第2話 開店

 骨董店に並べる品物を見つけるため、雅季といっしょに小さな古道具屋に入って、あかねは息を大きく吸った。胸がなつかしい空気でいっぱいになる。


「生きるってこういうことなのねえ」


 思わず声に出る。

「おい、あかねちゃん。魂を持つ品を仕入れるっていったって、どうしたらいいんだよ」


 雅季がささやきかけてくる。


「あれ? 聞こえない? わたしと絆を結んだ雅季さんなら、聞こえるはずだよ。ものたちの声が……」

「声が?」


 雅季は、耳をすませた。

 とたんに、ざわめきが聞こえてきた。

 高い声、低い声、愚痴や自慢話、笑い声、悲しむ声……。

 あかねが、すぐそこにある置き時計に話しかける。


「あなたはどこから来たの? どこに行きたい?」


 ***


 ギィ、と鳴るドアをあけて、博は薄暗いマンションの廊下を見つめた。まだ自分がここでこうしているのが信じられない。


「よっ、と……」


 つぶやきながら、うしろでせたけの一・五倍ほどもある平板を持ち上げたのは、肩で切りそろえた栗色の髪に、鳶色の瞳の少女。

 首に赤いスカーフを巻いて、白いシャツに紺のズボン、緑のエプロンは、博とおそろいだ。


「大丈夫か?」


 よろよろしているので、手を貸そうとすると、元人形の少女、あかねは首を振った。


「大丈夫。博はドアをおさえていて。自分の名前の店なんだから、一番最初は自分で看板を出すの」


 あかねは頼りない足取りで廊下に出ると、ドアの横に看板を立てかけた。

『あかね骨董店』

 味のある、というより、へたくそ、といったほうがいい大きな字で書かれた看板を、あかねは満足そうに見上げる。


「やっとはじまるね、わたしたちの店が」

「ああ……」


 うなずいたものの、まだ博は釈然としなかった。

 なぜ骨董店をしなければならないのか。


「この世の中に、わたしと同じように強い魂を持ち、持ち主を必要としているものたちがたくさんいるからです」


 あの日、あかねは博と雅季に言った。


「作られて魂を持ち、しかししまわれて眠りにつきそのまま捨てていかれるものが、本当に多いから。そうやってわたしは何度も別れを体験してきました」


 あかねは二人を見つめた。


「やりましょうね」


 その鳶色の瞳に見つめられると、二人ともいやとは言えないのだった。それが、あかねの持つ呪い。


「わかった」


 決意すると、雅季は早かった。

 最寄りにあるJRの椿駅からほど近いマンションの二階に商用として使っていい部屋を借りて、内装を整える。

 書斎にあった雅季の集めた骨董品……というよりガラクタを、そこに運びこむ。

 それだけでは足りないので、雅季とあかねは古道具屋や骨董市に行って商品を買い集める。

 それと並行してレジや電話、パソコンなど備品の準備をする。商品の陳列、チラシの印刷、ホームページの作成。

 古物商許可証をとり、近隣に挨拶をしてまわる。開くのは小さな店だったけれども、限りなくやることがあった。

 博は、結局高校を中退することにした。それを伝えると、雅季は肩を落とし、それから開き直ったように鼻を鳴らした。


「なるようになる、だよな……」




 あかねが骨董屋を作ろうと提案してから二ヶ月半、ついにあかね骨董店はオープンした。残念ながら、今日雅季は本業の取材があるとかで出かけてしまい、いないのだが。

 博は、満足そうに腰に手を当てているあかねを見やった。


(やるしかないか……)


 なにもやる気がなかった自分が、あかねに動かされるようにして、ここまでこぎつけたのだ。

 備品の買い物をしたり、組み立てをしたり、チラシを配ったり。

 あかねといっしょにほかの店を回って商品の陳列の参考にしたり、制服をそろえてみたり。

 一生懸命開店の準備をしているときは、両親の死のことを忘れることができた。


「写真撮るか」

「ひいっ」


 博がスマートフォンを向けると、あかねは顔を手で覆った。


「だめですよ、写真は。魂を吸い取られるから」

「へ?」


 そんなの迷信だろうと笑い飛ばそうとしたが、動いている生き人形だからこそ、そんなこともあるかと、思い直した。あかねは、しびれて体が動かなくなると言って、電気製品や電話にさわるのも嫌がるのだ。


「そうか……」


 残念そうな博の顔を見て、


「あ、でも、せっかくだから、一回ぐらいいいですよ」


 あかねは言い直した。


「ほんとに?」

「うん、いっしょにね」


 博がセルフタイマーをセットし、二人は入り口の前に立った。

 撮った画面を見ると、笑顔の博ときまじめな顔をしたあかねがならび、右には看板、左には店の中がうかがえるガラスのドアが映る。

 あかねの顔は少しだけピンぼけだったけれども、とても人形とはおもえないほど現実感があった。


(本当は、おじさんのこどもだったりして)


 けれども、人間があの箱に入れられて何時間も平気でいられるはずがない。あかねは、やはり人形なのだ。




 店にもどると、右手には茶色い、天井まで届くような大きな木の棚が奥まで続いていて、何段もある棚の上に、たくさんの商品が並んでいる。ぬいぐるみ、おもちゃに土産物の木彫り、プラモデルに食器、万華鏡にオルゴール。雑然と、ありとあらゆる小物がこちらを向いている。

 左手には、草色の布をかけた低い机の上に、大きめの商品が置かれている。地球儀、手回しのコーヒーミル、籐のカゴ、人形に兜飾り、レコードのジャケットに百科事典などなど。店の奥にレジ台があって、さらに奥に一段高い畳の作業スペースがあって、キッチンやユニットバスがその左。レジ台のすぐ横のドアの奥は、陳列しきれないものを置く物置になっている。

 ものたちをながめながら、耳をすませていると、ときおりささやきのような声が聞こえるときがある。

 あかねと絆が結ばれたことで、雅季と博に身についた能力。魂を持つものたちの声をききとれるようになったのだ。

 棚からただよう真新しいニスのにおいをかぎながら、博は高鳴る胸をおさえた。自分たちで店を作るなんてすごいことだけれども、ほんとうにうまくいくのだろうか。

 午前十時半に店に来て、十一時開店。夕方の七時に閉店して事務処理をしてから、七時半には店を出る。やや営業時間は短いが、「労働基準法は守る。だいたい二人ともまだこどもみたいなものだ」というのが、オーナーとなった雅季の意見だった。




 開店から二時間。ポンポンと商品にハタキをかけているあかねと、レジの向こうでパソコンをいじっている博は、顔を見合わせた。


「……お客さん、来ないね」


 商店街からは少し奥まっているし、この椿市はベッドタウンで、市の外から多くの人が訪れる繁華街や観光地というわけではない。予測はしていたものの、さびしい。


「やっぱり、店の外に出て、チラシ配りかな?」


 あかねはあごをつまんで頭をかたむける。


「でも、骨董店なんて、チラシ配ってもしょうがないだろ。セール品があるわけじゃないし」

「まあそれはそうだけど」


 むう、とあかねは唇をとがらせる。


「やっぱりストリートパフォーマーに頼んで駅前で宣伝したらよかったかな?」

「いくらかかると思うんだよ」


 二人で言い合っていると、入り口のドアをあけて、女性が顔をのぞかせた。


「……入っていいかな?」

「あ」

「い」


 二人は一瞬止まって、


「いらっしゃいませ!」


 同時に叫んだ。

 初のお客さん。人生初のいらっしゃいませは、半分ぐらい声が裏返っていた。

 グレーのスーツ姿の若い女性は、茶色いトートバッグを肩にかけ、棚にならんでいる小物を見始めた。ドキドキしながら二人は女性の横顔を注視する。

 視線が気になったのか、女性がこちらを向く。

 博は緊張して背筋をぴんとのばし、あかねはその博のかげに逃げこんだ。


「あのー、これ、全部値段ついてないの?」

「あ、はい」


 博は緊張のあまり真っ赤になる。


「ご、ごめんなさい、そういう方針で……! き、聞いてもらえればすぐに答えます」


 しどろもどろになりながら答える。


「ふーん」


 女性は、直方体の水晶にとじこめられた砂時計を手に取った。


「じゃ、これはいくら?」

「あっ、はい」


 博は砂時計を受け取って、背後の作業スペースに座ったあかねに渡した。

 あかねは砂時計を左手の上に乗せると、右手でそっとなでた。


「もしもし砂時計さん。あなたをあちらの方が買うなら、おいくら?」

「え? 道具に自分自身で値段つけさせるのかよ?」


 博は、思わず突っこんだ。


「しー。博は静かに聞いてて」


 客の女性は、不思議そうにながめている。


「うん、まあおれに目をつけるとは、なかなかいいやつだと思うぞ」


 そんな声が砂時計から聞こえてきて、博は目を丸くした。


「たぶん、昔おれと同じかたちの砂時計を持っていたんだろう。同じにおいがする」


 砂時計はかすかにきらめく。


「人形の姉さん、値段はうまいこと決めてくれ。おれが店で売られたときの定価は千五百円だったがな」

「わかりました」


 あかねはうなずくと、砂時計を博の手の上にもどして、言った。


「五百円になります」


 客の女性は、目をぱちぱちとさせた。あかねと砂時計のかわした会話は聞こえていなかったようだ。


「五百円。それでいいのかな? 骨董店っていうわりには安くない? 原価割れしてない?」

「あ、大丈夫です」


 実際の買い取り価格はいくらかは雅季に聞いていなかったが、値段設定は自分にまかせてほしいとあかねが強硬に主張したので、しばらくはそれに従ってやってみるつもりだった。


「じゃあ、これは買うね。それとは別に、買い取ってほしいものがあるんだけど」


 女性は、トートバッグの中から、十センチほどの長さの金色の鍵を取りだした。

 買い上げるだけではなくて、買い取りの依頼もするとは、はじめからなかなかレベルの高い客だ。

 博は女性から鍵を受け取って、まじまじと見つめてみた。金色だが、もちろんほんものの金ではなく、真ちゅう製だろう。


「ええと、これを売るんですか?」

「うん」


 女性はうなずいた。


「ちなみに、これってどこの鍵なんでしょうか?」

「それはわからない」


 あっさりと言われた。


「は?」

「わからないんだ。実家にあったんだけど、だれもどこの鍵か、だれの持っていた鍵かもわからないの」

「ええっと……」


 常識的に考えて、こんなものを買う骨董商はありえないだろう。歴史的な鍵や豪華に装飾された鍵ならともかく、これは昭和時代に作られたなんの変哲もない簡単な鍵だ。


「『一見ガラクタに見えるようなものでもお持ちください、きっと値段をつけます』って、チラシには書いてあったんだけどな」


 それを言われると、弱い。


「んー、あんた、いくらだ?」


 鍵に聞いてみるが、返事はない。


「そんな質問で、こたえられないでしょ」


 あかねにつっこまれ、博はあきらめて、鍵をあかねに渡した。

 あかねは鍵を作業スペースの畳の上にそっと置いて、声をかけた。


「もしもし鍵さん。あなたの声を聞かせてください」


 返事はなかった。


「寝ていますか? 疲れていますか? どうぞ声を聞かせてください」

「……あぁ?」


 かすかな声が聞こえてきた。

「あたしになにか用かい、じょうちゃん」


 聞こえてきた声はがらがらしてちょっと投げやりだった。


「あなたは、どこの鍵でしたか?」

「そうさね、古い古い家の裏口の鍵さ……今はもうない。そこの娘の親の親が住んでいた田舎の実家のね。もう家はない。あたしも必要ない。眠りにつかせてくれないかね」

「そうでしたか。あの、あなたをわたしたちが買い取るとしたら、いくらで買えばいいですか?」

「値段だなんて。あきれたことを。そんなのわかるもんかい」

「んー、その家には何人の人が住んでいましたか? だれが、あなたを使っていましたか?」

「父親と母親と、三人のこども。早くになくなっちまったけど、おばあさんもいたな。あたしを使っていたのは、その人たちだけだ」

「わかりました」


 あかねはにっこり笑って、鍵を博の手にもどした。


「四百円で買い取りますが、いかがなさいますか?」


 博ばかりか、女性も驚いて身じろぎした。


「四百円?」


 何に使えるかもわからないただの鍵、せいぜい十円くらいだろうと、博は自分で見積もっていたのだ。


「はい、四百円です。ただし、この鍵で開けられる箱の中身の権利もいっしょに買い取らせていただきますが」

「えっ」


 女性は、一瞬固まった。数十秒の間逡巡して、女性は博の手から鍵を取った。


「わかった。今回は、これを売るのはやめておく」


 そして、五百円玉を出す。

 博はレジを操作すると、あかねが丁寧に紙に包んだ砂時計とレシートを手渡した。


「毎度、ありがとうございました。またのおこしをお待ちしております」


 お礼の言葉は、上ずらずにちゃんと言えた。


「毎度っていっても、一回目だけどね」


 女性はふっと笑って、軽く手を振って店を出ていった。




 チン、とレジのドロワーをしめて、大きく博はため息をついた。なんとか、一番はじめの客を無事にさばくことができた。一時間も二時間も過ぎたような気がしたが、たった十分間のことだった。


「それにしても、あかねちゃん」

「うん」

「あの鍵って家の鍵だろ? しかももう存在しない。なのになんであんなうそ言ったのさ」

「うそではないよ」


 あかねはつんと鼻を上げた。


「あの鍵は、あの人の家庭にとって大事な思い出の箱の鍵だから。あの人がそれを知るときが来るかわからないし、それにふさわしい人があの鍵を手にするときがくるかどうかも疑わしい。それでも、あの鍵はお金にできないくらいの価値を持っているの」

「は? じゃあ、逆になんで四百円?」

「それはまあ」


 あかねは、人形にしては器用に片目をつぶった。


「もしあの人が鍵を売ったとしても、最初のお客さんなんだから、百円ぐらいのもうけはほしいじゃない?」

「あ……」


 あかねの考えに、博は苦笑した。たしかに、最初くらいは幸先よく、収支をプラスにしたいところだ。




 昼食にと、博が自分で作った不格好なおにぎりを食べていると、電話がきた。


「博、出て、出てー」


 あかねは電話に出たがらないので、しかたなく受話器を取った。


「はい、こちらはあかね骨董店でございます」


 少しおにぎりが口の中に残っていて、もごもごしてしまう。

 笑い声が、受話器の中からした。


「おっ博くん、なかなかさまになってるね」


 雅季だった。


「どう? お客さん、来た?」

「うん、来た。……一人だけど」

「まあ、そうだよな。そしてその一人は、実はおれの友だちだったりするんだ」

「うえ?」


 米粒を鼻から吹き出しそうになり、博はあわてて飲みこんだ。


「開店日に一人も客が来なかったらさびしいから、何人か友だちに来てくれるようにお願いしたんだ。そのうちの一人ってわけ。変わった店だったけど、それなりに楽しめたって言ってたよ」

「それはそれは……」


 としか、言葉を返せない。

「あ、そうだ、音楽を流さないのか、と言っていた。陳列がシックだから、黙って見ていると、静かすぎて非常に気詰まりなんだって」


 その雰囲気は、たしかにさっき、感じた。


「古いレコードプレーヤーとスピーカーがあったろ。それをつなげて、適当なレコードをかけたらどうかな。それじゃあがんばって。健闘を祈る」


 気楽に言って、雅季は電話を切った。

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