第一章

1―1―1

 眩しい‥‥何が起きたかわからない……胃を掴まれるかのような激痛だった。胃液が食道を逆流し喉を焼く。耐えきれない。視界もぼやけ、頭痛も酷い。そして、何かとても重要で決定的な違和感が拭えなかった。

「大丈夫ですか……?」

 か細い少女の声が背後から聞こえる。後ろを振り返ると10代位の少女が一人の不安げな様子で立っていた。

 おぼろげな視界では詳しい容姿はわからなかったがバスケットを片手に抱えるワンピースをきていた。背中の中程まで伸ばされた髪は薄紫色のリボンで止められていた。

 少女の姿を認識したとき自分の違和感の正体に気づいた。彩度が低い。視界がくすんでいる、色をうまく認識できないのだ。自分に起きた異変に叫びたくなり、冷水を浴びたかのような感覚に陥る。確かに叫び声自体は上げていなかったかもしれない、しかし、俺の脳内回路は絶叫していたのだ。この全く意味がわからない状況で。

「あの‥‥本当に大丈夫ですか……? 凄く顔色が悪いですけど」

 どうやら最初、後ろから話しかけてくれたときから少しの間反応がなかっ

たためかなり心配されているようだった。

「あぁ、大丈夫だ問題ない‥‥多分」

「強がらないでください! 優しく聞きましたけど明らかに体調が悪いのはわかりますからね!」

 やはりかなり心配されているようだった。強がろうとしても流石ににバレバレだった。

「やっぱり大変そうですよ。先生を呼んでくるのでここで待てってくださいね?動いちゃだめですよ!」

「‥‥すまない」

 少女は有無を言わさずどこかへと走っていってしまった。自分にできたのは生返事だけだった。

 ……少女がどこかへと行ってしまってから既に3~4分ほど経っていた。多少落ち着きを取り戻したので少し自分にに何が起きたか状況を整理してみた。

 簡単に今の状況を説明しようとするなら、30階建てのビルの屋上から飛び降りて目が醒めるとのどかな草原の中に横たわっていたというわけだ。意味がわからない。ただ、この場所が、死ぬ前の幻覚だとか死後の世界なんていう曖昧なものではないということは自分の体の不調が教えてくれていた。


 ‥‥それからまた数分が経ち、少女が一人の男を連れて帰ってきた。


「話は彼女から聞きました。聞いていたとおりかなり体調が悪そうですね。簡単にですがここで診てみますのでじっとしていてくださいね?」

「あぁ、わかった……」

 それから彼は俺に言ったように簡単に体調を見てから落ち着いた様子で言った。

「これと言った外傷は無さそうですが念の為です。診療所まで来てください」

 それから俺は二人に連れられながら診療所へと運ばれた、しかし、体を動かし過ぎたせいか診療所に到着し、そのまま床に就く事となった。



―――知らない天井だ。



 朦朧とした意識が昏い微睡みの中から覚醒した。今まではっきりと自分に起こったことを考えていなかったが今ならわかる、自分がいるのは飛び降りを行ったあのビルのある場所ではないということだ。しかし、此処は死後の世界だとかではないということはわかっていた。だとするならば、何らかの原因によって俺は―――

「別世界への転移や時間遡行をしたのかもしれない。と思いましたね?」

 俺の目の前には少女が連れてきたあの男がカーテン越しに椅子からこちらの様子を見ていた。

「さっきから考えていることを声に出していましたよ。しかし随分と困惑しているようですね。まぁ無理もないことでしょう‥‥突然こんなところに来てしまったんですから、それが妥当な反応でしょう。お互い運が無いですね」

「いつからそこにいた!?」

「いつからと言われてもずっと隣で様子を見ていましたよ」

 自分でも混乱しているのがわかる、本当に聞くべきはこんなくだらないことじゃないはずだ、今、目の前のこの男は到底信じられないことを言った。もしさっきの言葉が真実なのだとしたら、まるでこの男が俺よりも先にこの世界へと、墜ちて来たみたいじゃないか。

「今‥‥お互い運がないって言いったな……それじゃあまるであんたも‥‥」

「そういうことになりますね、今からちょうど3年くらい前でしょうか、私はこの世界に転げ落ちて来てしまいました」

 そう言うと彼は自嘲気味に笑い話を続ける。

「自己紹介を。私の名前はトルスコム。元々は料理人だったんですよ、今じゃ此処のなんでも屋みたいなことをやっていますが」

 そして彼は握手を求めてくる。それにこちらも握手をしながら応じた。

「俺はシリウス。元‥‥医者だ」

 自分でも過去を語ろうとするのは少しのことであれであれ躊躇する。あれは俺の罪だ、決して消えない罪なのだ。

「訳ありですか? 今までのことは忘れたほうがいいですよ、私達の故郷はもう無いのですから」

「そうだな」

 その言葉は全く意味がわからず賛同できなかったがとりあえず返事をした。

「‥‥釣れないですね、貴方は」

 ふと窓の向こうから笑い声が聞こえる。目をやると何人かの子どもたちが遊んでいる、その中には先程の少女の姿も含まれていた。

「此処は孤児院にもなっているんですよ、私は前職を活かして此処で働いています、何かあったら誰でもいいので私を呼ぶよう頼んでください。まぁ暫くは今後どうするか考えておいてください」

 そう言うと彼はドアを開けて何処かへ行ってしまった。

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