ひかりものたちの呼吸

日々(一)

 大通りを抜けて静かに光る家並みを通り過ぎ、気分で神社の中、公園の中を歩く。木々の影は細く複雑だけど、梢はふっくらしていた。そのうちマンションが見えて来て、着く頃にはだいぶ身体が温まっている。エレベーターで三階まで。

 三〇一号室、私のおうち。冷えた玄関で「ただいま」とつぶやいてみるけど、物音はない。自分の部屋に荷物を置いて、身体も気持ちも軽くなる。四限の講義がお休みになったおかげで、明るいおうちに帰ってくることができた。午後三時過ぎ、おやつでも食べようかな。

 しっかりおうちの格好になってリビングへのドアをあけた。穏やかな光が満ちている。窓のそばにできたひだまりの中では、やわらかな茶色の毛布にくるまったしらしらが眠っていた。私もお昼寝したいという気持ちがふわっと浮かび上がり、お気に入りの毛布を部屋から持ってくる。

 まるめられたタオルが、しらしらの顔のそばで一緒に寝ているみたいに寄り添っている。とじられた瞼はなんだか腫れているけど、また泣いていたのかな。

 タオルたちは、部分的に髪ゴムで留められたところが頭や耳みたいな形になっていて、動物のぬいぐるみのような姿をしている。しらしらはぬいぐるみを持たない代わりに、大小さまざまなタオルや毛布を持っていた。それらを好きな形にして、こんなふうにそばに置いていることがある。

 肌触りのよいこげ茶色の毛布をかぶって、しらしらの背中側のひだまりに寝転ぶ。

 うしろにいるしらしらの姿を確認したくなって、寝返りをうった。ちゃんといる。また、背を向ける。一年くらい前、高校生のときは遠くのキラキラだったしらしらが、すぐ近くにいる。ときどき大学まで一緒に行くし、おうちで向き合って食事をするし、一日の最後におやすみと別れたり、朝いちばんにおはようと出会ったりする。

 しらしらが来るまで、大学から帰ったらなにをして過ごしていたのだろう。おやつを食べたり本を読んだり、それなりに楽しく暮らしていたと思うけど、ちゃんと思い出せない。

 おひさまのもとの眠気は軽やかでやさしい。近くに人がいるので、さみしさも静かにうとうとしている。刻まれた時間は混ざり合い、やわらかに引き延ばされて、光の中に溶けていく。


 ふと目が覚めたら、とっぷり夜。毛布をかぶったままのそのそ動いて、こたつをつける。やっと毛布から抜け出して立ち上がり、カーテンを閉めて、台所の灯りを点けた。おなかが鳴っている。

 朝に炊いたごはんがある。お味噌汁を飲みたいので、昨日サンドイッチに使った残りのキャベツを入れてささっと作る。あと、昨日作った肉じゃが。

 そろそろ、とリビングの灯りを点けたら、まるいもふもふがゆっくり目覚める。

「ごはんだよ。たべる?」

「たべる」

 こたつに入って、ぼさぼさのしらしらと一緒に食事する。静かなときが多いかもしれない。おいしい、とやわらかい表情のしらしらを見てほっとした。

 ごはんがすんだらお風呂に入ったり、お皿を洗ったり、寝る支度をしたり。しらしらの髪のほうが長いので、お風呂はだいたい私があとだ。それぞれ譲ったり譲られたりしながら早々に自室に帰ることもあるけど、今日はリビングに再集合した。

「お茶淹れるけど、ゆのも飲む?」

「お願いします」

 冬休み明け、「お年賀~」と明良あきらからお茶っぱをいただいたおかげで、ずっと眠っていた急須が久しぶりに活躍している。「お正月におばあちゃんちで飲んだのだけど、おいしかったしなんだか嬉しかったので、おすそわけ」とくれたのは金粉入りのお茶っ葉。

 置かれたマグカップに明るい緑色が注がれた。「ありがとう」と受け取ったカップの中、金色の粉がキラキラと浮いている。つい、きれいだなとながめてしまう。しらしらを見ると、同じようにながめていた。

「急須があってよかったね」

 うなずきながら、懐かしさとさみしさを思い出す。

 この急須は、大好きな先生が使っていた赤茶色の急須と似ている。なるべく同じものが欲しくて探して買ったからだ。一回だけ使ったけど、思い出やさみしさを急須の中に閉じ込めたままずっとしまっていた。

 また使うことができてよかった。でも、あんまり使いたくなかったような気もする。

 大好きな先生と話していた頃は関わりのなかったしらしらが、お茶を淹れてくれて、一緒に飲んでいる。

「こんど、明良にお礼したいね」

「うん。何がいいかな、食べものかな」

 明良は食べるのが好きだ。お茶をもらったから、お菓子にしようかな。

「ゆの、明日は何限だっけ」

「一限」

「わたし三限だから、起こさなくていいよ」

「わかった。ちゃんと起きてね」

「がんばる」

 お弁当も私の分だけでいい。そういえば、明良と一緒の授業だから、おいしかったよとさっそく伝えられる。

 カップを顔に近づけるたび、ほんわり温かくなった。午後のまどろみを思い出す。あったかいおひさま。

 二十二時過ぎ、片付けたらそれぞれの部屋に帰る。

「おやすみ」

「おやすみ」

 寒いけど穏やかな夜。

 自室は自室で落ち着く。昔は一人がさみしかったけど、今は一人の時間も好き。ぼーっと音楽を聴いたり、本を読んだりして、夜が深くなる前にお布団にもぐる。

 しらしらはまだ起きているのかな。安心してちゃんと眠れるといい。次の休みの日に晴れていたら、お布団を干してあげよう。おやつは何にしようかな。作るか買うか、買うなら明良にあげるお菓子も買いたい。どうしようかな。落雁とかいいかもしれない。私も食べたいし。

 あれこれ考えているうちに、ぷかぷかと浮いていた意識がすーっと沈んでいく。今日もいい日だった。きっと、明日も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る