第2話


 


 唇が当っていたのは、ほんの一瞬だけだった。

 すぐに口を離したルリは、誰も居ない部屋を見渡すとそそくさと出ていく。


 それを見送ったは、無意識に自身の口元に指を触れさせてしまっていた。まだ感触が残っているように感じ、それと同時にようやく実感が湧いてくる。


 何故か俺は、ルリにキスされてしまったらしい。その事実に無性に込み上げてくるものがあって───。


 「───さて、それじゃ折角だから、覚悟を決めた少女のキスを狸寝入りで受けた感想でも聞こうかしら」


 突然、ルリが出ていったことで再び部屋の扉が開く。しかし入ってきたのはルリではなく見慣れぬ女性───ルリからはストレアと呼ばれて人だ。

 そんなストレアさんは、開口一番に中々きついことを真顔で告げてくる。少なくとも歓迎はされていないようだが、試しに乗ってみるか。


 「一瞬だけでしたが、甘かったですね」

 「最初に出てくる感想が味に関してなんて、とんでもない変態ね。いっそ治療の過程でその口を剥ぎ取ればよかったかしら。それとも先に必要なのは去勢?」


 おそらく何を答えても似たような返ししかこないだろうなと分かっていながら答えれば、やはり罵倒される。理不尽な気がしないでもないが、相手が相手だ。

 自分を治療してくれた相手となれば、強くは出れない。


 「それより……やっぱり気づいてたんですね」

 「えぇ、これでも患者の状態を把握するのは得意なの。一目でわかったし、あの子にキスされそうになった時に情けなく鼓動を激しくしたのも知ってる。今もね」

 

 単に回復魔法を扱うのではなく、職業としての治癒術師であるため、人体への造詣は深いか。その上で何かしらの感知能力が働いているのだろう。

 もしくは、俺自身ではコントロール出来ない微細な体の変化が見えているのかもしれないが……ストレアさんの言う通り俺は起きていた。なんならルリが部屋に入ったと同時に起きていた。


 しかしルリがやけに静かに部屋に入ってきたため、様子を見ることにしたのだが……そうしたら、ルリはまぁ……そういうことで。どうもその、キスをしに来た様子だったので起きるに起きれなかった。


 「あの子の唇の感触でも思い出してるの? 幼い少女の唇に背徳感を覚えて興奮するどうしようもない変態は世界の害でしかないけれど」

 

 世界の害は言い過ぎではないだろうか。しかしながら、ルリに背徳感を覚えているのは事実なので言葉に詰まるのが辛いところ。

 答えたところで傷しか負わない気がしたため無視することにした。


 「……取り敢えず、ありがとうございました。どうも治療をしていただいたようで」

 「そうね。治療もして、なんなら貴方が意識を失ってる間の世話もやらされたわ……何度その内臓に手を伸ばしかけたか分からない」

 「世話まですみません。ところで腕の方も治ってるみたいですが、アイテムバッグの中を?」

 「バッグ? それは見てないけど、腕は無かったから生やしといたわ。そこまで含めての治療だったようだし。普通なら男なんて、腕が無くなった状態で変な感じに治癒してもう腕なんてくっつかないようにするのだけど、良かったわね。五体満足に戻れて。あの子が居なかったら実際そうなってたわ」


 おかしいな、先程から俺のイメージする治癒術師の発言ではない。しかしどうも一々突っ込んでいたら毒のみ吐かれるだけな気がして、俺は基本的にその部分を無視することとした。


 それよりも腕だ。起きた時点で違和感なくあったので、アイテムバッグに入れた俺の腕を接合したのかと思ったが、どうも違ったらしい。と考えると、かなり凄腕の治癒術師なのは確かだ。

 欠損した部位を生やすなど、並外れた回復魔法の練度である。少なくとも俺は接合することすら出来なかったわけで、その点ではクリスが手配したのも頷ける。

 性格の方は良くもまぁ治癒術師としてやっていけていると思うような有様だが。


 「それで、普通ならこんなこと聞かずに放り出すのだけど、今回はクリス王女殿下からのお願いだし、流石にそうもいかないから聞くわ。何か体に異常はある?」

 「いえ、特には……」

 「何も無いの? 例えば喋りにくいだとか、記憶が混濁してるとか、思考が落ち着かないとか、頭が悪くなったとか、視界が変だとか。もしくは身体中に痛みが走ってるとか何でもいいのだけど」

 「……特に問題ないと思います」

 「貴方が運び込まれた時点で脈が止まっていたから、もしかしたら脳に異常があるかもしれないと思ったのだけど、本当に何も無いの?」

 「はい」


 そこまでしつこく聞かれるとむしろ何かあって欲しいように感じてしまうのだが。いや、この目は本当に何かあって欲しかったのだろう。

 しかし今のところ問題は無い。喋ることに違和感はないし、五感も普通だ。もちろん記憶も、こちらは確かめるのが難しいが大事な記憶を一巡してみても特に思い出せない部分は見つからない。


 「男の治療をして後遺症が何も無いなんて、貴方つまらないわね」


 そんなことを言われてもどうしようも無いので思わず黙ってしまう。


 「……あの、男に嫌な思い出でもあるんですか?」

 「初対面の相手に随分と踏み込むのね。でもそうね、今こうしてあの子の唇を吸った男と話していることが嫌な思い出として更新されているわ。同じ部屋にも居たくない。死んで欲しい。いえむしろ息の根を止めさせて欲しい」


 なるほど、重度の男嫌いと。最後に至っては自分の手で殺したい気持ちが伝わってきてどうにも不安になるが、謝罪で相槌を打つ。

 そのまま俺はベッドを空けることにした。これが単にサディストで相手を罵倒したいだけの人間ならもうその部分を無視しつつ話してもいいのだが、本気の男嫌いで、本気でこちらに嫌悪感を向けているとなるとそうもいかない。


 「そういうことなら、早めに退室しておきます」

 「死ぬのなら中でも良いけれど」

 「死ねないので早めに会話を終えようかと」

 「遠慮しなくて良いわ」

 「死にたくないので早めにこの部屋から逃げようかと」

 「あら、人を殺人鬼のように言うのね。か弱い乙女なのは見た目通りなのだけど。貴方に組み敷かれたら抵抗も出来ないわ」


 おどけたように言うが、これだけの回復魔法を扱う人間なら、魔法技能も高いと見るのが普通だ。もし本気で殺そうとされればこちらも全力で対応する必要があるので、俺の行動は間違いではない。

 身体能力に関しては不明だが、護身能力を持たない、ということは無いだろう。ルリと知り合いの様子だし、単なる治癒術師という訳では無さそうだ。

 

 「服はどうすれば?」

 「適当に処分しておいて。男が着たものも使ったものも、そういうのは毎回捨ててるから」


 徹底しているな。着ていた検査着のようなものはかなりぶかぶかだが、自室まで行く分には問題ないだろうと判断しベッドから降りる。


 元々ルリの様子を見に行くつもりだったのだ。


 意外と背の高いストレアさんの横を通り、俺は扉のノブに手をかけた。


 「そうそう。言い忘れていたけど、実は貴方には恨みと感謝があるの。ここで伝えておくわ」


 どうやら別れ際のセリフを言おうとしているらしい。俺はノブに手をかけたまま、女性の言葉に耳を傾ける。


 「恨みは、まぁ男の分際で治療を受けに来たというのもあるけれど、大部分はあの子を危険に晒したことについて」

 「貴女がルリとどういう関係なのかはわかりませんが……自分で言うのもなんですが、知り合いなら看過できることではありませんね」


 知り合いが第三者の手によって危険に晒される。それが悪意のあるものではないにしても、結果は同じだ。

 俺の場合ルリの意思はしっかりと聞いていたが、かといって着いてきてもらっていることに変わりはない。その結果迷宮内でルリが死にかけたのだから、ルリの知り合いが俺の事を恨むのは当然だ。


 しかし言いながら、ストレアさんは特に恨みなどはぶつけてこない。嫌悪感はあれど、それ以上のものは無いのだ。


 「でも、今は別にいい。同時に、命をかけてまであの子を助けてくれたことには感謝しているから。あと少しでも遅れていれば治療は確実とは言えなかったもの」

 「……因果関係を見れば、当たり前のことをしたまでですが」


 俺のせいでルリが死にかけたから、俺が助ける。当たり前のことだ。実際には俺の力だけでなく拓磨達やクリス、そしてこのストレアの手を借りてはいるため、完全に俺が助けた訳でもないものの……とにかくそのために全力になるのは当たり前だ。


 特にルリは、今や他人ではない。仲間、友人という訳でもなく、パートナーという言葉すら不足しているように感じる。そんな相手なのだから当然の話だ。


 「そうね、当たり前のこと。その当たり前を当たり前にこなしてくれたことに感謝しているの。男に感謝すること自体今までに無いことだし、実際今も、その首に人差し指からゆっくりと順番に指を沈めて、最後に親指に力を込めて絞殺したいくらいだけど、それを飲み込んで感謝するぐらいにはあの子を特別視してるから」

 「……そうですか」

 「えぇ───抵抗するあの子の処女を奪いたいぐらいには、ね」


 俺は一度ストレアさんを見る。口角を僅かに上げて肩を竦めているが、揶揄うにしても過激な発言。

 有言実行とまでは行かなくとも、ルリに並々ならぬ執着があるのは確かなようだ。実際その執着がルリからの苦手意識を生んでいる様子で、それは狸寝入りをしていた時の会話からも推測できる。


 ただそれを言うなら、一度は大人しくルリの前から引き下がったのもおかしな話だが……何にせよ、治療してもらった恩があるとはいえ、それとこれとは別と考える必要がありそうだ。

 ルリに手を出されたら、いや、出されそうになったら殺意を覚えかねない。それがたとえ自分を救ってくれた相手でも。


 「怖い顔をしてるけど、痛みでも残ってるのかしら」

 「……とりあえず、どうもありがとうございました。治療の礼は後ほど」

 「礼ならいいわ。クリス王女殿下から既に貰っているし、貴方の怪我も間近で見させてもらったから。でも次に来る時は今回より酷い怪我をなさい。脇腹がぱっくり開いてるとか、口から内臓が飛び出てるとか」

 「お世話にならないよう気をつけます」

 「そう? ま、怪我人としてなら、また会えるのを楽しみにしてるわ」


 言うなりストレアさんが追い払うように手をシッシと払う。話は終わったからさっさと出て行けということらしい。


 男嫌いを隠すつもりもないので仕方ないのだろうが、確かにお互い合わない。俺は手をかけていたノブを回し、早々に部屋から退室した。



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 ルリは次回からですもうちょっと待っててね!

 そして次回はいつも通り明明後日辺りということで。いや、今書いているところに結構力を入れているのですが、既に合計で2万文字近くは書き直してるんですよね。なので中々書き終わらないと。そうなると一応念の為次の投稿をいつもの様に空けて少しでも時間を作らないとって思いまして( ̄▽ ̄;)


 第四章の戦闘シーンはまだ先になってしまうかと思うのですが、どうか気長に待っていただけたら幸いです。

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