第3章 迷宮国家ヴァルンバ
プロローグ
本日はプロローグでございます。プロローグなので短めなのと、刀哉ではありません。
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───自分は決して運は悪い方ではないと思っていたが、それでも今は、つくづく付いていないと悪態の一つでもつきたい気分だった。
鬱蒼とした森の中。舗装されているとはいえ粗雑なそれは、速度を出せば出すほど、車輪を、車体を大きく跳ね上がらせる。
走り抜けるのは一人の商人と、彼が繰る馬車だ。筋力と体力の面で改良された品種の馬が、力強く馬車を引いていく。周りの木々を置き去りにする速度の中、しかし商人の顔にはただただ焦りしか無かった。
「……っ!?」
ゴンッと鈍い音が後方から響いてくる。車体の後部に、背後から迫る
盗賊達が放つ矢は、馬車を損壊させるためなのか、先端に重りが付けられている。貫通こそしないが、音から察するに着実に耐久を削られてはいるはずだ。
焦りからか、これ以上は無理だとわかっていても、馬に鞭を入れたくなってしまう。背後から迫り来る盗賊達もまた馬に乗っており、馬車を引くこちらとは違い身軽だ。最初のお陰で距離こそある程度離れているものの、それも森から出るまでには容易に追いつかれてしまう程度。
近づかれたら、商人に身を守る術はない。身につけた護身術が通用するのは少し柄の悪い一般人を相手にした時ぐらいで、特別強くもなく武器もない商人では、万に一つも勝ち目はないだろう。
だったら、後ろの重りを捨てていけばいいと思う。そうすれば商人が逃げ切れる可能性は格段に上がるはずだ。
しかし───しかしである。
「商人が
この馬車に乗っているのは、商人だけではない。後ろの荷台には、彼が引き取った
自分が今一人で逃げれば、この子達はどうなる? 良くて他の奴隷商に売却、悪くて盗賊共に酷使されて死ぬか、慰み者という末路だ。
それを許せるだろうか? 否、許せるはずがなく、認められるわけがない。
それならまだ、共倒れした方がマシだ。同業の者からは愚かだと嗤われるかもしれないし、進んで死にたい訳でもないが、それでもと首を振っていた。
だから最後まで───商人がその瞬間、あっと間の抜けた声を放った。
突背後から飛んできた炎の槍が、正面の地面に着弾し、小規模な爆発を起こしたのだ。
「ぐあぁっ!?」
当然、その唐突な事態に避けられるはずもなく、突然のことに馬は転倒して、商人も投げ出されてしまった。
激しい音を立てて転倒する馬車と、微かに聞こえてくる、中からの悲鳴。
それと同時に背中に強い衝撃を感じ、肺の中の空気が全て吐き出される。痛みはそれから遅れてやってきた。
背中から全体に広がる、焼けるような、それでいて鈍い痛みに、のたうち回る。自分は単なる商人で、痛みに強い耐性があるわけではない。覚悟は決めたとはいえ、反射的なその反応には抗えなかった。
「───はい、本日の獲物げぇ~っと!」
痛みのせいでまともな思考が出来なかった商人の耳に、軽薄な声が入り込んできた。商人はそちらに対し意識を向けることも難しい状態で、だがそれでも、半ば無意識のところで、視界の端にだけは捉えていた。
追いついてきた盗賊が、馬から降りてくる。
「今回は……っと、奴隷商だったかぁ。おい、荷台の方確認しろ」
「へいへーい……あー、これはちょっと微妙かもしんないですね。ガキ二人だけっすよ?」
「ガキ二人かぁ、さすがにそれじゃあ……いや、だがガキにしちゃ随分と上玉だな」
「……でもガキっすよ?」
「バ~カ、見た目が良けりゃ高値で売れるは奴隷売買の法則よ。流石に赤子だとどうしようもないが、少なくとも5、6歳ぐらいからは立派な女だ。中にはガキの奴隷を買い取って、食べ頃になるまで育ててからヤるっていう道楽貴族様も居るんだわ。それを考えりゃ、どっちにも高値で売れるはず……つーことで、お前ら運んどけ。傷つけるなよ、売るんなら綺麗な方が高くなる」
商人の馬車を前に呑気に会話をする盗賊。その姿を商人は、地に這いつくばって睨むことしか出来なかった。のたうち回ることこそ終わっていたが、体の随所に鈍い痛みが走って、まともに行動が起こせない。
やがて、荷台から二人の少女が下ろされる。彼女達は気絶させられているのか意識が無いように見え、商人は立ち上がろうとするが、痛みで体が動かなかった。
残った盗賊も、少しの間馬車内を物色していたが、直ぐに興味をなくしたように離れ出す。
しかしそんな中、一人の盗賊が、こちらを視界に入れた。
「……あっ、あの商人、どうします? あそこで倒れてますけど」
「ん? あー……金はもう回収したし、どこかにコネがあって討伐隊を連れてこられても面倒だからな……取り敢えず殺っとけ」
「りょーかいっす」
この盗賊を取り仕切っているリーダーらしき人物は、それを言って去っていく。後に残された盗賊は、なんてことないように腰から剣を引き抜いて、商人の方に近寄ってきた。
「んじゃ俺も、サクッと殺って行きますかぁ」
商人のことなど、微塵も認識していない。それこそ、虫を殺すようにとでも言えるような、盗賊の瞳はそんなものだった。
気分はさながら死刑囚とでも言おうか。
幸いにして、盗賊の感じからして、変にこちらを
死ぬことは既に覚悟していた商人にとって、それは最悪寄りの朗報だった。
剣が、異様にゆっくりと振り上げられる。首が狙われているのが分かって、商人はそっと瞳を閉じた。
これ以上、自分には何も出来ないと悟っていた。連れて行かれた二人を助けるために、今、目の前の盗賊に飛びかかりの一つでも出来たらいいのに、商人の体は痛みで全く動いてくれなかった。
結果は変わっただろうか。いや、あの二人が連れていかれる運命はきっと変わらなかっただろう。商人は本当にただ、盗賊に捕まるまでの時間を引き伸ばしただけだ。
───結局、良いことをしようとしても、偽善では報われることは無いのでしょうね……。
諦観にも似た感情。既に死に対する抗いはなかった。
後はそう、ただ一瞬の痛みに備えるだけ…………。
風を切る音と共に、彼は瞼に力を込めて───。
───キンッと。
「……え?」
予想になかった、金属の音に商人は驚く。彼にとって次に聞こえるべきは、首に突き刺さる鈍い音でなければいけないからだ。
しかし、体に痛みはない。怪我をしている感じもしない。
やがて商人は、瞳を開いた。目の前に盗賊が居るかもしれないと思うと開くのに抵抗があったが、少ししても、彼に痛みがなかったからだ。
そうして───商人は
「───ギリギリ、間に合ったな」
知らない声だった。聞き覚えのなく、更に言えば若い声。
いつの間にか盗賊は距離を取っていて、代わりに、先程まで盗賊が居た場所には、一人の
振り切った剣を戻しながら、珍しい黒髪を揺らして倒れた商人へと振り返る。
「大丈夫ですか? 怪我をしているようですが、少し待っていてくださいね」
商人に向けて安心させるように、落ち着きの払った声をかける。それはつまり、彼は自分を助けてくれるということで。
───それが、商人、ハルマン・ミーレルと、少年、
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