終わり

 翌朝ようやく夫の実家を出て、引っ越し先に向かって住み始める。夫は職場に行き、私もいろいろと整理が終わったら求職をしようとしたものの、夫に止められる。両親が我々の収入を監視しており、妻より収入が低いと白い目で見られ、仕事でペナルティを受けるかもしれないので、せめて研修期間が終わるまで待ってほしいという。流石にそんなわけないでしょと言ったが、夫はどうもそれを信じているようだ。神社でのことが頭をかすめ、鼻で笑い飛ばしたかったものの、上手くいかなかった。

 そんなある町全体が騒がしくなる。消防団が見回りをし、注意を呼びかけていた。なにか事件でもあったのかと聞くと、子積柱が誰かに燃やされたのだという。幸い神社自体には燃え移らず、大事には至らなかったものの、大事な神具を壊されたということで、皆怒りに燃えていた。

 自分の気に入らないものが誰かに壊されることを喜ぶことが、性格が悪いことかどうかは意見の分かれることかもしれないが、自虐と言うことを前置きするとして、私は自分が性格が悪いし今回のことは気分がよかった。

 とはいっても町全体にピリピリとした雰囲気が漂っており、自警団がうろつき始め、今は本当に21世紀なのだろうかといぶかしむ光景が所々に見受けられる。

 義父が皆を集めて「ほんとうにおまえらがやったんちゃうやろな」と体育教師のように皆を並べて怒鳴り、アリバイ調査のようなものをされ、「私が子積柱を燃やしたのではありません」という紙をかかされた。

「まあ無実の罪で疑われんでよかったわ。むかししでかしたら地下に閉じ込められたことあるさかい」

 帰り際、夫がそんなこと言う。それは子供のころの話で、大人を閉じ込めたら監禁でしょと(子供でも虐待だけども)私は言ったものの

「そう思うやろ」

 と意味深に返すばかりだった。

 この町はおかしい。私は田舎を悪く言うことに躊躇わない側の人間ではあるものの、それとは別にこのずっと嫌な感じが流れている感覚は田舎だからと言うより、この町が異常だから、という感想を覚えた。夏は蒸し暑く冬は底冷えし、カビ臭さが不意打ちで風に運ばれて流されてくる。常にに地鳴りなのか幻聴なのか区別のつかないような音が耳をかすめ、睡眠を浅くした。かと思えば急激な気圧の低下により、体調を崩される。

 今日もまた夜中に急に目を開けることとなった。耳元で誰かに囁かれて起きた気がするが、隣には夫しかいないし、ぐっすりと眠っている。上半身を起こし、動悸が落ち着くのを待ってみたものの、夢の中で聞いた声が鼓膜に張り付いているようで、心臓の音は一向に収まらなかった。目の前の棚に飾ってある西洋人形と目が合い、さらに鼓動が速くなる。

 喉に粘り気を感じたので水でも飲むかと起き上がり、台所に向かう。木造の良く響く階段を下りる。なんとか足音が大きくならないようにと気を付けるが、努力むなしく家中に何度も音を響かせてしまった。

 ふと、台所の方向から何かをあさる音がした。夫が降りてきているのかと一瞬思い、いや先ほど眠っているのを見たと、首を振る。だとしたら台所にいるそれは……

 汗が流れ出て、さらに脈が速くなり、ここまで速くなられると気分が悪くなる。吐き気をこらえて、体を低くし物音がする部屋の方向へ首だけを出して様子をうかがった。

 確かに……薄暗い冷蔵庫の光に照らされた人影を見た。何かを探している……? その影の形は小柄で、子供のようにも見える。何とか顔だけでも確認しようとしたものの、冷蔵庫の扉が影になってよく見えない。

 これ以上身を乗り出すと、相手に気づかれてしまいそうだ。

 一旦首を引っ込めて気持ちを落ち着けようとする。


――しかしそこで自分の腹の中から赤ん坊の泣き声が響いた。


 いつの間にか私の腹が膨らんでいた。そこから目覚まし時計のように赤ん坊の声が鳴り響いている。当然子供がこちらに気が付く。

 冷蔵庫の陰から姿を現した子供の顔には眼球が付いておらず、黒い空洞が二つあるだけだった。口を顔の三倍ほど大きく開け、中には折れた歯がぎっしりと詰まっていた。こちらに向き直り、手探りで包丁を持ち、速足で向かってくる。「なんでころしたんや!」と彼は叫び、驚いた私はその場に倒れ、逃げようとするもうまくいかず、子供に腹を何度も刺され、血があたりに飛び散り、そこでようやく私は目を覚ました。


 叫び声をあげながら起きたつもりだったが、実際には空絶叫と言うべきか、かすれた息を勢いよく出していただけだった。慌ててあたりを見回すとそこは見慣れたアパートの一室で、怪しげな西洋人形も古ぼけた階段も存在しない。

「なんや血相変えた顔して」

 夫が寝ぼけ眼で不満を口にしてきた。なんでもない、ちょっと変な夢を見ただけ、と答えると。

「明日速いんやけど、ガキじゃないんやし、そんなことで起こさんといてくれる?」

 謝るより先に、夫は眠ってしまった。


 夫の弟が自動車でラーメン屋の前に並んでいる行列にに突っ込み、五人の死者を出して死んだのはその一週間後だった。義弟の死に町の人々は「やっぱあいつやったか」と言い出した。

 なんでも彼は子積柱放火事件の最重要容疑者だったそうだ。彼の妻は医学的に子供を作ることは出来ないのだげども、それでも義父のコネの病院にむりやり不妊治療を受けさせられてた。そんな中の子積柱などという茶番は自分たち夫婦をより辱めている存在にしか思えてならず(私もそう思う)燃やした、と言うのか皆の予想だった。私は気が付いていなかったが、義弟は日に日に憔悴していき錯乱した言葉を発していた。これは明らかに過去に子積柱を壊そうとした、および壊した者のが受けた呪いの症状と同じようなもので、同じように多くの死者を出したのだ。

 義父がこのことについて話があるからと親戚を集めて言った。

「お前らこれで終わったと思ってへんやろうな」

 終わったとは思っていない。これを機に古臭い価値観を捨てて、普通の価値観に変えるべきだろう、そう思ったが、そんなことを言い出しそうな雰囲気では全くなかった。

「子積柱の呪いは強力や。その家族全体に影響が及ぶ。歯あ食いしばって耐えや」

 何か解決方法を離すのかと思ったものの、根性論しか話さず具体的にどうすればいいのかは話してくれなかった。

 いろいろと思うことはあったものの、単純に死ぬのは怖いので東京から霊媒師を読んでお祓いをしてもらう。その時に私が見た夢についても聞いてもらった。

「ああ、なるほどね」

 と霊媒師は前置きをした。何か見えたのかと尋ねたら、「いや、あらかじめこの町について調べておきました」という、

 なんでも例の神社は水子や子供の霊の供養なのは間違っていないのだけども、そのなかに重要な事件があったのだという。昭和中期ごろ、息子が母親を刺殺したという事件だ。

 何で刺したんですか、と聞く。

「彼はずっと妹か弟が欲しかったのだと。彼は家で常に孤独であり、話し相手がほしかったんです。ほしすぎて空想の中で妹をかわいがりました。そんなある日彼の母親が妊娠しました。少年はそれをたいそう喜こんだんです。しかし家庭の事情により中絶を余儀なくされます。怒り狂った少年は母親を殺しました。その時に大勢の人が、少年を取り押さえたのですが、勢い余って押しつぶされて死んでしまい、その少年の霊が大人を恨んでいるとのことです」

「何それ」

 何それとしか言えない。彼の説明が下手なのだろうか。本当はもっと複雑な事情があるのかもしれない。しかし胸糞悪いだけで、恐怖より怒りが先にくる話だった。いや、少年は病気だったのかもしれない。それでももやもやとしたものが残る。

「あの神社の霊は子供を極端に大切にするって方針のようです。なのでその少年の霊に他の霊が加担していると」

 結局その神社の霊の方針は中絶に反対なのか賛成なのかどっちなんだと私は尋ねる。

「んん……そのことについてはわかってるんですが、引用や推測であっても言霊って発生するんですよね……口に出して言うのは良くないです」

 よくわからない。

「まあ、ちゃんとお祓いしてみせますよ。見ててください」

 そういって彼はおもむろに菜箸を取り出した。

「ちょっと変なことをしますが止めないでくださいね」

 彼は菜箸を両目に突き刺した。悲鳴を上げながら、部屋の真ん中に倒れこむ。思わず駆け寄ろうとしたが、彼が今言ったことを思い出し、一旦座って様子を見る。新手の儀式なのだろうか。どう見ても本当に刺しているとしか見えない。畳の上でのたうち回る姿に滑稽さはなく、本気で痛がっているようだった。暴れるので目玉に刺さった菜箸が床に当たって、さらに奥に入ったり、「あ……これ脳みそかき回されている感じじゃない?」みたいな状態になっていた。

 やがて動かなくなったが、彼の指示がないので私もどうすればいいのかわからなかった。長くなるならちょっと夕食の準備とかしてていいですか、と尋ねたのだけども反応がない。おとなしく待つことにした。

 彼が本当に死んでいるのに気が付いたのは、夫が帰ってきてからだった。

 霊媒師が返り討ちになるほどの事態になったので、流石に私も我慢が出来なくなる。我慢が出来なくなると言っても、何かできるというわけではない。逃げるしかない。つまりは離婚だ。

 そもそもなぜ今まで離婚しなかったのだろうか。

 私を角が立たないようにかつ自分に甘く表現するとダメ人間だった。そして夫もダメ人間だ。同じダメ人間同士が合わさるとよりお互いが煩わしくなるというが、私たちは運よくなのか、そんなことはなかった。信じられないようなへまをしても「あ~わかる~わたしもよくするわ~」となりなあなあで許してしまい、同じように私も夫に許された。こういうのはよくあることなのだろうかと、妹夫婦に話してみたものの、そう言った関係は普通は自己嫌悪が先に来てより一層上手くいかないものなのだという。つまりこれから新しいダメ人間を探し出しても結局うまくいかないので、つまり夫とは波長が合うということなのだった。

 いや、そんなものは結局のところまやかしで、すぐにでもほころびが出て駄目になったのかもしれない。妹はお互い他人興味がないだけとも言っていた。それでも一度は愛し合った仲であり容易には別れようとは考えていなかった。

 とはいっても夫は実家のある町へ帰って変わったようにも思える。他人に興味がないなんて全くなく、両親の顔色ばかりうかがっている。それがある意味本来の姿であり、そもそも他人に興味が出るという点だけを見ればよいことなのだろう。ただもう離婚を思いとどまろうと思えはしなかった。

 というわけで夫にそのことを切り出してみたら、頭をかき、少し悩んだようだったが、以外にもあっさりと要求を呑んでくれる。市役所は義父の知り合いに見られるとまずいので旅行に行くふりをして別の街へ行って離婚届を提出することになった。

「俺が死んでも、葬式にはんほうがええから」

 少し思いとどませられるようなことを夫が言う。彼をおいて逃げるというのはやはり私は薄情なのだろうか。

「方針と違うから言い出せへんかったけど、ほんとはお前との子供が欲しかった」

 と追い打ちをかけるように言ってきた。それに対しては、私は顔をゆがめて見せ、手を振って別れることができた。

 あれからまた以前と同じ職種に求職し、何とかやっていけている。時折仕事に疲れて帰ってきてニュースを見ると、見覚えのある地名が出てくる。そんなときは、テレビを消して、見なかったことにする。死ぬ前に霊媒師が届けてくれたお守りもなんとなく効いているような気がした。なんでも、某学問の神様のお守りの様で、私は神様を信じていないけど、今回のことがあったので怨霊のようなものがいることは信じざるを得なくなったといわけだけど、だったら怨霊に祈って助けてもらえばいいということでのお守りで、田舎の怨霊が日本最大の怨霊に勝てるわけないだろ、みたいな理屈のようだけども、はっきり言って屁理屈じみているとも思う。そもそも学問の神様は子供の見方なのでは?

 数年ほど暮らしているとやっぱり屁理屈でしかないのか、頭の中がぼやっとしてくる。なんとなく、こうしたらいけないというのが薄れていく感覚があった。赤信号を車で渡ってはいけません。植木鉢をベランダから落としてはいけません。ナイフを振り回して小学生を殺してはいけません。そんな人間が生活を送るための最低限度の常識が鉋で削られていくような感覚……


――私はもうだめかもしれない。

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