日々(二)
淡いたまご色の小箱をあけると、やさしい彩りの小さなお干菓子がひそひそと入っている。雪の結晶と梅の花をかたどった落雁だ。明良は目を輝かせて私としらしらを見た。
「なんてかわいい」
「でしょ。私としらしらから、金粉茶のお礼です」
「わーいありがとう」
「お茶の時間にぜひ」
「いま食べたくなっちゃうな〜しかしもったいないので家でゆっくり食べます」
よろこんでもらえてよかった。とってもにこにこしてくれるから、私もにこにこしちゃう。
「落雁なんてめったに食べない、すてき」
「ゆのが思いついた」
「お店はしらしらが候補を出してくれたよ」
「仲良しだね」
明良の目が日向の猫みたいに細くなる。うれしくてしらしらのほうをちらと見たら、目が合ったような気がした。
午前中の二限目は、三人とも同じ講義を受けている。終わったら一緒にお昼ごはんを食べるのが楽しみな金曜日だ。
「今日はまだまだ終わらないけど、もうひとふんばり。や、ふたふんばりくらいかな」
「私もふたふんばり」とうなずく。明良と私は講義とアルバイトがあるので、今日はまだまだ長いのだ。
「わたしはひとふんばり」
「しろひらも六限まであるから、帰りがだいぶ寒くなっちゃうね」
「でも日はのびてきたよ。明良たちほど遅くならないし……マフラーもあるから平気」
今日も持ってきてくれてる、私があげたマフラー。風が冷たくなったばかりの頃、マフラーまいて手袋して帽子までかぶりはじめた私に対して、しらしらはコートを羽織っているだけだった。寒くないならいいのだけど、鼻先を赤くしてポッケに手をしまい、じっと黙って歩いていたから、余計なお世話かもしれないと思いながらもプレゼントした。それからは歩きながらもおしゃべりするようになった。
「じゃあ、そろそろ行きますかね」と明良に言われて、もそもそと荷物をまとめる。大学一年生も終わりが近く、離れた教室への移動時間はなんとなくわかるようになった。まだのんびり座っている人が多いラウンジをあとにする。
「明良は講義入ってないんじゃなかった?」
「うん、空きコマだよ。図書館に潜りに行く」
地下にあるわけではないけど、図書館にこもるときの私たちはなぜか潜ると言う。大きな静けさに包まれるような、音がぜんぶ吸いとられてしまうような心地がするからだろうか。じっと勉強したり作業したりするのに最適な場所と思う。
外に出たら、冷たくないけど寒い。なるべく明るいところを歩いていけば、お昼のおひさまが温めてくれる。
明良が図書館とは異なる方向へ足を踏み出したので引き留めた。えへ、とはにかんで私たちと同じ方角へ向き直る。肩上の髪が照れを隠すみたいにさらりと揺れた。明良が言うには、生まれ持った方位磁石がこわれているらしい。
分かれ道で「テストファイト」と明良に言われて、しらしらと私、しっかりうなずき手を振って見送る。図書館はもう見えるので大丈夫だろう。三限も同じ講義の私たちは、もう少し一緒。
一月半ば頃からの講義は残すところほぼテストとレポートで、好きな講義はもう終わってしまうし、新しい話を聞くことができないのがちょっとつまらない。それに、今日はテストなので席が決まっている。しらしらと私は学科が違うので離れた席に座った。前のほう、しらしらの姿が見える。遠いな。
教授の説明があって、試験に入った。講義で使った資料を参考にしながら文章を記述する形式は、高校のテストより重いけどきらいじゃない。終わったら見直しをして、それでも時間が余って、自分の文字を見ながらこのあとのことを考える。アルバイトに行って、おうちに帰るのは十時近くなるかな。明日はなにもない土曜日だから、多少気は楽だ。
時間が来て、提出したらおしまい。向こうの提出の列にしらしらを見つけたけど、気がつかないみたい。だれかに話しかけられているしらしらを見ると、高校生の頃を思い出す。振りかけた手をおろして、流れのままに教室を出た。
さむさむの風の中、バイト先の喫茶店に向かいながらこの前の休日のことを考えた。しらしらが挙げてくれたお店をまわって、かわいいお菓子をたくさん見た。和菓子はふくふくしていて、色も形もやさしい。まるくてころころしたあられせんべいやボーロも、小粒でカラフルな金平糖も、ぜんぶおうちにあったら毎日うれしいだろうな。でもその日は落雁がお目当てだったから、次の楽しみに取っておいた。
電車に乗って大きな駅で乗り換えるとき、人の波に流されかけた。休日はもっと大きな波になる。
しらしらは人混みが苦手だ。人が多いところを歩くときは、私のリュックの紐や鞄の肩掛けベルトをつかんでいることがある。重みを感じるけど、しらしらがいるとわかる重みだから、消えないか不安で意識してしまう。
今は一人だから、人波の間を縫うように前へ前へと抜けて行く。何も置いていく心配はない。人が多い夜に帰ってくるしらしらへの心配はあるけど。
好きな喫茶店で働いているから、忙しい日も乗り越えられる。作りすぎちゃったからとてんちょがくださったきんぴらごぼうと一緒に、にぎやかな夜の帰路をすいすい歩く。
最寄り駅に降り立つと、前のめりになっていた心持ちがゆるやかになる。明るい大通りからはずれて、等間隔の光だまりを渡り歩く。エントランスの灯りを抜けたら上へ、私の灯りへ。
「ただいま」とつぶやく。リビングの電気が点いているから、しらしらがいるかもしれない。手を洗ってうがいして、おうちモードに切り替える。
ドアをあけたら、こたつに頭を乗せてすやすやしているしらしらがいた。机の上のぬいぐるみタオルも、ポットに寄りかかってまるで眠っているみたい。お耳のようなものが二つあって、メンダコのようなかたちをしている。
「しらしら、おふとんで寝よう」と起こしたら、うっすら目をあけて、一瞬、焦ったような顔をしてすばやく身体を起こしたけど、「しらしら」と私が呼びかけたら「ああ、ゆの、おかえり」と表情がやわらいだ。ただいま、と答える。起こさないほうがよかったのかもしれない、でもこたつで眠ると変に汗をかくし、座ったままだと身体を痛めてしまうし、と頭の中でぐるぐるまわる。
「落雁、食べようよ」と眠そうな声でしらしらが言った。ぐるぐるはすとんと落ち着いた。もしかして待っていてくれたのかな、とかんちがいしそうになる。
「じゃあ、お茶を淹れるね。しらしらは座ってていいからね」
「ありがとう」
普段使いのお茶っ葉も買ったけど、今日は一週間お疲れさまのお茶会ということで金粉茶にした。あったかいお茶を用意してこたつに収まったら、たまご色の小箱をあける。この前ふたつ食べたから、残り四つ。
「わたし雪にする」としらしら。じゃあ私も、と雪の落雁を取って、かじる。すっとやさしい甘みが溶け出して、口の中にしんみり残る。
明良も食べているだろうか。よろこんでくれた明良の笑顔を思い出す。それから、しらしらが一緒にお出かけしてくれたときの小さな重みも。お茶の中の金色みたいに、身体の中で小さく光っている記憶たち。
今日あったことを聞いてもらった。きんぴらごぼうをいただいた話から始まり、金曜日でお客さまが多かったから忙しかったこと、てんちょたちが作るシンプルでうつくしいケーキがショーケースからたくさん出ていったこと、みかんのショートケーキが完売だったこととか、いろいろ。聞いてくれる人がいると、うれしくて止まらなくなってしまう。しらしらが甘い雪をかじるのを見て、はっとして、私も落雁をかじったりお茶を飲んだりするときにようやく黙ることができる。
「みかんのショートケーキ、たべてみたいな」
「ぜひ食べてほしいおいしさだよ。冬限定だし人気だから、行くならおやつ前には行ったほうがいいかも」と言ったけど、しらしらが来る様子は想像できなかった。外で何か食べるときはいつも、しらしらの代わりに私か明良が注文している。一緒に行こうって言ったら、行かなきゃいけないと気負ってしまいそうだから言えない。
ふあとあくびが出た。まだ起きているつもりなので、目を覚ますためにシャワーしてきちゃおうか。しらしらは長い髪をタオルにつつんでいるので、もう浴びたらしい。
「ちゃんと乾かした?」
「ううむ」
めんどうならやってあげるのに、と言えば、「うーん、自分でやる」とやんわり断られる。髪は触られたくない人もいるし、気持ちはわかる。でも長いと重たいし、冬は身体を冷やしてしまうから乾かしてほしい。
しらしらが立ち上がるなら、とこたつから抜け出し、ぱぱっとシャワーしに行った。熱いお湯をかぶれば、疲れた心身もほかほかと回復する心地だ。シャワーを止めると、かすかにしらしらのドライヤーの音がする。身体をのんびり洗って、静かになってからお風呂場を出た。
髪を乾かしてから眼鏡をかけると、ぼやぼやだった私がくっきりする。明るい茶色に染めてふんわりくるくるさせた髪。短髪だった高校生のときと違ってちゃんと乾かすようになったし、それなりに好き。でも黒髪眼鏡に見慣れていたせいか、眼鏡をかけるといつもなじまない気がする。
廊下に出ると、リビングはまだ明かりが点いている。入ったら、こたつで本を読んでいるしらしらがいた。部屋を見渡して、悩む。リビングだし私のおうちだから遠慮することはない。それでも、どれくらいしらしらに近づいていいのかわからなくて、心はそばにいたくても、足はその場を去ろうとする。おやすみと言いかけたら、「お茶、淹れたよ」と声がした。
自室からいそいそと読みかけの本を持ってきて、こたつにもぐり込む。お茶も飲んで、ぜんぶあったかい。寒いときの温かさ、大好きだな。
二人おなじ机で過ごす夜の底なら、静かでも長くてもいいかもしれない、と思いながら、ふあ、とまたあくびが出てしまった。
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