第66話
次回、いつも通り!(急ぎ)
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ミスった。失敗した。いや、驕っていた。
油断はしていなかった。しかし、慢心していたのだ。ルリの強さを絶対視し、前提である生命の脆さを忘れていた。
どれだけ、どれだけ強くとも、怪我の一つで致命傷を負う。その事実を、知っていたにもかかわらず忘れていた。
俺自身その危険性は重視していたのに、ルリならばと勝手に除外していたのだ。
しかし、ルリは当然人間であって、人であって、生き物である。
その原則から外れていないのだから、如何に強いルリであっても、傷の場所が悪ければ致命傷となる。
そしてそれは……そのまま、死を……。
「───ルリ!!!」
脳裏を過った思考に、自分でも驚くほど切迫した声が漏れる。少し刺された程度の怪我ではない。ルリの体の小ささも相まって、致命傷にも等しい大怪我だ。
棘は消え、無造作にルリが宙へと放り出される。気を失っているか、もしくは意識が薄れているのは明らか。
俺は急ぎ『
体を無理やり捻って回避しようとするが、勢いのない状態で無理に『
致命傷は避けたが、代わりに腕や脚に被弾し、肉を抉られる激痛に顔を顰める。けれどその僅かな時間でどうにか再度、魔法の準備が完了した。
気が動転しているが、魔法は俺の呼びかけに応えてくれた。
「『
今度はしっかり俺ごとルリを貫くルート。その攻撃を『
流石に射程距離はあるだろうが、そんなものフェアズミュア自身が動けば解決してしまう問題だ。扉も開く気配はなく、逃げることは出来ない。
とはいえ、それでも離れたことで数瞬の間はある。その間にルリを一度床に寝かせ容態を確認するが……うっと、口を押えかける。
抉れ方が酷い。怪我自体は胸の穴一つだが、出血が明らかに多すぎる。
ルリが避けたのか心臓は攻撃に遭っていないようだが、代わりに右の肺に当たる部分が丸ごと失ってしまっていて、これではまともな呼吸すら出来ていないはず。
こんなの、即死かそうじゃないかの違いに過ぎない───。
「違う。落ち着け、落ち着け俺。まだ死んでない、死んでないんだ!」
脳裏を過ぎるのは蒼太の……しかし、今はそれではない。
蒼太は死んでいた。でも───ルリはまだ、死んでない。
それは決定的な違いだ。
「『
ハッとして、咄嗟に俺は魔法をかける。ドーム状に展開した壁の外でフェアズミュアの攻撃が弾かれるが、流石に魔法を維持し続ければいつかは限界を迎える。これはシェルターとはなり得ない。
それでもいい。その間だけでも安全が確保できるなら十分だ。フェアズミュアを倒すことより、ルリを蘇生させることが優先される。そのためには、たとえ攻撃に晒されていたとしても治療にのみ専念する。
後悔や動揺もあるが、そんなものは今必要ない。
「まずは、胸の傷……!」
俺は躊躇いなくルリのローブを捲りあげ、その肌を露わにする。思考は焦りはしているがそれでも澄んでいて、傷の全体像を把握するために視線と指を走らせた。
胸以外に傷はない。やはり、この穴が唯一にして致命的な怪我だ。抉れた断面から絶え間なく大量の血液が流れ出てしまっている。
出血多量もそうだが、今や心停止にまで陥っている状態だ。残された時間はさらに短くなるが、やっていくしかない。
まずは穴の断面を覆うように空間を固定し、出血を一時的に止める。長時間は危険だが、短時間の、回復までの処置なら支障はないはず。
その少しの猶予の中でゆっくりと丁寧に魔力を通していく。多少時間がかかってもいい。重ねがけよりも、一度で回復させるイメージ。
回復魔法の使用中は皮膚や組織の再生を妨げないようにするため、当然空間の固定を解かなければならない。そのためもし一度で治らなければ、その間にさらに血が流れていくことになる。
現時点ですら致命的なため、これ以上血が流れることは阻止しなければならない。
故に、多少時間をかけてでも一度の魔法の効果を大幅に引き上げる。結果的にそちらの方が回復に繋がるはずだ。
「……『ハイヒール』!」
やがて、ルリの体が光に包まれる。感触から、怪我自体は治せたと判断する。抉り取られた肺も問題ないはずで、一応の止血は済んだ。
しかしまだこれでは安心できない。回復魔法では、流した血を戻すことは出来ないのだ。
そして出血への対処はほぼ無い。俺には輸血の経験も専門知識ももちろんないし、魔法でそれを補うことも難しいだろう。
回復魔法では体内の造血を促進させることしか出来ず、それも気休めだ。急激に輸血できる方法でもない限り、必要な血液量に足りないだろう。故に必要なのは、本来ならば如何に出血を少なくさせるかだったのだが……。
……くそ、明らかに致死量だ。ただでさえ小さいルリの体。地球の人間よりもかなり強いとはいえ、人体の仕組みはそう大きく逸脱しているわけじゃない。首を飛ばせば死ぬし、心臓を穿たれれば致命だ。
出血もまた同じで、ルリのそれは絶望的なまでに多い。加えて、今は呼吸が無く鼓動もしない。
心停止状態が長引くのは、当然ながら避けなければならない事態だ。
既にルリが呼吸を止めてから三十秒程が経過しているため、まだチャンスはあるが余裕は全くない。
とにかく、先までの傷では傷口を塞ぐことすら難しかったが、今は怪我が治っているので次の段階に移行できる。
AED、電気ショックも再現できなくは無いが、最適な電圧とそのタイミングが分からない以上下手をすれば俺自身がルリに手をかける結果となってしまうため、行うのは胸骨圧迫と人工呼吸!
ここに来て効果の確実な魔法ではなく、応急処置レベルの治療法に頼らなければならないとは……でも、それしか手段がないのなら全力を尽くすだけだ。
ルリは体が小さいため、胸骨圧迫は片手で十分。十五秒で三十回。しっかりと押し込み、そのまま直ぐに気道を確保する。
最善を求め続ける思考は淀みなく次の動作を指定した。
人工呼吸。風魔法の選択肢もあったが、魔法によって直接空気を送り込む方法を素早く行おうとすれば、威力を間違えて体内を傷つけるリスクの方が高い。
ここには人工呼吸用の感染防護具なんてものはなく、故に俺は直接ルリの口に自身の口を当てた。
そのままルリの鼻を押さえ、いっぱいに息を吹き込む。接触を気にしている場合ではない。そんなことよりも助けることを意識しろ。
胸の持ち上がりを見て、しっかり肺まで届いていることを確認する。大丈夫、やはり体内の怪我の治りも問題ない。もう一度同じように行って、胸骨圧迫へと戻り、また人工呼吸という行為を三十対二の比率で繰り返す。
このまま維持しつつルリの心拍が再開するのを待つか、もしくは打開策を練らなければならないが───。
「───ケホッ、ッ……はぁっ、ぁっ……」
「ルリっ!? 大丈夫か!」
サイクルを開始してから何度目か、口をつけ、息を吹き込み離したところでルリがなんとか呼吸を取り戻す。まだ不規則だが、これは単に呼吸ができていなかったゆえの反動のもの。すぐに規則正しいものになる。
声をかけながら指で触れ、俺はルリの鼓動が戻ってきたことを知る。大丈夫、戻った、戻ったぞ。どうにか息がある。
胸を押えていた手に滲む血。だがいい。俺は気休めであってももう一度回復魔法をかけ直し、ルリの怪我への応急処置を終える。
「ッ……と……とう、や……?」
「あぁ、本当に───チッ!」
ルリがすぐに意識を取り戻し、微かな声で反応したことに笑みを浮かべそうになるが、俺はその小さな体を抱えて即座に飛び退く。
直後ガラスが砕け散るような音と共に、フェアズミュアの攻撃が壁を壊して内側に入ってきた。あと少しでも反応が遅れれば、今度こそ助かる見込みはなくなっていただろうが……ルリを抱えたまま、全神経を集中させてフェアズミュアの攻撃を避けることに専念する。
俺の腕や脚はまだ怪我をしたままだ。痛みは無視できるとしても、激しい動きには支障がある。特に脚から嫌な音が聞こえてくるが、今魔法を使う余裕はない。
脚の怪我も無視して、力を込めて後方へ跳ぶ。少しの距離が空いたことで回復魔法を───いやダメだ。攻撃の出が早い。
魔法の発動時間を短縮するため、俺はルリを片腕で抱え、空いた方の掌に付随させる形で極小規模な『
くそ、このままではジリ貧だ。なんのハンデも無しに全力で戦ったとしても勝ちを拾えるか分からない相手に対し、ルリを守りながら、時間制限付きで戦わなければならない。
ついでに相手はほぼ無傷で、対してこちらは軽くは無い怪我をしている。
「かなり、無理があるぞ」
それでも、最悪を脱したことでほんの少しは心に余裕を持てていた。無論危険な状態であることに変わりはないし、油断は出来ない。
しかし一時的にとはいえルリが意識を取り戻してくれたことは、焦りを少なくもしてくれたのだ。
ただ、問題としてここをどう乗り切るか。ルリは意識は取り戻したとはいえ戦闘には参加させられない。
となれば、やはり俺がフェアズミュアを倒すしかないが……。
「っ、魔法を練らせてはくれないか!」
右肩を掠れていく攻撃。高速で放たれる脚部の攻撃に加えて、あの魔法と思われる黒点の攻撃も警戒しなければいけないため、かなりリソースはキツキツだ。
上級魔法の連発で魔力も心もとなくなってきている。
ここが死地かもしれない……と思うほど、諦めは良くない。そのため脳裏ではずっと生存方法を模索し続けている。
ルリと俺で生き残る方法───いや、ルリだけでも生き残ることが出来る方法。
「……とうや、ダメ」
「ルリ、無理するな。俺の腕の中じゃちょっと居心地悪いかもしれないが……ッ、何も、気にせずに寝ていてくれ。そうすれば、あとは全部俺が何とかするから」
大きく真横に跳び、その動作の中でルリに伝える。けれど、今の状態では虚勢でしかない。
ルリもそれを理解していたのだろうか。トントンと、俺の腕を叩く。
それが降ろしてくれという訴えなのはすぐに分かったが、当然それを許す訳にはいかない。今のルリは単に不調なのではなく、ギリギリ生きられているというだけの状態のはずなのだ。
貧血どころの話ではない以上、下手に動いてもらうわけにはいかないし、そもそも無理だろう。
片手で剣を振り上げる。が、全力であったにも関わらず、俺の行動はフェアズミュアの攻撃をほんの少ししか逸らすことが出来ずに、脇腹を負傷してしまう。
顔は、歪めない。
「……トウヤっ!」
「分かってる」
「嘘。分かって、無い」
いや、分かってる。俺には無理だからという話をしたいのだろう。
無理では無いかもしれないが、確かにルリを抱えていることで数少ない勝ち目も潰えてはいる。避けに専念しているため死んではいないが、先に体力が尽きるのはどう足掻いても俺の方が先だ。
正直これだけ切迫した状況でも、疲労は感じていない。しかし精神的な疲れは確かにあり、何より今もルリを生かすためにどうすればいいか焦りまくっている。
時間が大切なのは確かだ。落ち着ける環境も。
そしてこの空間の扉を開くには、十中八九フェアズミュアを倒す必要がある。そのためにルリを抱えていたのでは、勝ち目はほぼ無い。
「……トウヤ、降ろして」
「ダメ……いや、そもそも無理だ。かなりの量を出血したんだぞ。普通ならまともに動けないし、今だってこうして話せてるのは奇跡に近い」
そんなことは分かりきっていて、それでもなお俺はルリを離さないのだ。それがルリを殺すことに近い事だと理解しているから。
回避を強いられる中、俺は多少の被弾を覚悟して魔法を練る。今となっては一秒が長く感じられるほどに攻撃の密度は高く、俺の体も酷使されている。
フェアズミュアもこちらをあと一押しで倒せることを理解しているのだろうか。防御を意識しない完全に攻撃のみに特化した行動。それをされるとこちらとしても辛いものがある。
でもだからこそ、魔法に賭ける。
「爆ぜろ! 『
許容できる最大限の詠唱。とは言ってもたったの一節ではあるが、無詠唱や詠唱破棄を基本としている俺にとっては十分。
振り返りフェアズミュアを視界に収めてから、しっかりとその上半身に狙いを定め発動する。その際に多少攻撃を食らおうが気にはしない。致命傷とルリへの攻撃以外は後でどうにでもなる。
むしろ攻撃を食らうまでしたのだから、この機会を無駄には出来ない。
結末を見届ける余裕はなく、俺は更にもう一つ、刹那の中で魔法の構成を辿った。
被弾覚悟で作り出した猶予はもう一度だけ行動を許してくれるらしい。『
その間に重苦しい音が壁の向こうから響き渡り、まず間違いなく攻撃は当たったと確信するが……フェアズミュアの体は微かに片腕を怪我しただけで、大きなダメージを与えられたようには見えなかった。
「まずい、か……」
とっさの発動だったため正確さには欠けたかもしれないが、それでも上級魔法であれだけのダメージとなると、斬れ味を上げた剣で直接攻撃するか、もっと近い位置で攻撃しなければダメだということ。いや、それでもダメかもしれない。
ともかく、これ以上は本当に時間をかけられない。しかしルリには出来るだけリスクに付き合わせたくもない。
そこを両立させたいのだが……ルリが俺の腕を強く掴んだ。
ルリにリスクを背負わせない───その考え自体、もう時間切れだ。これ以上その難易度の高い可能性を再現する方法へと縋るのは時間の無駄に過ぎない。
もっと現実的で、それでいてリスクのある方法を取るしかないのだ。
「……トウヤ、降ろして」
再度俺へ訴えるルリは、少なくとも意識はしっかりと保っている。焦点は合っているし、先の怪我のせいで体力はキツそうだがそれまで。
ルリが本当は今にも倒れそうなのを我慢していようがいなかろうが、どちらにせよ勝ち目がないのならそれで行くしかない。
「…………悪い」
それは謝罪。決断が遅れたこと、死ぬような目に遭わせてしまったこと、ルリを信じ切れなかったことへの謝罪だ。そしてこれから、リスクの高い作戦とも言えぬ強行をすることに対して。
「……トウヤの、せいじゃ、ない……でも」
俺はゆっくりとルリを降ろす。やはりルリはふらつくが、俺の体を掴み、そしてすぐに立て直した。
そのまま、俺の事を見上げる。こんな状況だと言うのに、ルリは少し潤んだ瞳で俺の事を見上げてきた。
事態は一刻を争う。だが……。
「……
俺はルリのその言葉が、ある種覚悟を決めたものだと理解していた。やはりルリ自身余裕など全くないのだと。それでいて……生きることをまだ、諦めてはいない。
悲壮感や崖っぷちの危うさを、全く待ち合わせていない。
「…………あぁ、あぁ、そうだな。帰ろう。帰ったらとびきりのご褒美をやる。絶対にだ」
……いいのか、そんなことを言って。良いんだ、良いとも。
ルリが求める、この土壇場でのご褒美というのがどういうものか、想像がつかないわけじゃない。
しかし俺にとってルリが大事だと言うのは、もう嫌という程確かめたのだから。死なせない、死なせたくない。例え自分の命に代えてでも助けなきゃ行けない。
そう思ったことが事実だ。
ルリに腕を回し、抱き締める。それは女の子にするものでも、もちろん仲間や友人にするものでもない。
文字通り……
でもそれは極一瞬。魔法が維持出来なくなるのを悟り、俺はすぐにルリを離して思考を切り替えた。
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