第2話 第一章 風薫る➁

「―――――あら、あなた一人で来たの?」

「はぁ」

「珍しいわねぇ。普通はお友達連れてくるんだけど……ああ、押し付けられたのね」

「……いや、……まぁ」

 否定できないのが申し訳ない。受付のおばちゃんは人の好さそうな苦笑を見せた。

「ごめんなさいね。でもきっと楽しいと思うから」

「……はーい」

 ついでに少し気の毒そうな顔をされた。担任あの野郎。名札を受け取って胸元に着ける。平仮名で「ようこ」と書かれていた。

 校舎の中に入るとちらほら自分と同じ制服を着た生徒が見えた。確かにみんな誰かと一緒に来てる。誘ったのに一様にして断った自分の友人の冷たさよ。みんないい奴なんだけど嫌なことは嫌とハッキリ断る性格をしている奴ばっかりだ。

 広いホールに通される。真っ白な広いホール。

「病院みたい」

 無意識に呟くと、近くに座っていたボランティアらしき人から咎めるような視線をもらってしまった。別にこの雰囲気のことを言っただけで、深い意味はなかったが失言だったらしい。


 うちの高校は、養護学校と隣接している。校舎が隣り合っているだけでよくこんなイベントをするのだけど、正直うちの高校からの参加者は毎回少ない。かくいう自分も別に参加したくはなかったので人のことは言えない。こういう場が嫌いと言うよりは、こういう場を設ける人たちが嫌いなのだ。大きなお世話な気がする。ここに参加しているだれが、私たちとの交流を望んでいるというのだろうかという疑問が浮かぶ。それを出しはしないけど、代わりに溜息を吐いた。

「ねぇ」

 さっきのボランティアらしき人に不意に声をかけられた。

「……はい?」

「来たくないなら来るなよ。溜息なんて吐いてどういうつもり?」

 聞かれていたのか。棘のあるそれに素直に「ごめんなさい」と言うと微妙な顔をされる。

 病院もただの喩えでしかなかったし、溜息に意味なんてなかった。消極的な態度を取ってしまって申し訳なかった。

(これ以上気に障らせるのはさすがにダメだ……)

 若干自己嫌悪になりつつその場を離れた。


 視界の隅に、さっきのボランティアさんに駆け寄る小さな女の子が不意に映る。呂律のまわらない声でその人の名前らしきものを呼んでいた。気が強そうな人だけど、子どもには好かれているらしい。

 自分はどうしようかと周りを見渡すと、確かに何人かはここの学校の子たちと遊んでいた。妙に手慣れているように見えるのは常連の人たちかな。

 何にしろ初参加の自分は居場所がない。

「………」

 どうしよう、暇だ。ただウロウロするのも憚られて、近くの椅子に腰を降ろしてぼーっと部屋全体を眺める。しばらく視線を彷徨わせていると、向かい側の壁に同じように居場所がなさそうに寄り掛かって立っている人を見つけた。

 お仲間? 

 じっと観察してみると、遠目でも分かるほど明るい茶髪。茶髪というか金髪? 全体的に華奢で、ジーパンに白いTシャツというラフな格好だった。ここからだと男か女かよく分からない。誰に話しかける様子もなくただそこにいるだけという雰囲気を醸し出している。

 声かけようかなと腰を浮かせかけたとき、

「………暇ならこっち来れば」

「え」

「おねーちゃんもあそぼー!」

「うおっ」

 さっきの不機嫌顔のボランティアさんに声をかけられた。え、と振り向いた瞬間腰に衝撃。飛びついてきた女の子は満面の笑みだった。


「………、あの」

「おねえちゃんあそぼー!」

「えっと……、遊ぶの?」

「リカとあそぶー!」

 リカというらしい。小学校三、四年くらいに見える女の子。見た目に反して言動がひどく幼いような印象を受けるが、ここの学校の子なんだろうか。満面の笑みのまま腰に抱きついて離れないその子の頭を無意識に撫でると、嬉しそうにきゃっきゃと笑ってさらに強く抱きついてきた。

「えっと……」

 どうしよう。

 取りあえずその子の頭を撫でながら困惑してボランティアさんの方を見ると、なぜか私をまじまじと見てから「へぇ」と頷いた。へぇ、ってなんだ。

「こういうとこ嫌いなのかと思ったんだけど。結構慣れてんの?」

「は?」

「子どもの扱い。その子、かわいーでしょ」

「え」

 笑った。慈しむようなその笑い方に驚いて思わずその顔を見つめてしまう。この人、笑えたのか。

「……なんか今失礼なこと、考えたっしょ」

「いえいえ、そんなまさか」

ね? と未だに腰に抱きついているリカちゃんに問えば、分かってないだろうに「うん!」と笑顔で頷かれた。

 ああ確かに可愛いかも。いやこりゃ可愛いわ。思わずリカちゃんの頭を撫でてしまう。子ども特有の、細くやわらかなコシのない髪に指を絡ませると、「さらさらでしょ?」と嬉しそうに笑う。

「……リカちゃんが大人慣れしてますね」

「確かにそうかも」

 ボランティアさんが苦笑した。

 普段子どもと接することのない私でも、リカちゃんの人懐こさには可愛いと思わずにはいられない。物怖じせずに初対面の人に笑顔で遊ぼうというリカちゃんは、拙いながらにきちんと返事もしてくれて、どんな人でも一緒にいることが苦にならないだろう。

「大人のほうが多いからね」

 その言葉に周りを見渡すと、確かに子どもの方が少ない。今日は交流会だからか、地域の大人や先生たちの姿が目立った。

 入口で貰った養護学校のパンフレットに目を通すと、小学部、中学部、高等学部とそれぞれ少人数のクラスを何人かの先生が受け持っているらしい。ボランティアや専門の指導員、交流の他学校の生徒を入れていることを考えると、大人慣れする環境ではあるのかもしれない。

「あんまり人が多かったり、人数が変わったりすると不安になる子の方が多いから、リカは特殊かもね」

 人懐こさは利点であるように思うけど、そう言ったボランティアさんの声は明るくない。疑問に思いつつ、腕にからみつくリカちゃんの今にもよじ登りそうな雰囲気を察して、よいしょと思わず抱っこした。

 予想外だったのか驚いた顔をしたリカちゃんは、次の瞬間とろけるように笑い、私の頬に指先で触れる。何かを確かめるようにじっと同じ高さになった目線を合わせて、

「きれい」

 そう呟いてからひどく嬉しそうな顔をして、私の肩口に顔を埋めた。子ども特有の温かい体温と、心もとない軽さ。何が「きれい」なんだろう。脈絡のない言葉に戸惑う。

 抱えなおしたとき、リカちゃんの肩越しに、さっきの金髪っぽい人が見えた。

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