなずいた。
「魂っていうのは、うそはつくし怠けるし、自分のことしか考えないし……でもすごく暖かくて、かけがえがなくて、幸せな存在だ」
その言葉に、博は同意する。魂が失われるのは、あまりに悲しく、絶望的なことだ。ものの魂と対話するときほど、わくわくすることはない。
「でも、どこらへんがうそなんだ?」
「うん、それは持ち主を調べてみないとはっきりとはわからないけど……」
あかねは、駅前から住宅地に向かういつもの通勤路を、考えながらのぼっていく。体は小さく、目はくりっとして、肌はまっ白。手首やひじには、関節の筋。よくよく見れば人間離れして見える彼女だが、あたりが薄暗くなったせいか、他の人に変だと思われることはまったくなかった。
「あの絵を買った人はもう亡くなっていて、どこで買ったかはっきりわからなかったの。雅季さんに頼んだらもっと調べられるかもしれないけどね……」
雅季は今、北海道に取材旅行中だ。開拓時代に隠された黄金伝説をたどって山に入るとか、入らないとか。
「博、画家のサインを覚えている?」
聞かれて、博は思い出す。あんなにきれいな絵なのに、サインはわりと適当な感じだった。
「サヨさんだっけ?」
カタカナでそう書いてあった。
「あれ、はたしてサイン?」
ひっかき傷のように、絵の具がけずられていたのを思いだす。
「サインじゃなかったら……モデルの名前?」
「それともちがうと思う」
あかねは先に歩きながら博を振り返って見あげ、ふるふると首を振った。今まで言葉使いが対等だったからあまり意識しなかったけれども、まるで妹か娘のように、あかねはかわいい。
「サヨ……サヨ……サヨナラ、じゃないかな!」
あかねは自分の思いつきに手をたたいた。街路樹のならぶ歩道を、両手を広げてぱっと走っていく。
「おいおい」
博はそのあとをあわてて追った。
昼間に家に来るお手伝いの高木さんが作ってくれたビーフシチューをあたためて、博は夕食をとる。その間、あかねは店の商品の目録を持って父の書斎にこもっていた。
博は自分の分のコーヒーと、それからあかねのためにわかした白湯を持って、書斎に入った。
書斎の広い床には、相変わらず雅季が集めてきた多彩な骨董品がならべられている。品物の大半は店に移動したが、まだまだなくなることはない。
書斎机の前の重厚な椅子に、あかねはちょこんと座っている。
「おつかれさま……なんかわかった?」
あかねのために博がプリントアウトした目録が、机の上に載っている。そこから少し離して、二人分のカップをそっと置いた。
「ああ……ありがとう」
あかねは、うとうとしていたようだった。目をこすり、白湯のカップに顔を近づける。
「うん、目が覚めた」
あかねは、飲むことも食べることもしないが、白湯の湯気だけは、なぜか大好物なのだ。
「この絵」
あかねは、目録に載っている例の絵の写真を指さした。
「わかったよ」
「わかったって? どうやって」
「この部屋には、本という名の賢者たちがいるからね」
あかねは、書斎の本たちに向けて、大きく手を広げた。
「だれに絵のことを聞けばいいのか、そして、この絵を描いた人がだれなのか、それがわかった。博のお父さんに感謝だね」
「そうか……」
書斎の本は古い本が多かった。彼らはやはり魂を持っている。博がその声を聞き取ることはほとんどできなかったが、あかねには理解できるのだろう。
あかねは、机の上にぶあつい美術年鑑を広げた。およそ三十年ぐらい前のものだ。
「美術の本たちの意見だと、この絵を描いたのは、ここに載っている絵の人と同じだということだった。わたしも、そう思う」
小さく印刷された絵がならぶその一つに、あかね骨董店の女性の絵と見事に対をなすような、若々しい男性の絵があった。「自画像」とある。小さな印刷の絵だけれども、目録の絵と隣り合わせにしてならべると、まるでそれを待っていたかのように、二つの絵の空気がしっかりと結びつく。ジグソーパズルのピース同士がはまるように。
「うん、この絵を描いた人だ……きっと」
木桜大吉。その名前をネットでくわしく検索するために、博は自分の部屋に向かった。
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