第10話 第一章 風薫る⑩

 あの落ち着く空間をあのまま保っていたい。そう思っていたことに自己嫌悪に陥る。自分だけがあそこにいても仕方ない。交流会とかに行った人間が皮切りとなって、行き来する人間が増える方がいい。インクルージョンとか難しいことはよく分からないけど、もしそうなったら少なくともリカちゃんは喜ぶだろう。

「……ってこと?」

「え?」

「ここのとこ、これで合ってる?」

「……ああ、うん」

 教科書とノートを広げて真剣な顔をしたカナちゃんと、リカちゃんとミズキが喋っているところを思い浮かべてみた。

 そしてその瞬間、

「いやジェラるわ……」

「え!? なにが?」

「何でもない」

 少し妬いてしまった。寂しい。なんでだろう。

 無意識に漏れた声に、カナちゃんがなぜか焦ったように顔を寄せ合って私のノートを見ていたカズマから距離を取った。

「大丈夫カナ彼氏いるし! カズマとは友達だからね」

「え? うん」

 何のことだろうと首を傾けると、視界の端でカズマが顔を赤くしたのが見えた。

「カナそいつ何も考えてねえから」

「何が?」

「ほら」

 それを聞いて爆笑したカナちゃんと周囲にぽかんとしていると「かずドンマイ」となぜかみんながカズマの肩を叩いた。いや、意味分かんない。どういう会話の流れだったんだろう。最近リカちゃんとミズキとばっか話してるからストレートな言葉のやりとりに慣れ切ってこういうやりとりについていけなくなっているのかもしれない。

「あ、ねえ他の子たちも来るかも。まだみんないるよね?」

 同級生がスマホをいじりながら言うので、画面を見ると「自主勉組」という言葉と一緒に自撮りが映っていた。ストーリーに上げた後どんどんメッセージがついている。

「あ、でもずっとここいたら邪魔じゃない? 移動する?」

「何人くらい来る感じ?」

 確かにこれ以上増えたらもはやクラスメイトの半分くらいが集まることになる。本当にこんな仲のいいクラスもなかなかないんじゃないか。

「じゃあもう学校でよくない?」

 誰かの一言に一瞬静まり返ってからみんなが笑った。

「めっちゃいいじゃん! そしたらなんか買ってく?」

「自習室だと声出せないからもう教室戻るか」

「おっけー、そうしよ」

 スナチャやインスタでみんながそれぞれメッセージを返しながら、なぜか教室に戻る流れになって笑う。真面目なのか不真面目なのかよく分からない。

「ヨーコも来るよね?」

「うーん」

 もっかい戻るのはな、と苦笑するとカズマに「おまえいないとこれ意味なくなるんだけど」と言われた。

「ヨーコのヤマ勘ノート欲しいって来てるし」

「そんなんラインに載せていいよ」

「本人の解説が欲しいんだって」

 カズマの周りにいた同級生も「ヨーコ来ねえの?」とか言い始めるのでなんとなく帰るとは言い難くなる。

「うーん、じゃあちょっとだけ」

「まあ、そんなガチな感じじゃないから」

 追加でテイクアウトの注文をしている同級生たちに何か要るか聞かれるが、店外の熱い気温の中ホットスナック系を食べる気は起きず、大丈夫と手を振った。

「なんも食べてなくない?」

「カナちゃんのポテト貰ってるから」

「昼飯そんだけ?」

「うーん、なんか夏バテっぽい」

 だらだら喋りながら集団で移動する。カズマとカナちゃんはそれぞれ物理と英語の私のノートを見ながら喋るという器用なことをしていた。

 それにしても暑い。外気に触れた途端歩くのが億劫になる。

「カナちゃん夏休みの講座取った?」

「取ったよー。全部は出ないけど。ヨーコとカズは?」

「俺大会あるから」

「サッカー? 早く負けるといいね」

「うっせーな」

 模試あるのに大丈夫? と聞くカナちゃんは本気で心配そうな顔をしていて笑えた。

「私取ってない」

「うそ、じゃあ学校で会えない感じ? まじでオーキャン呼び出していい?」

「行けたらね」

 講座も取ってオープンキャンパスにも行って、部活もやって、なんて自分にはできないと思った。就職関連の予定は目白押しだけど、なんとなく味気ない。夏休み開けたら、もうみんなでジェンガしたり人生ゲームしたり自撮りして遊んだりなんてことは出来なくなるのかもしれない。


 一瞬頭痛がした。

「……やっぱ腹減ってんじゃねえの? 顔色悪い」

 表情が陰ったのか、カズマが立ち止まって私の顔を見つめた。

「ううん、なんか一瞬頭痛かった」

「頭痛持ち?」

 曖昧に頷くとカナちゃんもノートを見ていた顔を上げて、心配そうな顔で「大丈夫?」と顔を覗き込んできた。

「ヨーコ虚弱体質だもんね」

「確かにめっちゃ風邪引くよな」

「んなことない」

 短く否定すると「あるし」と二人がハモった。確かに健康優良児とは言い難いけど、虚弱体質ってほどでもないんじゃないか。昔からあるこの頭痛の正体は何となく分かっているので、「大丈夫」と笑うと、カズマは顔をしかめた。

「食わねえからだよ。これやるよ」

 ほら、とさっき店を出るときに買っていたシェイクを差し出されて思わず受け取る。

「固形物じゃねえから。せめてカロリー取れ」

「カズマ優しい~。私には?」

「カナは自分のあんだろ」

「差別だ差別だー」

「うっせー」

 言い合ってる二人の間で受け取ったままの恰好でいたけど、手の中になる冷たい感覚に心なしか気分が楽になった気がして、「ありがと」と笑うと一瞬カズマが動きを止めた。

「カズマ?」

「…………あのさ、ヨーコ、夏休みって」

 夏休み、というワードに脈絡なさを感じつつ「うん?」と首を傾けたとき、

「っ、うわ」

 後ろから突然腕を引かれた。

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