まぼろしの17号

冷門 風之助 

第一巻

 エレベーターはノンストップだった。

 操作盤コントロールパネルのすぐそばに立っている、スーツに眼鏡をかけた女性秘書に、

”他の階には止まらないのか?”と訊ねてみたところ、

『ノン・ストップでございます』と、無機質な声が返ってきた。

 ここは港区高輪にある、地上30階地下3階の高層ビル。

 遠くには東京湾の明かりが望める絶好の景色だ。


 時刻は午後5時30分。

 俺は仕事もなく、事務所オフィスでぼんやりと時を過ごしていたところへ電話が鳴った。


”乾君か?私だ。矢島だよ”

 あんまり聞きたくない声が入ってきた。

 矢島清人・・・・民事専門の”切れ者弁護士”として業界に名が知れ渡っている。

 著書も多数あり、二・三の会社の顧問弁護士を一手に引き受けている。

 断っておくが、”切れ者”というのは、決して”優秀”であるとか、”誠実”であるとかいう事とは違う。


”頭が良くて金もうけが上手い”それだけのことだ。

しかし何故かこの男、俺を妙に買ってくれていて、何度か仕事を回してきてくれる。


 人としては好かないが、上客であることに変わりはない。

”何の用ですか?”俺はぶっきらぼうな声を出す。

 床に落とした爪切りを探してかがんだところだったからだ。

 当面の問題を解決せねばならない時に、邪魔をされるのは俺としてはもっとも嫌なことの一つだ。

”何の用ですかはご無沙汰だなぁ。折角いい仕事を回してやろうとしたのにさ”

”何です?”


”スターライト貿易って知ってるだろう?俺が顧問をやっている会社の一つなんだが、そこの社長が、君にどうしても依頼したいことがあるんだそうだ。出来れば高輪にあるMビルの最上階までいってくれ。相当に儲かってる会社だから、ギャラも弾んでくれるぞ”

 胡散臭いやつは胡散臭い物言いしかしないものだ。

 しかし金に関してはウソはつかない。

 俺にとって必要なのは、今はそれだけだ。


 エレベーターのドアが開くと、一面真っ赤なカーペットが敷き詰められてあり、踵まで埋まりそうな感じだ。


 秘書氏の後をついて、俺は正面にある、金の大きなノブのついたドアの前に立った。

『社長、乾様をお連れ致しました』


 相変わらずの事務的口調で秘書が言う。

『ああ、お通ししたまえ』


 中から声がする。

 秘書が扉を開けると、正面は壁一面の強化ガラス。

 室内は少なくとも俺の事務所オフィスが二つは入りそうなくらいの広さだった。

 正面の強化ガラスの前に、浮彫の飾りがついたマホガニーの事務机があり、そこに中背で、がっしりした体格の紺色のスーツ姿の男が座っていた。


『良く来てくれたね。まあこちらに来て掛けたまえ』


 彼は重々しい声でそういうと、俺を応接セットのところまで自ら案内した。

『葉巻でもやらんか?』

 彼はそう言って、卓子テーブルの上のシガーボックスを開けて勧める。

『いや、遠慮しときます。』


 俺は代わりにポケットからシガレットケースを出して、中からシナモンスティックをつまみ上げて口に咥え、端を噛んでみせた。

『ハードボイルドの探偵はみんな煙草を喫うんじゃなかったのかね?君まで嫌煙家だとは思わなった』


『私はそんな大それた男じゃありません。それに煙草をらないのは、他に理由があるからです。しかし他人の煙は気にしませんので、遠慮なく』

『そうか、なら勝手にやらせて貰うよ』

 彼は太いハバナ・シガーを一本持ち上げると、ライターで火を点け、美味そうに煙をくゆらせた。

『ご依頼について私はまだ何も聞かされていません。一通り話を伺ってから、お引き受けするかを決めたいのですが、それでよろしいですか?』

『無論だ』

 彼は煙を吐き出し、それからおもむろにソファの傍らに置いてあったファイルを開け、一冊の雑誌を取り出した。

『この雑誌のあるバックナンバーを探して欲しい。それが君への依頼なんだ』


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る