第六巻
俺はしばらく『幻の十七号』の頁を繰っていた。
『若妻のため息』を見つけ、目を通した。
第十七話は、主人公の若妻が、一人の年下男性(夫の教え子=彼女は某有名大学の助教授婦人という設定である)から愛の告白を受け、彼と初めて一夜を共にするというストーリーで、他の回よりは濃厚に、エロチックな描写が強調されていた。
『作者の影山留衣子って、誰のことだかお分かりですか?』
ふいに、榊田則子が言った。
『貴方のお身内でしょう?』俺は答えた。
彼女は何も答えず、黙って立ち上がり、それから一枚の写真・・・・恐らく仏壇から持ってきたのだろう・・・・を持って戻ってきた。
『影山留衣子、いえ、私の祖母にあたる、榊田奈美枝です。』
祖母の奈美枝は二年前、丁度八十五歳でこの世を去ったが、彼女は影山留衣子というペンネームを持つ作家でもあった。
『祖母は戦後、初めて認可された女子大の卒業生でした。元々文学への関心が高かったんでしょう。将来は作家として身を立てることを希望していました。でも祖母の父親・・・・私にとっては曽祖父にあたる人は昔かたぎの人でして”女性が物書きになるなど、とんでもない”と反対され、結局卒業して間もなく、私の祖父で、大学の助教授をしていた祖父とお見合いで結婚しました』
しかし元来祖父はあまり身体が丈夫な方ではなかったため、大病をし、そのため生活にも事欠く有様だった。
彼女は生活のために国立国会図書館の事務員という職を得、働くようになったが、それだけでもまだ暮らしを維持するためには十分ではない。
しかも都合の悪いことに、当時まだ生まれて間もない一人娘、つまり榊田則子の母親がいた。
その頃はまだ女性が外で働くというのは
元々作家志望で文才はある方だったから、彼女としては渡りに船のようなものだったが、何分書いているものが書いているものだ。
大学の助教授の妻が、こんなものを書いていると知られたらどうしたってスキャンダルになるだろう。
そこで、彼女は”影山留衣子”という名前をつけ、覆面作家として連載を続けたのだ。
連載は続き、彼女も不本意ではあったが、作家の道を歩むことが出来たのだが、しかし、夫にも世間にも秘密にしておかなければならなかった。
彼女は暇を見つけて自分が載った雑誌を買い集めた。
そうして丹念に一冊一冊、全部焼却していった。
証拠を残さないためである。
しかしどうしても見つからなかったのが、”通刊第十七号”だった。
そんな時、彼女はある考えを思いついた。
自分が事務員として勤務していた、国会図書館である。
いうまでもなく、国会図書館には、日本国内で発行されたすべての書物が収められている。
そう、たとえどんな下卑た書物であっても、だ。
祖母、奈美枝はあることを実行に移した。
回りくどい言い方はよそう。
つまりは盗み出したのである。
書庫の中から、彼女は当然それが犯罪に値するということは十分に分かっていた。
分かっていても、あの本を人の目に触れさせることはしたくなかったのである。
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