第二巻

 社長は葉巻を卓子テーブルの上の陶器で出来た灰皿に置き、

『失礼した、まだ名前も名乗ってなかったね』といい、懐から名刺入れを出して

俺に手渡した。

”スターライト貿易、取締役社長・進藤雅也”

 随分と大きめの活字で、それだけ記してあった。

 年齢は68歳、妻は5年前に亡くなり、現在は独身。

 元々は別の会社を経営していたのだが、そちらの方は息子に跡を継がせ、この貿易会社を一から立ち上げ現在に至る。


 酒は呑まない。

 煙草はこのハバナ・シガーを一日に一本きり。ギャンブルには全く興味がない。

 一穴主義というわけではないが、妻の死後、特定の関係になった女性はいないという。


『で、この雑誌のことなんだが・・・・』


『週刊実録』という。


 日付を見ると、今からもう50年以上前になっている。


 表紙を見ると、扇情的に身体をくねらせた水着姿の女性がポーズを取り、こちらを向いていた。


 中身を見なくても、おおよその見当はついた。


 つまりは”男性の劣情を著しく刺激する”まあ、その手の雑誌である。


『当たり前だが、当時私はまだ高校生でね。この雑誌も正規で手に入れたわけじゃない。』


 時効になっているからと前置きして話し始めたのだが、廃品回収置き場に捨ててあったのを、失敬してきたのだという。


 彼は元々九州は大分県の片田舎の生まれだそうだ。

 その頃の常として、貧乏な故郷ではとても生活してゆけない。


 ましてや彼の家は子供は6人もいたから、当たり前のように中学を卒業すると、集団就職で上京した。


 昼間は工場で働き、夜は定時制高校に通う。そんな日々を送る中で、唯一の楽しみは本を読むことだった。


 大抵は普通の小説だったのだが、そんなある日に見つけたのが、この雑誌だったという。


『一番惹かれたのは、これ、ここなんだよ』

 進藤社長は擦り切れそうな頁を丁寧に繰り、赤い付箋の張り付けてあったところを俺の方に指し示した。


『若妻のため息』 


 作者の名前は『影山留衣子』とあった。

 俺は彼から本を受取り、読んだ。


 中身はまあ、つまりは『体験告白手記』というやつだ。


 一人の若い人妻の男性遍歴を綴ったものだが、その手の雑誌にありがちなどぎついものではなく、さりげなく男性のリビドーを刺激するという、そういった内容のものだった。

『私は当時まだ女を知らなかった。だから女性の手になるこういうものを見て、より刺激されたと言っていい』


 しかしながら、当時この手の雑誌は未成年者が容易に手に入れられるものではなかった。


 どこに売っているかさえも分からなかった。


 それでも社長は何とか様々な手を使い、雑誌を集めた。

 20歳になり、その手の雑誌が堂々と買える年齢になっても、あの時の感動は彼の頭には残ったままだったという。


 そのうちに彼は小さいながらも会社を興し、結婚をした。


『だが・・・・』彼は再び灰皿の上の喫いかけの葉巻を取り上げ、また煙をふかす。

『この雑誌、見ても分かる通り、極めてマイナーな雑誌だったものでね。結局通算五十二号が出版されたきりで休刊、つまりは事実上の廃刊になってしまったのだ』


 影山留衣子の手記は創刊号から最終号まで、全部で五十七話連載され続けた。


 彼はあちこち探し回って、そのほとんどを手に入れたのだが、たった一号だけ、どこをどう探しても手に入らなかったものがある。


『それが通巻第十七号なんだ』


『他人である君から見れば、なんてつまらないことをと思うかもしれんが、私にとっては大事なのだ。頼む、金なら幾らかかっても構わん。どうか君に探し出してもらいたい。それが私の願いなのだ』


『ネットオークションはどうです?』

『勿論探してみた。しかしどこからもひっかからん』彼は灰皿に灰をせわしなく落とし、ため息と煙を交互に吐いた。


 確かにつまらん依頼に見える。

 恐らくベイカー街の天才ならば、けんもほろろに『他所へいってくれ』と追い返すところだろう。

 

 しかし俺は生憎日本の大東京の片隅に住む、ケチな一匹狼だ。


『分かりました。引き受けましょう。探偵料ギャラは通常通り、後は必要経費と、万が一武器が必要な事態になった時には危険手当の割増を願います。それから調査の方法についてはこちらにご一任頂くということでよろしいですか?』


 進藤社長は頷き、契約書にサインをして寄越した。

 



 

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